因縁生起

夕霞堂隱士元夏迪

些か舊聞に屬しますが、七月二十二日に初めてbumps(バンプス、衝艇)を見物しました。夕食に招いて呉れた知人の計らひで、食後の散策に川縁を歩き、張りつめた薄暮の空氣の中で力漕、遡上してくる艇を眺めました。

耳朶に響くのは操艇の號令と、漕手の荒い呼吸、水面を打つ櫂の音。艇は次々に眼前を過ぎり、ある艇は敵艇衝突に全速航行し、ある艇は既に勝負を終へて、艇庫に廻航する風情です。勝者は柳樣の枝で身を飾り、敗者の櫂先には疲勞の色が滲み出る。勝敗の哀歡や、勝負の氣魄が傳はる一方で、眼前の光景には夢現定かならぬ頼りなさがありました。

實に不思議な感覺でした。遠い異國で物珍しい風俗を目にしたからか、平たい原野に蛇行するケムの水面に竒異の念を抱いたからか、將たまた菫色に染まる薄暮の空の惡戲か。御招待戴いた知人と、異郷で巡り會つた縁をしみじみと噛みしめてゐたのかも知れません。

八日には八箇月ぶりに出京しました。劍橋に逼塞してゐると、交際の幅が極端に狹まり、しかも豫想外の人種に出會ふ確率は甚だ低い。そこへ行くと倫敦は、やはり植民地帝國の都だけあつて、色々な人が犇めいてゐます。肌の色、出身地域によつて職種に露骨な偏りも見られます。そんな倫京に半日を送り、ふと立ち寄つた雜貨屋は、バングラディッシュ(かインド)系の店舗でした。

流石に都は夜も遲く、劍橋では五時に閉まる商家も、ここでは九時を囘つてなほ活溌に商賣を續けてゐるな、と思ひ思ひ周圍を見廻してをりました。冷飮を竝べる棚の前で、店員が段ボールを潰してゐます。ゴミに出す仕度をしてゐるのでせう。三人掛かりで默々と作業を續ける樣に、彼らの人生を思ひました。

勿論、全く見當はつきませんが、彼らもやがてどこかで土になるのだなと思ひ至ると、得も云はれぬ感慨に襲はれました。「人間至るところ青山あり」と一脈通じる所があるかも知れません。別世界に生きる彼らと、日々閑文字を弄ぶ不佞の人生とが、確實に繋がつてゐるのを感じました。

世には英國を好み、態々渡英なさる人がゐます。我が身を振り返るに、格別英國好きでもない、英語は嫌惡して憚らなかつた人間が、いつの間にかケム川の畔に佇んでゐたり、倫敦クインズ・ウヱイの商舗でバングラディッシュ人の働く姿を眺めてゐたりする。そんな折に、これは全て夢ではないかと思ひます。

さうした違和感のやうなものがケム川での夢現となり、さうした違和感をものともせぬ縁起の力が、バングラディッシュ人に繋がる人生を感得せしめるのでせうか。渡英してからこのかた、常に身邊につきまとふ違和感をかうして言語化できたのは、この一月で最大の收穫だつたと思ひます。

平成十五年八月十一日一筆箋
同日修訂上網
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夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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