「後ろに坐ると、下りるのが大變だよ、ここでいいーんだよ」
オールバック赤ら顏巨漢の老人が胸乳直下まで引き上げたヅボンの大きな尻を、バスの乘車口脇の座席に押し込む。聲を掛けられた妻はそれを聞き捨てて、後部座席の方に。
「さうか、終點ですね下りるのは」
オールバックは胴間聲を上げながら、老妻と横竝びに益々小さな座席で愈々窮屈に坐る。
バスが出る。
くしーくしー。くつちゆくつちゆぷちゆー。ついついー。
斜め後ろの座席で、背廣の紳士が齒槽膿漏の齒竝びの隙間から噴出させて、その汚臭を嗅いでゐる。運轉手が二速で引つ張つても、エンヂン音をかき消すやうに耳朶を打つ。
「お母さん、いいよ拾つたらダメだよ、ワタシが代はりに拾つてあげるから。ほら拾はなくていいつて。また腰を痛くするよ、ほらほら」
老妻はそれを聞き捨てて、蟇口から床に溢れた硬貨を默然と拾つて蟇口に戻す。
「五百圓玉二枚ぢやないか」
巨漢の胴間聲だ。何を思つたか、ここで聲を潛めて話を續ける。
「お母さん、歸つたら御八食べやうよ御八。ね、あの御八」
巨漢の體は巨大な共鳴體だ。囁けばバス中に響く。
くしーくしー。くつちゆくつちゆぷちゆー。ついついー。