淡い縁でも

夕霞堂隱士元夏迪

勤務先では顏を合はせた事務員や用務員と挨拶を交はす。實際に世話になつてゐるのだから、そんなものだと思ふのだが、教員の皆が皆、そのやうな了簡でゐるわけではないやうだ。事務員は兎も角、用務員が相手となると、寧ろ聲を掛けない者の方が多いかも知れない。

自分が事務員、用務員の側になるとよく判る。通路で教員に遇い、挨拶をしても、默殺されたり、怪訝な顏で窺ふやうな會釋を返されたりするものである。中には勳章を受けるやうな大家もゐて「それでもそんなものか」と思ふこともある。尤も、この大家をはじめ、大學の教員といふ人種にはシャイな人が多く、不佞のやうに厚かましく、得體の知れない人間に對しては、取りわけ應對に窮するやうに見受けるから、已むを得ぬところもある。

不佞を使ふ教員を除けば、ただ一人だけ、違ふ應對をした教員がゐる。會釋は笑顏だ。こちらの風體が如何に怪しくとも、常に笑顏である。この仁の講筵に侍らずじまひながら、元々漢學に興味を覺える質であつたから、大學一年の洟垂れ小僧の昔からこの仁のことはよく見知つてゐるが、先方は不佞のことなぞ、知る由もない。ただの用務員である。

圖書館から引き取つてきた登録濟みの書籍を臺車で運ぶ道中、その教授とエレベータの籠で乘り合はせたことがある。留學生と終はつたばかりの演習のことで談笑してゐたのを態々中斷すると、隅で愼む不佞に「歴史部會の書籍ですか、いつも御世話になります、有難うございます」と、例の笑顏。恐縮するの他はない。

書庫内では己の專門分野に近いところを手入れするのが任務である。しかしその書庫の特殊な性格上、西洋史の中近世部分やら國史、支那史、中東史などにも管理業務の範圍は廣がる。寧ろ本務以上にこちらの世話に掛かることが多からうか。

支那史部分、國史部分で排架に厄介なところがあり、案内のために注意書を認め、書架に張り出すと、しばらくして、件の教授が專從事務員に「あの貼り紙を書いたのは誰で、どういふ方ですか」と頻りに尋ねてゐたといふ。事務員は「かくかくしかじかの者なりと答へました、そのうち御當人に御紹介しますよ」と云つてくれ、望外の光榮に思ひ、その日の近からんことを願つたものである。

その願ひも今となつては徒となつた。教授は簀を易えてしまつた。勤務日に急報に接し、關係方面からの電話番をする合間、教授の研究室の前を通りかかると、いつもと同じ佇まいで主の出勤を待つてゐた。

平成二十一年八月五日一筆箋
平成二十二年五月五日修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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