木[こ]の芽時

夕霞堂隱士元夏迪

線路の脇には綻びかけた櫻の木もチラチラと見えるやうになり、セルの提燈を吊つて風情をぶちこはしにする趣向なども春めき、野に里に、味はひ深い時節を迎へると、陽氣に誘[いざな]はれて風變はりな人が目に附くやうになる。

めかしこんだ親子が街道に溢れてゐるのは、小學校の卒業式だ。都心で竒聲を上げる背廣や女袴は大學を畢[を]へたのか。行儀がよいのはどちらかしら。

歸宅電車。ボール紙で作つた十糎四方の額縁に「クリーミーマミ」(?)なるロゴ入りの幼女畫を收め、フヰルムでこれをくるんだものを掻き抱きながらムームーいふ背廣の青年。フヰルムに接吻しながら、時折喃語に人語が交じる。鄰に座して手帖大に綴ぢ込んだ箚記を眺めてゐるこちらにも、時々額縁を見せるやうにかざしてくれる。

谷底にある驛の公衆電話で通話をしてゐると、雜沓の中から耳に屆く聲。五十臺後半の男が二つ向かうの電話機で送話中なのである。呶鳴つてゐる譯でもないのに熱鬧[ねったう]を貫いてくる聲に耳を傾けると、オレは電光表示板を見たし、雲の形だつて見た、雲の形にオレは納得しなかつたし、雲の形もオレを納得させようとしなかつた、と幾たびも繰り返す。氣になつて度數表示を見ると、九十五、九十四とゆつくり度數は減つてゐる。誰か(何か)に送話してゐることは間違ひない。

谷底の驛から伸びる道を辿りながら、なだらかな丘を半里も上ると、頂に出る。承應の昔に鑿たれた上水が東西に延びてゐる。夜の香を嗅ぎながら、雲の形が納得させようとする趣は何だつたのかと考へる。

平成二十年三月二十五日一筆箋
同日修訂上網
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夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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