ある日の散策

夕霞堂隱士元夏迪

先月十九日日曜、午前中四谷の上智大學で學會に出て、その後好天を利して高田馬場まで歩く。古い友人と待ち合はせがあつた。高等學校時分、高田馬場にある學校から、時々千代田區まで散歩をしたのを懷かしみながら、逆のルートを歩く。四谷から堀端を歩き、市ヶ谷を掠め、飯田橋で寄り道をする邊りから、手許のメモを拔萃。

十三時四十分、靖國社前濠北方面戰歿者慰靈碑。九段高校前にあつた木造三階建ての家はなくなつてゐた。早稻田通りを北上して戻り、神樂坂を經て早稻田、馬場方面に向かふ。

山田紙店。獨自の稿紙數種。マルゴノートの揃へ多し。Pilotのルーズリーフ(B5, A5)もあり。クリーム色隅丸、B5はタイトル罫あり、上一段目にインデント目印。罫線は端まで。角穴、二穴對應。

相馬屋も獨自稿。BUBungu Union)ノートなる大學ノートの揃へ。中紙白、見出し行は青。

十四時十七分早稻田通りに寒風。ビルの上の空が明るくあはい雲。ビルの谷間の暗さと對照的なり。神樂坂通りを直進。右手に立派な社あり。どこの神社か。

地藏坂。『砂子の殘月』曰「地藏坂 酒井修理大夫屋敷脇。天神町へ下る坂」。由來不明—案内柱より。茲と云ひ、紀尾井町と云ひ、大名屋敷は斜面を使ふ例も多かつたらしい。驚き。

山吹町交叉點左折、並木道に。西向き。早大通り某邸の古さ、石造の倉。

再び早稻田通り。馬場に向かふ。西早稻田交叉點から北方に超高層マンション。大分空の見え方が變はつた。馬場に通じる道の篠懸竝木。未知の街に來たやうな錯覺が懷かしさの中に混じる。街全體がみすぼらしく小さく見えるせゐであらうか。木造鶴龜屋(蕎麥屋)がよい感じ。カツ丼八百圓也の字のみ見ゆ。

馬場驛の側まで來ると店舗もかなり入れ替はり、時々本を見に行つた書店等はもちろんない。インド大使館は昔ながらの佇まひである。インド料理マラバールといふ店は、昔來たことがあるやうな氣がする。

十五時十五分馬場驛周邊到着。文具の竹寶商會は健在。ノートの揃へは平凡。大手メーカーの物を網羅。システム手帖のバイブル版リフヰルは貧弱。原稿紙はコクヨとライフのみ。別館が出來てをり、紙、印刷、を扱ふ。名刺用にケント紙(220g/m²)を四枚。一枚三十圓。

名店ビル地下食堂街からカレエのエルムが消滅。中華新華と云ふ拉麺店が一軒のみ。地上階菓子店に出た階段は健在なるも地上店舗の配置と構成が變はり、廊下のやうなところと繋がつてゐる。淋しき限り。

F1ビル二階プラモ屋、中華の揚子江は健在。芳林堂が三階から五階までを占める。五階にまで擴がつたのを初めて知る(昔は三階が芳林堂、四階が洋書ビブロス)。前は事務所がいくつか入つてゐたはず。芳林堂文具コーナーは駄目になつてゐた。場所は移り、ロディアが大きな顏をしてゐる。ノートもおざなり。なにもかにも中途半端。店の賣りを喪つてしまつた。五階に申し譯程度の洋書。四階の齒科は健在。二階の「ぽてじゆう」はロシヤ料理店に。一階は東急リバブル。前は證劵屋か何かだつたのでは。變な雜貨店はあれど、毒が拔けてゐる。店が變はつたのか。サンジェルマン麺麭店は舊のまま。

ビッグボックスの三省堂の沒落は云ふまでもなし。昔はビッグボックス二階は殆ど全て書店なりしものを。文具も悲慘。なほ西武の大好きなキャンドゥも店子に。

十六時二十二分パピエなる麺麭屋兼珈琲店で一服。アイスコーヒーの大が二百八十圓。十七時二分ビッグボックス改札口に到着、待ち合はせた友人を待つ。歩行距離およそ九キロ。

平成十七年十二月十日一筆箋
同二十三日修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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