今昔 某君宛のメイルから

夕霞堂隱士元夏迪

元夏迪復啓。

返信痛み入ります。四十前でフリーター同然の生活故に、頗る狹い世間に暮らす身の上ながら「この年になると仕事以外のつきあひは貴重」と云ふ君の述懷には、大いに共感する所があります。

先日これまた氣紛れに同期の甲君へメイルを書き送つたら、駐在先の北京から返事を寄越して、これまで出張した中國各地の地名をズラリと列べて尋ねるんだよ。氣が附いたかつてさ。

隨分邊鄙な街もある。聞いたことのない地方も混じつてゐる。ハテなんだべとメイルを讀み進めると「さう、お察しの通り、新疆だけはまだ取つてあるんだ」。

君と一緒に西域を訪ね、歸朝後に下北澤の甲の部屋でスライドを見せた。隨分昔のことなのに、今も鮮明だと云ふんだよ。自分にとつて特別な新疆にはきちんと時間を作つて、仕事拔きに出掛けようという肚らしい。

乃公はあの日の下北澤で、いつか共にユーラシヤを横斷しやうぜなぞと、稚氣の至りと笑ふべき約束まで交はしたらしく、甲は今も律儀にその日を待つてくれてゐる由。

來年秋には歸朝の見通しで、神樂坂の自宅も戀しいが、今の生活にも未練を覺えるといつた趣旨も書き添へてあつた。勿論、甲が神樂坂に自宅を構へてゐるとは初耳だし、彼の立場も、今囘のメイルに竝んだ厖大極まる出張先に驚いて檢索する迄知る由もなかつたさ。何せ、一別垂二十年だ。我昔の我ならず、君も昔の君ならじだ。別々の世界に暮らして二十年、それでも遠い昔の一瞬が、今もしつかりと生きてゐる。

君の述懷を見て、甲も同じ氣持ちなのであらうと思ひ、甲のメイルを見て己が懷いた感慨も、要すればさういふことなのだと氣附いた次第さ。

平成二十一年十二月九日一筆箋
三月九日修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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