水浴

夕霞堂隱士元夏迪

このところの溽暑に堪りかね、水を浴びるやうになつた。シャワーで水に打たれてゐると、劍橋の毀れた給湯噐ことなぞも思ひ出すが、それ以上に懷かしいのは、少時の水垢離と、西域の旅である。

水垢離とはいつても、神明に侍るために執るのではなく、單に親父の方針(思ひつき)で、一時風呂上がりに洗面噐二、三杯の水を浴びさせられたゞけのことである。夏はともかく、冬場は浴室の中でも子供心に厭はしいことであつた。多少は健康の増進に役立つたのだらうか。

西域の旅は、大學生が夏休みの暇に飽かせて繰り出したものであるから、まづ暑い。溽い島國の夏から、夏の大陸に出張ると、乾燥の度合に戸惑ふ。日影を歩くと肌が痛い。樹蔭に入ると「濕度が低いので爽快」だと、どの旅行指南書にも書いてあるものゝ、絶對温度が高いので、それほど凌ぎ易くもない。暑い。

沙漠に近づくと、氣温も乾燥も桁違ひになり、どうしようもない。當時は冷房施設なぞなきに等しかつた。超高級ホテルならば兎も角、そのやうなところに縁がなければ、冷たい水を飮むことすらまゝならなかつた。維族の文化圈に入れば、氷水で割つたケテック(ヨーグルト)を口にすることが出來たが、氷も水も、日本人の胃腸を直撃することは請け合ひである(もちろん、正露丸もきかない直撃をエンジョイするのも一興ではある)。逃げ場のない暑さといふのは、とにかく神經に堪へる。

「上無飛鳥。下無走獸。但以死人枯骨。爲慓幟耳」と法顯が枯れた聲を絞り出すやうに書き綴つた漠地での樂しみは、何と云つても水浴である。初めてトゥルパンを訪ね、ディスコの二階で一泊五角の木賃宿に泊まり、草履履きのまゝ浴びた洗淋[シャワー]の水の心地よかつたこと。葡萄溝の雪融け水の涼しさや、葡萄棚の落とす深い蔭なぞ、霞んでしまふ。翌年、西安興慶宮附近で泊まつた、快樂旅社(いかゞはしい施設ではない。一泊八元)の暗い洗淋室で水を浴び、下痢をするくらゐに身體が冷えて、嬉しかつたり、戸惑つたこともあつた。二十一時前に、鄰の鄰で葬式を出し、葬列で絶叫する哭き男、泣き女、夜明け前に「モー! モー!」と人を喚ばふ恐ろしげな呻き聲とゝもに、ゐまも記憶に鮮明である。

その日は碑林を見物して、賣店の姐さんと懷素の千字文に就いて感想を語り合ひ、兎に角讀むのに骨が折れると、愚にもつかぬ點で意見の一致を見たことなどは、ゐま、當時の記録を讀み返すまではすつかり忘れてゐた上に、讀んでもなほ思ひ出せぬ故事ながら、その數日後に砂嵐に襲はれ、避難した先の敦煌賓舘三二二室で、歸國後には一リットル入りのステンレスのコップにヨーグルトを滿たして一氣飮みをしてやらう、アイスクリームの食ひ放題を企劃しよう、牛乳を痛飮しよう、少年ジャンプのバックナンバーを斜め讀みしようといふ、まことに莫迦げた希望に加へて、水風呂に肩まで漬かるべしと手帖に書き記したことなどは、その文字を見るまでもなく思ひ出すのだから、やはり逃げ場のない暑さの中で相當に參つたものと見える。

平成二十年七月二十八日一筆箋
同日修訂上網
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夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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