狼子黌夏景

夕霞堂隱士元夏迪

二十七日、曇後晴れ。段々日記も板に付いてきました。五時まで机にしがみついてゐたせゐか、少々寢坊してしまひました

黌内は閑散としてゐます。學年が終はり、皆續々と國許に引き取つて行きます。山ほど貼り紙のあつた番屋前の掲示板にも「學食の今週の獻立」が一枚、ひらひらと風に泳いでゐるばかりです。先ほど零時過ぎに外に出たところ、明かりの燈つた部屋の數がめつきり減りました。試驗前には、大半の部屋で夜鍋をしてゐたのが、嘘のやうです。

不佞どもの起居する寮棟は、今夏を費やし内裝を改めます。住人が出拂つた部屋は、備へ付けの家具が運び去られ、窓は開け放たれ、扉も施錠されることなく、廢屋一歩手前です。昨日は半日、中庭に家具を運び出し、解體する物音が響いてをりました。作業員のはしやいだ聲が、耳に深く殘つてゐます。

黌内でも一番廉價な一角(貧民窟!)に住んだ住人は、中國人や印度人、虚ろな目をしたフランス人など。冬の夜に共用シャワアで汗を流し、浴衣でウロウロしてゐた國籍不詳の御仁は、一階居室に青いポケモンのカアテンを掛けてゐました。三日ほどで備へ付けと思しき白地のカアテンに替はつたのは、あまりに外觀を損ねてゐたために、守衞が注意したのではないか。そんなことを囁きあつたものですが、今や窟内に殘つてゐるのは、不佞どもと、向かひの印度人君だけでせう。別の黌に住む友人夫妻も、直にキプロスに歸ります。

皆どこかへと消えて行つてしまひました。そんな中で日本を去ること一萬三千キロの田舍町の、廢屋寸前の貧民窟の三階の、部屋に備へ付けの木と座布團を組み合はせた、「安樂椅子」とでも呼ぶべき椅子に身を埋めて、ひつそりと邦語の論文を書き綴つてゐます。今月中にはそれも終はり、黌内の別室に退去して、一時歸朝の日を待つことになります。

……(後畧)……

平成十三年六月二十八日一筆箋
平成十五年五月十三日修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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