掃苔

夕霞堂隱士元夏迪

師匠の祥月命日だつたので、都心に出る序でに掃苔と決めた。中野區の日蓮宗の寺である。

未亡人から寺號を聞き、戒名を聞き、事前に網上で場所を何度も確認して出發。最寄り驛で降りて佛花を仕入れ、店の主に件の寺が徒歩五分の距離であることを再確認する。

コンビニエンスストアで線香も買つた。燐寸は自宅から持つて出た。初めて來た坂の街を眺めながら、デジタルカメラでメモを撮る。古い雰圍氣の街である。

辿り着いた寺で桶を藉り、柄杓を借り、斜面に開けた墓域を蝨潰しに調べ上げる。井桁の上に球を置いた墓がある。飛白體と草書のあひのこのやうな書體で「南無妙法蓮華經」と認めたゞけの、見慣れぬ墓石がある。江戸の墓、平成の墓、大きな墓、小さな墓と、墓も色々ある中で、師匠の墓だけがない。まだ名前を入れてゐない墓石を一基見附けたが、石の形が師匠の好みとは縁遠い。

境内を出て、新青梅街道を彷徨ふ。公衆電話を探す。やうやく見附けた電話で、未亡人に照會する。未亡人の説明を聞きながら、先程歩き囘つた境内の地形を思ひ浮かべ、一々頷く。二つめの水場を左折すれば、直ぐだといふ。

再び寺に舞ひ戻り、もう一度水場を中心に歩く。をかしい。この寺の境内には、水場が一つしかない。通りかかつた寺の關係者に「もう一つの水場はどこですか」と尋ねる。やはり水場は一つだけだと答へながら、實はと前置きして

「うちは××堂裏のお寺と呼ばれてゐるのですが、中野か、いやあれはもう杉竝になるのか、もう一箇所○○寺があるのですよ。やはり日蓮宗です。そちらには水場が二箇所あるのかも知れません」。

時間が迫つてゐた。どこにあるかも定かではない別の○○寺に今から詣でる譯にはいかない。手許の花と線香を「淨行大菩薩」と刻んだ石像に供へ、慌たゞしく寺を後にした。

歸館して中野の○○寺を調べたところ、慥にもう一箇所別の寺が見つかつた。中野と杉竝の區界であつた。恐るべき事に、宗派は勿論、寺號は同じ、山號も一字違ひで、音が非常に似通つてゐる。耳で聞くだけでは辨別出來なくても不思議はない。師匠の與へた試煉にしては餘りに頓馬で泣けてくるが、御前その頓馬を早く直せと云ふ故人の温顏が瞼に浮かぶやうな氣のする事件であつた。

平成十八年十月十九日一筆箋
同二十二日修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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