遠い心持ちを

夕霞堂隱士元夏迪

本日[平成二十三年五月三十一日]附友人宛メイルより。

元夏迪啓。冷たい晴れ間が波立つ銀雲に浮かんでゐます。高等學校時分、富浦に乘り込んで海水浴した夏休みを思ひ出します。内房綫で少し南下したゞけで、古ぼけた漁師町になり、紀州者の目には懷かしく、武州者の感覺には目新しく、誰もゐない路地で鋸山を眺め、冷たい水中で三浦を望み、隨分と遠い心持ちを引き出されたものです。遠い時なのか、遠い場所なのか、聢[しか]と見分けることはできませんが、まづ己の中が無邊際に廣がり、己が消えてしまつたかのやうな遠さでした。夕間づめには毒々しい朱の光芒に照らされた三浦が嵐に呑まれるのを見、夜分には漁師の家から近くの突堤の先端に立つ燈柱が波を被る樣が見えました。

……[中略]……中野を出ました。

平成二十三年五月三十一日一筆箋
平成二十三年六月十二日修訂上網
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夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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