あの日から九年

夕霞堂隱士元夏迪

平成十二年八月三日木曜快晴暑熱、一年四箇月勤めた豫備校を辭めた。英語と漢文を擔當したが、漢文の仕事は一秒もなかつた。專ら下手くそな英語を教へた。採點解説員格ながらに、やり甲斐のある仕事であつた。

二千年問題に搖れるJRを尻目に、年越し勤務をしたのもここであつたし、最初の學會報告を仕度するために、希語辯論を讀む内職に邁進したのもこの職場であつた。そろそろ平成十二年、西紀二千年といふ夜分、竝んで仕事をした理數科擔當の詰め講師に「先生何をお讀みで」と訊かれ、イソクラテースでござんすと應じたら、ひどく難しさうですなあ、でもセンセ樂しさうですと微笑んだ講師が經營トップに立つ役員であつたことなど、平のバイトには知る由もなかつた。

平常勤務でも、教室の見廻りに來る小柄な事務員が、時々隣に坐つて仕事の手傳ひをしてくれるのを訝しく思ひながら、手の空いた折に漢文を讀んでゐると、これまた何をしてゐるかと訊かれ、御覽の通り漢籍です、不佞は漢文科の講師でもあるのですぞと答へたものである。この仁は英語科主任で、やはり豫備校の役員であつた。

辭職の日、事情はよく判らないが、その科目主任兼幹部に通常の午前勤務をキャンセルされた上、國分寺某ビジネスホテルに連行された。安つぽい疊敷きで二人で大檢の問題を解き、囘答をつきあはせてピタリと揃つたことを確認の上、その場を辭した。

詰め掛けてゐた幹部の面々に、本日を以て辭職する、世話になつた、アルバイトの下つ端ながら、最後にこのやうな變はつた仕事を命ぜられ、愉快であつた、これから本務校舎に戻り、木曜午後の平常勤務に戻り、退勤と同時に辭職すると云ふと、何故辭職するのかとひどく驚かれ、慰留を始めた幹部連に、國を出て勉強するのだと事情を説明すると、それならば已むを得まい、戻つて來たらまた是非頼むと送り出してくれた。今も通勤の度に、その某ビジネスホテルを見る。

十七時四十五分に退勤してから九年。八月二十七日日曜に各科同僚講師が暑氣拂ひを兼ね、渡英を祝つてくれてから九年。講師の一人が營むバーで、辭職した余に家内まで招いて呉れた會合は嬉しかつた。その時の同僚の一人と會へることとなつた。職場も大分變はつたさうである。萬感胸に迫るものがある。

平成二十一年七月二十日一筆箋
平成二十二年五月五日修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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