アウトライン

夕霞堂隱士元夏迪

たつた千字の文章を書き倦(あぐ)ね、アウトラインから文章を書き起こすのが不得手であることを痛感する。

一篇の要目を書き竝べ、それを一筆書きに綴り合はせ、齟齬なく、飛躍なく仕上げるために、先の先まで措辭を考へ、要らぬ氣苦勞をするせゐである。筆に任せて書き下ろす方が性に合つてゐるらしい。

加之(しかのみならず)、アウトラインとして抽象した論理が緩く、後から筆で追ふと襤褸が出る。「これは取り敢へずのアウトラインだから」と油斷して出鱈目を書き連ねてしまふせゐであらう。

アウトラインを仕上げれば、その結構の美麗(?)に醉ひ、慢心も生じる。手書きの時代には、見るからに駄文でウンザリしたやうな作も、ワープロの到來で活字になると頗る立派に感じたものである。アウトラインにもその罠が潛んでゐる。己を嚴しく律せずして、論理の結構の緩み、歪みは見出せまい。恭謙己ヲ持シとは教育敕語の一節である。明治の上諭が電算化の平成の御代に重い。

隨筆とは名ばかりの駄文を綴れば一瀉千里である。餘勢を驅つて、實のある論説を物したい。長大なものになれば、自ずからアウトラインめいた手法の助けを藉(か)りずにはゐられない。書き下ろしとアウトラインとの間で、慢心を戒め、筆勢を殺がず、恭謙己を持するやうに懋(つと)めたい。

平成十七年九月二十七日一筆箋
同日修訂上網
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夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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