飜譯の祕訣

夕霞堂隱士元夏迪

飜譯に從事して得た内證がある。

歐語を邦語に移す場合、名詞は動詞句に、動詞句は名詞に改めると、讀みやすくなることである(邦文から歐文に移す場合は、この限りではない)。一般の飜譯はこれを忌むやうだが、歐文脈の邦語が讀みづらいのは、多分にこゝに起因する。

學力未熟な者ほど「元の構文を極力活かす」ことに拘るのも困りものだ。國語の飜譯文體化(=竒態化)の因であり、癌である。「元の構文から逃げられない」のが眞相だらう。立派な飜譯は、讀む人が讀めば、元の構文が透けて見える。全くの國文脈に直してあつても、なほ然りである。手許の飜譯を繙き、係助詞「は」を活用してゐるか否かを檢[あらた]めてみると、そのあたりの事情の一端が見易くなる筈だ。

また、字引に載つてゐる字義を憶え、自家藥籠中のものにすることは大切なこと乍ら、運用の現場では、そんなものは忘れ、自分の腦味噌から言葉を絞り出すことである。自分の語彙で著者の思考をなぞり、綴り直すことである。これはなかなか容易な業ではない。死ぬ迄修行である。

平成二十年十月十四日一筆箋
同年十月十五日修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
inserted by FC2 system