服に着られて

夕霞堂隱士元夏迪

Cambridgeと表紙に刷つた縱開きの帳面を繰るだけで、そこまで騷々しくせねばならぬかといふ位に鈍くさい女と、汽車の座席で鄰り合はせになる。

二十も半ばは過ぎただらうに、服に着られてゐる。異樣な感じを嚥下して見遣れば、リクルートスーツである。

開いた帳面の文字が目に入る。面接の對策を書き附けたものらしい。前の會社は派遣であつた、單純作業、力仕事しか與へられなかつた、それが不滿で御社に云々。

創造性を發揮する仕事を希望してゐるのであらう。殘念ながら、面接でこの文句を耳にした人事擔當者は、この婦人が創造性に富んでゐるとは思ひもしないであらうし、單純作業や力仕事の意義を輕んじる姿勢に憤慨する懼れもある筈だ。

それでも、何とかうまく行つてくれないだらうか、と竊かに應援する氣になつたのは、今一度、服に着られようと決意した婦人を健氣に思つたからであらうか。

平成十九年六月二十日一筆箋
同日修訂上網
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夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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