ある射手

夕霞堂隱士元夏迪

さる網站で懷かしいコピーを目にする。禁烟パイポの「私はこれで、烟草を止めました」。

「これ」とは指に摘んだ禁烟パイポ。テレビコマーシャルで數人の小父さんが入れ替はり立ち替はり畫面に登場し、この臺詞を繰り返す。最後の一人が小指を立てゝ見せながら「私はこれで會社を辭めました」といふオチがつく。

會社を辭めた色男ではないが、烟草を止めたと語る一人が、實は知り合ひだつた。同じ道場で弓を引く仲間だつた。

他人の空似にしては怖いくらゐに似てゐると云ひ出した友人と、本人に質してみたことがあつた。シャイな方で「いやあそんなぼかあ」とかはしてゐたものの、我々のしつこさに觀念したのか(失禮なことをしたものである)、「實は」と打ち明けた。

手持ちのパイポを見せながら「あまり飮まない口だから、パイポなんて使つたことはなかつたんだけれどもね。やつぱりそれぢやなんだからさ」と云ひ、義理堅く攜行するに及んだ經緯を話してくれた。

當時四十代になつたばかりだつたと思ふ。強弓を引く人だつた。數年後に亡くなつたと聞き、無常の風を感じたものである。肺癌だつたさうである。

平成十六年十二月十六日一筆箋
平成十七年九月十九日修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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