Ancient History Seminar
ston Kósta

夕霞堂隱士元夏迪

月曜日(平成十五年正月二十日)にセミナーで友人の報告を聽く。ちょび髭のコスタス・ヴラッソプロス君曰く、古代ギリシアの經濟を考へる際に、世界システム論が必要であると。少なくとも地中海世界を視野に入れ、相互依存に着目しない限りは、話が見えて來ない、とのことである。

從來の古代資本主義論爭の問題點を浮き彫りにし、その解決方法を提示しようとする行論は、まづは手堅い。理念型を持ち出すヴェーバー、フィンリー及びその影響下にある人々に對する批判としては、頗る説得力がある。しかし、どこが新しいのか。

聽衆も同樣の疑問を抱いたらしい。樣々な角度からコスタス君に質問をぶつつける。君の云ひたいことが今一つ見えてこないんだけど。要約すれば、この一語に盡きるところを、手を變へ品を變へ、自分の問題關心や領域に沿つて問を立てて行く。その道の大家と呼ぶべきガーンジー教授は、やはり際立つて冴えてゐる。イギリス人らしく、皮肉たつぷりの質問には、正直なところ凄みすら感じた。

行き着いたところは「あゝ、つまり現在イングランドで行はれてゐる手法で、ギリシア世界を考へなくてはダメなのね」。イギリス人はさう思つたことに違ひない。散會時の立ち居振る舞ひ、表情や言動の至るところに、感想が滲み出る。コスタス君は大役を務めた安堵の中、聽衆の不可思議な反應にやや憮然とした表情を浮かべてゐる。「乃公の研究の意義が傳はつてゐないのか」。

元來、同君はギリシア國史に通曉し、その功罪に極めて敏感である。一方で西歐の古典學をそつなく消化し、古典的な研究、人文諸學の最先端にも拔かりなく目配りをしてゐる。そのコスタス君がいまさらのやうに「常識」を持ち出したのは、恐らくギリシア國内の思潮を拔きにして解することは出來ないのであらう。

自分たちは古代ギリシアの後裔である。然るに、ビザンツ帝國消滅以後、ルネッサンスのヨーロッパが後裔を名乘り始め、物心兩面でその遺産を掠取してゐる。古代ギリシアをわが掌中に取り返さねばならぬ。そんな鬱屈した思ひを、現代ギリシアの端々に感じる。オスマン帝國時代、ビザンツ帝國時代を見る眼差しは、明らかに歪んでゐる。古代ギリシアを見る眼差しにも増して歪み、鬱屈してゐる。

コスタス君は、かうしたあからさまなイデオロギー空間を再構築しようとしてゐるのではないか。ギリシア人のねぢけた自己認識を鍛へ直さうとしてゐるのではないか。今も昔も、ギリシア語を話す人々は世界中に散り、現地に同化し、或いは現地を同化してきた。その單純な事實を、單純な事實として受け止められる、強靱な自己認識を生み出さうとしてゐるのではないか。

日頃の彼を知る不佞は、時代遲れのギリシアから來た田舍者が、己の無知をさらけ出したのだとは思はない。同君はあまりにも才氣煥發である。ギリシア國内の古典學史、ギリシア社會の明暗を正面から受け止める御仁が、眞摯な提言をしてゐるのだと確信してゐる。同君の才氣煥發は、さう確信するに足る。

「なんだ結局世界システム論か」といつた風情のイギリス人も、似たり寄つたりの想ひを懷いたやうである。常識の追認に終始した報告に過ぎなければ、あれほど眞劍な質疑應答はあり得まい。自分たちの常識が、必ずしも世界の常識ではないといふこと、とりわけギリシアにはギリシアの事情があるのだらうといふこと、そんな手應へを感じてゐたのではなからうか。

他國の學術研究を評價するのは、洵に難しいものである。

平成十五年正月二十六日一筆箋
平成十五年二月十一日修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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