武藏國國分寺頌武蔵国国分寺頌

夕霞堂隱士元夏迪

久振りにドイツ語の文獻を讀んでゐます。語彙は拔け落ち、勘は鈍つて、一向に捗りません。讀解には小學舘の『獨和大辭典』(コンパクト版)が手放せません。

細かい活字がビッチリ詰まつた字引で、何度も何度も同じ單語を引いてゐると、ほとほとウンザリしてきます。sch-ver-で始まる單語だつたりすると、行けども行けどもお目當ての單語に辿り着かず、甚だ慘めです。

たつた一つの慰めは、頁の隙間から立ち上る、紙とインクの香りです。中央綫國分寺驛前にあつた、喫茶室兼洋菓子屋のケエキの香りがするのです。父の好物、モンブランだつたでせうか。ショオトケエキかも知れません。ひよつとすると、その店の紙箱のにほひだつたか。二十數年前、母に手を引かれて佇んだ、店先の面影が甦つてくる思ひです。移轉したか、廢業したか、現在その店は國分寺驛南口にはありません。

想へば當時、國電の驛舍は平屋でした。狹い券賣所の脇には、けばけばしい色彩のキオスクが。『ゴルゴ十三』を扉にあしらつた雜誌が並び、仁丹の類が吊られてゐたのを覺えてゐます。當時府中にゐた不佞にとり、國分寺驛は、祖父母の待つ和歌山への玄関口でした。

今は丸井か何かが、板チョコのやうな薄つぺたな驛ビルを構へ、四圍を睥睨する樣に、藏京拉薩のポタラ宮を髣髴します。その直ぐ下には、殿谷戸(こんな字だつたかな)の園地と湧水地が隱れ、中央綫と平行して走る「ハケ」と呼ばれる斷崖綫には、豊かな緑が殘ります。御鷹の徑(だつたかな?)に沿つて湧き水が潺々と流れ、武藏國國分寺跡に通じてゐます。東京寄りに少し歩けば、気取らぬ喫茶店が客待ち顏。

今も昔も、ちよつと寂れた、少ォしマイナアの味がする、國分寺に魅了されてゐるやうです。誰か同好の士はゐないかな。

平成十三年十月三十日一筆箋
同十五年二月十一日修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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