日々交錯

夕霞堂隱士元夏迪

月曜

深更。寢て起きたら、友人の結婚式だ。めでたい限りだ。

火曜

一日晴れて、軈て黄昏れようとする駒場湧水に續く階段で、初老の男同士がすれ違ふ。

「どうもどうも、ワタシ、お父さんになるもンでねエ」

「お祖父ちやんぢやないの? その歳でさア」

「それがお父さんなンすヨ、だからこの夏は外國にも出張しないで、いつでも[病院に]行けるやうにツて」

「へー、えツへツへー」

混ぜ返し、冷やかした男は階段を上つてキヤンパスに消えた。不佞の横を擦れ違ふこの男が微醺を帶んでゐるのに氣づいたが、このキヤンパスの入り口には「構内全域禁烟」の看板しか立つてゐないことを思ひ出す。

最寄り驛のプラットホームで汽車を待つ。地上改札から高架のホームに出る階段を登つてくる初老の男がゐる。巨大な蝙蝠傘をさしてゐる。吹きさらしのホームに出て來ると、ピヤノ塾「シュベスタア」の看板の前で傘を疊み、汽車を待つ。同年配の女が附き添つてゐるのが目に入る。不佞と同じ汽車に乘り込み、男と女は差し向かひの席に坐る。不佞の隣の女は「お父さん、ほら上着、この鞄に入れるわよ」。蝙蝠傘は虚ろな目で上着を差し出す。

西の空は茜に染まりかけてゐた。この一瞬の間[あはひ]には、かうしたことが起きるものなのだらうかと思ひながら、家路を辿つた。

土曜

昨夜は本郷で白銀ラテンの泰斗にセネカの話を伺ふ。黄昏の澆季に生きるセネカの胸中と修辭に祕められた狂的な魅力を突きつけられ、文字通り蒙を啓かれた思ひである。會の後、ストアー哲學の説くエクピュローシスの概略も教はる。最新の宇宙理論を聯想せしめる教説に、氣宇は一氣に壯大となる。

餐を共にし、食堂を出ると、雨中、夜の小祠に柏手を打つ男の後ろ姿があつた。ビルの谷間の祠のことは知らぬとばかりに、本郷三丁目の交叉點は廣く、車が行き交ひ、醉客は千鳥足であつた。

土曜

幕末の百姓家の縁側に坐る。よく乾いた縁甲板[えんこいた]が足の裏に温かく、柔らかい。自在を下げた圍爐裏端は埋み火で體の内側を温める。秋風の立つ昨今、氣温はまだまだ高いとはいへ、決して不快な温もりではない。鏡のやうに黒光りする分厚い床が、冬になると酷[むご]く、氷のやうな冷たさになるのを、子供心に哀しんだ記憶が甦る。土間續きの臺所には、やはり圍爐裏がなくてはならぬ。竈[へツつひ]に火が熾[おこ]つてゐなくてはならぬ。

日曜

濛雨の中を、遠方から熊野宮の神が家の前の街道を渡御して行く。大人が三人攀じ登る巨大な太鼓を打ち鳴らし、貴[あて]な御輿に、阿龜[おかめ]が荷臺で踊る輕トラ御囃子號が目の前を過ぎつて行く。太鼓を打ち鳴らす號令「ショウンーリー」はまさか「勝利」ではあるまいな、などと思ひつゝ、遠く紀州から武州の新田に流れ着いた古い神を拜[おろが]む。熊野の神に供奉して鈴木氏も下つて來たのであらう、その名を冠した鈴木町鈴木街道1、臺地を今も飾つてゐる。

バッキュリデース十三番を讀んで暮らす。

1 「鈴木家の當主の名を取つた喜平橋」を削除。小耳に挾んだ説を書き記したものであつたが、或ひは聞き違ひかも知れない。鏈接先の如く、一般には橋の傍の組頭の名に由來するとされてゐる。

平成二十年九月十五日一筆箋
同二十日一筆箋
同二十一日一筆箋
同二十一日一筆箋
同日修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
inserted by FC2 system