渦中で

夕霞堂隱士元夏迪

言語論的轉囘といふことが取り沙汰されたことがある。流行好きの斯界にもその影響は易々と波及した。今ではなかつたことになつてゐる。それだけ衝撃が大きかつたといふことである。しかし、あつたことをなかつたことにすることなぞ出來る譯がない。反動が來る。作法が強化される。そこに激震の襲來と、その超克にしくじつた事實とが透けて見える。

當時『歴史學の危機』といふフランス語の書物が飜譯され、少しばかり反響もあつたやうである。不佞ですら手にとつて開けて見た。理解を絶してゐた。抑も飜譯なので判らない。これは不佞の性だから仕方がない。拗り鉢卷で讀んでみても判らない。譯者がどこまで理解してゐるのか、讀者がどこまで理解すべきなのかが全く見えない。「地中海。地球上の昆布。さう、それは酒、泪、溜息。飛躍する」みたいな文章を讀んで判る方がをかしい(この例は元夏迪の特製である)。フランス語を和譯したものにありがちな問題である。

何よりも不可解だつたのは、學問の正當性を制度に据ゑたことである。學會があるし、專門家が査讀する雜誌に論文を投稿するから大丈夫──もちろんこのやうな物云ひは全然「大丈夫」ではない。「ディシプリンそのもの(作法)」と「ディシプリンの在り方(學問分野)」とはそれぞれ辨別すべきものでありながら、「ディシプリン」一語に包含して論點をずらす「エスプリ」(といふかヂョウク)だつたのだらうか。

現實の學界では「ハードアカデミズム」なる鍵語(?)の流布とも相俟つて、この路線が主流となつてゐる。時々「大きな物語」といふ話が出てきて、果敢な跳躍と飛躍を試みては消えていく。それをしも多とすべきなのかも知れない。

『危機』路線を突き詰めるとどうなるか。誰も知らない史料を手に入れて、職人的といふか、業界人的といふか、金太郎飴的な議論を積み上げて、誰も讀まないモノグラフを記す(つい最近も「オレには日本國内で誰も持つてゐない米國史の史料のコピーがあるから、いくらでも論文が書けるんだ」と自慢する研究者の話を聞かされた)。大學院制度の都合でさうしたモノグラフが量産されて行く。どこかで聞いた状況ではないか。フランスで『年報』が生まれるきつかけとなつた閉塞状況そのものである。今は論點や問題關心が廣がつたから、制度史、政治史に偏つた二十世紀冒頭のパリとは違ふと強辯しても空しいことである。

いや、職人的な文章が積み上がるだけならまだよい。立場を變へれば歡迎するべき出來事と見ることも出來るだらう。少なくとも何かの役に立つ可能性はある。制度が研究の價値を保證する客觀的な枠組みである客觀的な保證(やゝこしいが)がないにも關はらず、『危機』のやうな路線を主張することの方が遙かに危險である、と云ふべきだらうか。「何をどのやうに云ふか」が基準であるべきところを「誰が何を云ふか」で判定する風潮が蠶食してくる。媒體によつては論文著者の名を伏せて査讀してゐる、などとおぼこいことを云つてはならない。誰が何を議論してゐるか、仲間内では判るものだ。『危機』の上木されたフランスでは殊に然うである。

「誰が何を云ふか」に意味があることは承知してゐる。auctoritasは大切なことである。それを「何をどのやうに云ふか」に基づくものであるかの如く喧傳するところに問題があるのだ。兩者の混同が起きてゐても、それを指摘できない枠組みを齎してしまふ。『危機』路線の逢着するところはこゝである。これまでの推移を觀望してゐる限り、殘念ながらこの豫想は當たつてゐる。この先の展開も容易に見通すことが出來るけれども、敢へて記さずに置かうと思ふ。この先の展開は容易に見通すことが出來るから、敢へて記さずに置くと思つて戴いても構はない。自分で自分の首を絞めていきながら「首が絞まつていく」と訝しく思ふことになる。いづれにせよ暗い。

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平成二十五年二月十八日月曜一筆箋
同日修訂上網
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夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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