大學で電算機を弄り始めた頃にTeXを始めた。他に文書作成ソフトがなかつた。muleは使ひにくゝて、本郷の情報處理室にWindows 3とms-word 6が導入されると、そちらに移つた。これはこれで兎に角誤作動の多いオペレイティングシステムとアプリケイションであつた。自前のマッキントッシュを購入しても暫くms-word 6を使つてゐたが、やがてdtpソフトを使ふやうになつた。
マッキントッシュ上でも追々とTeXが動く世の中になつてきた。pTeXはすぐに導入した。エディタはjeditだつた。やがてNisus Writerをエディタに使つて、pTeXでコンパイルするやうになつた。html文書もNisusで書いてゐたから、夕霞堂のあちこちにまだその名殘が殘つてゐる。g3ではこの作業環境が一番であつた。今もそのまゝ殘つてゐる。
g3を攜へて劍橋に行き、TeX文書を作るエディタにミミカキエディットが加はつた。狼子黌で一緒だつた邦人研究者に紹介された無料エディタであつた。暫くはあまり出番がなかつたが(多言語環境と相容れないエディタであつた)、g4に移行した頃から出番が増えた。g4でもクラッシック環境は動くものゝ、g3上で構築した環境がうまく作動しない。Nisusはしよつちゆう落ちるし、表示が亂れた。fepも「ことえり」で使ひにくかつた。かといつて、osxではNisus Writer Expressなぞ、まだまだ使へる代物ではなかつた。
unixベイスのosxでは、使ひ勝手のよいTeXが使へた。移植の壁が低くなつたのだらう。手も多かつたやうだ。その頃にはミミカキエディットもmiと名を改め、日に異に使ひやすくなつていつた。多言語環境もTeXの強みであつたから、コンパイルして希語が出せれば、エディタ側で多言語(多フォント)を制禦できなくても不便は感じなくなつてゐた。希語に關しては標準轉寫方法がいくつかあり、それに從つてローマ字をタイプすればよい。デイタベイスの方でも希語フォントを轉寫文字列に吐き出す機能がついてゐた。ローマ字で事足りるならば、希語キーボードに切り替へて左手の小指を酷使するよりも斷然、樂である。爾來、今日に至るまで、新たに機械が増えても、全てmiとTeXで文章を書くといふスタイルは搖らがない。
そのmiがバージョン三になると同時に、いよいよ有料アプリケイションとなる由。「ミミカキエディット」と稱してゐた頃から兎に角御世話になりつぱなしで、しかもたゞで使はせて貰つて來た以上、喜んで購入したいと思ふ。ms-wordに泣かされた劍橋で完全にTeXへと移行してから、十年1。色々なものを書いてきた。公になつたものは極一部であるにせよ、その背後で硬軟織り交ぜて實に雜多な文書を綴つてきた。全てこのエディタを使つてゐる。有難味は言葉に盡くせない。しかも目に見えないTeXの有難味も、miの上に重なつて見えるから、益々もつて有難い。手許に轉がる數本の萬年筆とダイヤメモ、それにmiは、不佞にとつて間違ひなく道具である。何の道かと問はれたら、生きていくこの道とでも言はうか。手の延長として物を作り、頭の延長として想を構へる手段である。