事務室の都合がつかず、構内の反對側の縁にある圖書館に行き、濁つた空氣の中で眠氣と戰ふ。屈して目の前の茶店で珈琲大碗を啜る。
都鄙の力學と言説を考へるために原武史『團地の空間政治學』なる新刊本を書籍部で手に入れる。『世界史史料 一』も手に取つてみる。綺麗に組んだ字面の向かうに愛憎と血泪が透けて見えるやうだ。
電車の中でごく短い論文を一點讀み終へ、二點目にさしかゝる頃、中央線に乘り換へである。
十分ばかり遲延してゐる。ホームには人が滯留してゐる。單にダイヤが亂れてゐるだけではないやうだ。これから入線してくる電車が遲延後最初の一本らしい。論文を仕舞ひ、極力荷物を小さく、體も疊む仕度をする。目の前の三十女は手提げ鞄からスマホを取り出した。ゲイムを始める。
電車が來る。當然車内は鮨詰めだ。ベビイカを疊んだ男は「どこに乘つても同じだよ」と云つて、最後尾の專用車輛に行かうといふ妻を宥め賺し、人の壁に肉彈攻撃を仕掛ける。妻は前に乳兒を抱へて後に續く。
不佞も飮み込まれた車内で體を疊む。するとスマホ女が乘り込んできて、體を芋蟲のやうにくねらせながら、ゲイムに必要な空間を確保する。周りの乘客は凍り附く。
隣の驛でも大量の客が乘り込んでくる。押し込んでくる。スマホ女は絶叫する。
「無理無理無理無理無理ィッ」
スマホは仕舞はない。
電車が動く。またもや體をくねらせて空間を作り出し、周りに凭れて爪を噛み始める。見れば手先は一指のこらずボロボロだ。
やつとの事で南最寄り驛に辿り着き、ホームに出ると、こゝも黒山の人だかり。しかも後から速い汽車が追ひついてくるから、乘り繼ぎ客も降りてきて、混雜は愈々甚だしい。
「うまーもなく電車がまゐりやーす」
驛務員の放送が聞こえる。ホームの老若男女は一齊に攜帶やスマホを取り出して、ラッシュの車中の無聊に備へ始めた。