口を二題

夕霞堂隱士元夏迪

口を拭ふのは如何なものか

外交問題が拗れさうな時には「經濟のことも考へるべきだ」といふ聲が聞こえてくる。見識のある發言だと評價される。

電力問題が拗れてゐる中、經濟に言及するとなぜか經團聯の金持の話だと取り違へる者が後を絶たない。不見識で人非人であるかの如く指彈する聲も聞こえる。

經濟は脆く微妙な均衡の上に成り立つ生態系である。世界はその中で辛うじて生きてゐる。十圓で救へる命があるなら、日本が百圓で油を買つて殺す命も澤山ある。日本の經濟が傾くことで、職を失ふ人が地球の裏側で溢れてくる。そのやうな當たり前の事實を無視して、財界の問題にすり替へることこそ、不見識だらう。

矮小化の論理と文脈をよく觀察することである。報道されないだらうし、したくないんだらうから、なほのこと。

口を噤むのは如何なものか

口を拭ふといへば、いぢめ問題の報道にも缺落してゐるものがある。原因に地域の問題、家庭の問題があり、多忙な學校では對應できなくなつてゐるといふ。それが學校の問題だといふ。

「學校の問題」といふ言ひ方で、學校が抱へる問題と、學校が問題であるといふ事實が意圖的に混同されてゐる。教員の質が低下してゐる事實は一切報じられない。時に組合の勢力を批判する記事が出るばかりだ。

中教審邊りが「教職は修士課程修了を要件とせよ」「大學入試の在り方を見直せ」と(今更に)答申すると、その事實を報道して、教員の劣化と、中等教育の失敗を遠囘しに報道するばかりである。他人の褌で相撲を取る。

言論を生業とする操觚界がなぜかこの問題については口を箝んできた。これまた、よく考へた方がいゝ。

平成二十四年八月二十九日水曜一筆箋
同日一筆箋
平成二十四年大晦日月曜修訂上網
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夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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