『舊事諮問録』

夕霞堂隱士元夏迪

舊事諮問録』上下二卷を卒讀。答問者側には山口泉處(駿河守)の如き要路の人が幕末の外交を生々しく證言したり、與力の生活も苦しくて、辨當箱を頻々と質に入れたといふやうな逸話が出たり、幕末から明治初年の江戸の言葉が速記されてゐたりと、なかなか興味がある書物である。

しかも、問答の速記録で、何囘にも分けて上梓された册子を合訂したものだから、隨時に拾ひ讀みして差し支へないのも、忙中には有難いことである。

しかし何よりをかしいのは、諮問側たる明治のエリート連中が、如何にも幕政に無知であり、流言の類を妄信し、時に表面上の敬意とは裏腹に、肩を怒らせて權高に質問をする癡態である。温順篤實の應對を貫くのは、重野成齋博士ただ一人とみて良い。

さらに秀逸なのは、答問側の故老である。海千山千の手練れが混亂の時勢を生き拔いたのであるから、老獪である。新政府の創り出した、史學會あたりに屯する學者先生に微妙な問題を質されると、巧い工合にはぐらかした答へを返してくる。ひ弱なエリートを手玉に取る樣は、諮問側にして原本を發兌した舊事諮問會(史學會)に傳はつてゐるのかをらぬのか、痛快の極みと云ふべきである。

舊幕士人と明治學士の間で、思考囘路や思考に用ゐてゐる言語體系に大きな斷絶があるのも、見所の一つである。大東亞戰争前後の比ではない。幕府が惡者にされかねない風潮の下に生きた苦勞も一方ならぬものであつたことだらう。矜恃を踏みにじられて耐へる日々もあつたであらう。 舊幕を語るに當たつては、往時に用ゐた言葉を使ふ、目附ではなく御目附である、御小納戸、御側御用御取次である、さなくば話に情も移り申さず云々といつた口上から始める答問者が幾人かある。武江の譽れと輝きを千載に垂れる口上である。

平成二十一年三月三日一筆箋
三月九日修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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