夕照漫筆

夕霞堂隱士元夏迪

二十時です1。漸く清晝から黄昏へと遷らうかといつた具合です。光綫は黄色みを増し、空一面に廣がつてゐた鉛白の雲は開けて、今は蒼穹高く飛ぶ鰯雲です。

黌内の一隅にある拙宅は寮の最上階の三階で、東西に窗を穿ち、天窗まで備へてゐます。日の出から日の入りまで始終陽が差し、頗る愉快な心持ちです。

日脚の長い昨今では、天井の燒ける時間も確實に伸び、外氣は涼爽、室内はモハッとした熱氣、といふ状態ですが、流石に濕度が低いので、所用で階下に下れば涼しくなります。

夜分は自室が温かく、二階で涼しく、一階では肌寒いといふ鹽梅。六月に集中暖房を焚くから何事かと思へば、かうした事情があつたのですね。

慣れぬ陽氣に戸惑ひながら、武州や紀州の夏を思ひます。今頃は梅雨入りを迎へる頃ですね。皆さん御住まひの土地の氣候は如何でせうか。

自分の掲示板で管を卷いてゐたら、そろそろ二十一時です。先程までは景色を黄金色に染め上げてゐた光綫に、どうやら赤みが差して來ました。學食で夕餉に食べた鷄のナゲットは冷凍だらうナ、まともな味がしたもんナ、などと寂しいことを思ひつつ、そろそろ仕事に戻ります。

寢ぼけ眼で魚に釣られて來ました2。往復一時間、歩くには丁度良い距離です。

十六時頃には日沒。圖書館の指定席の前は全面ガラス。寮舍の彼方に陽は落ちて、黄に色づいた中庭の一本樹を左後ろから照らし出しました。菫色から暗闇に押し遷る一瞬、燃えるやうな黄葉(もみぢ)だけが妖しく浮き上がるのを見、莊嚴の二文字を思ひ浮かべてをりました。

高等學校時分に讀んだ杉本苑子女史の力作『穢土莊嚴』(文藝春秋社版)の裝幀を髣髴する光景だつたからかも知れません。なにせ根が單純なものですから。

嘗て弘前城址で拜んだ、岩木山に消える夕陽も素晴らしかつた。今日の夕陽が(理由はさておき)莊嚴ならば、あの時の日沒は豪宕といふ事になりませうか。大きな空が一面橙に染まり、山容だけが黒く蹲る。飛天の奏でる天上の樂の音が聞こえんばかりの緊張感に、敦煌莫高窟でお目にかゝつた飛天を腦裏に想ひ描きつゝ、今か今かと待ちわびたのも、早一昔前のことになります。

西洋音樂の節囘しを口ずさみつゝ「神の御業を感じないか」と漏らした知人は、別の同行者に「神の御業を感じるなら、少しは默つて見てゐろ」と窘められました。今日の夕陽は、そんな事までもが想ひ出される一瞬でした。

西陽射しふと懷かしき心地哉

1 平成十三年六月四日火曜、劍橋狼子黌内寄宿舍で執筆。

2 當時住んでゐた自宅から、所属先の狼子黌に出掛け、食堂でfish and chipsを食べたのである。

平成十三年六月五日一筆箋
平成十五年十一月八日一筆箋
平成十七年九月二十二日修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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