海中に絕域を想ふ日々

夕霞堂隱士元夏迪

絕域

個々の地域を述べれば、コンマゲーネーは狹小の部類に屬する。要害の城市サモサタを擁する。往昔、王宮の營まれた城市である。現在は屬州である。狹隘ながらも、頗る惠まれた土地である。現在、エウプラーテースを渡河する橋はこの地に架り、その橋詰にセレウケイアが置かれ、メソポタミアーの守備を擔ふ。コンマゲーネー國境地帶にこの衞戍を設置したのはポンペイユスである。クレオパトラー・セレーネーがシュリアーから落ち延びた折、これを捕獲したティグラーネースが一時幽閉し、處刑したのもこゝである。

……ストラボーン第十六卷第二章第三節。さるエッセイに引證された件をあらためれば、漢籍の西域傳を思はしめる短い條。正史を引つくり返し、タクラマカン砂漠方面の情報を漁つて西遊に出た昔の心持ちを引き出されます。コンマゲーネーの不思議な遺蹟にも惹かれます。

誰もみな行きたがるが/遙かな世界

輪番停電で仕事に使へる時間が短い1。停電が夜分だと反射光でものを見るのはしんどいから、透過光で気樂なものを讀む。要するに情報端末のディスプレイを使ひ、誤字脱字だらけの漢書西域傳のファイルを開いて曾遊の地に思ひを馳せる譯だ。昔、拉薩に定時停電が來ると服務臺で蠟燭を燈して貰ひ、薄明かりの中でde Polignacを繙いたよな2、とか、逃げ場のない暑さに閉ぢ込められ、薄暮のオアーシスで唐詩選を讀んで、讀書に飽きて目を上げれば、そこはタクラマカンの邊[ほとり]だつたな、とか。今思へば滑稽な情熱を以て漢書を繙いた十代最後の日々もまた、腦裏に甦る。

西域傳には長めの條がいくつかある。記憶の中に殆どなかつたものも結構ある。

罽賓國。王治循鮮城。去長安萬二千二百里。不屬都護。戸口勝兵多。大國也。

と始まる罽賓の一條には、向背定まらぬガンダーラの樣子が描かれ、漢朝でも處遇に困り、適當にあしらつておけと突き放す顚末が記録されてゐる。その道中が剩りに嶮岨である。

又歷大頭痛小頭痛之山。赤土身熱之阪。令人身熱無色頭痛嘔吐。驢畜盡然。又有三池盤石阪。道陿者尺六七寸。長者徑三十里。臨崢嶸不測之深。行者騎歩。相持繩索。相引二千餘里乃到縣度。畜隊未半阬谷盡靡碎。人墮埶不得相收視。險阻危害不可勝言。

その難路を踏み越えて西域都護の管區にやつて來るべくもないのだから、程ほどにあしらへといふ廷臣、杜欽の言である[杜欽は杜甫の遠祖]。それにしても凄まじい道中である。NHKのディレクタが遭難したのも、この邊りだつた筈だ。

國は氣候も温和で豐かだつたらしく、

種五穀。蒲陶。諸果。糞治園田。地下溼。生稻。冬食生菜。其民巧。雕文刻鏤。治宮室。織罽。剌文繡。好治食。有金銀銅錫以爲器。市列。

と見えてゐる。アイガイオンと比べると、潤ひのある世界は眩しいばかりだ。水氣から言つたら、アイガイオンの方が潤つてゐるのだけれども。


1 東日本大震災後の計畫停電である。

2 François de Polignac, La naissance de la cité grecque, Paris: Éditions la découverte, 1984.


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平成二十二年八月十四日土曜一筆箋
平成二十三年三月十八日金曜一筆箋
平成二十五年二月二十三日土曜修訂上網
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夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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