囘顧と慚愧

夕霞堂隱士元夏迪

さる學會で「インペラトール・ロマーヌム[マヽ]」といふ言葉を聞いた。質疑應答の際に、報告者、質問者、司會が擧つて口にした言葉である。

恐らくはインペラートル・ローマーヌムimperator Romanumなのであらう。しかし、この二單語は聯語ではない。ローマーニス*Romanisといふ名辭を想定し、その複數屬格としてローマーヌムを處理しない限り、インペラートルとローマーヌムとは、文中獨立した要素として機能するものと見なくてはならない。而して「インペラトール・ロマーヌム」を以て「羅馬皇帝」といふ意味を通はせたいのであらう。ならばせめてインペラートル・ローマーヌスimperator Romanusであらうし、場合によつてはインペラートル・ローマーノールムimperator Romanorumでなくてはなるまい。勿論、その何れも人工的な語法である點は否みやうもない。

報告の主眼は、フランキヤの君公の稱號を、ビザンツがどう見たのかといふことであつた。フランキーの酋長は慥にインペラートルを稱したが、その帝號はインペラートル・ローマーヌスでもなく、インペラートル・ローマーノールムでもなく、そして勿論インペラートル・ローマーヌムでもなく、インペラートル・ローマーヌム・グベルナーンス・インペリウムimperator Romanum gubernans imperiumである。「羅馬の版圖を統治する皇帝(或いは、元帥)」の意であり、「羅馬皇帝」ではない。

建國記念「の」日と、「建國記念日」との間で大論爭を繰り廣げた本朝の歴史學界が、斯くも重大な差別を看過してゐるとは思ひたくもないが、しかし、眼前で繰り廣げられる質疑應答の「インペラトール・ロマーヌム」の背景をしかく解釋せぬ限り、文法の初歩を蹈み外した方々が背廣を着て、ネクタイを締めて、嚴かな場で學術的な討論を戰はせてゐるといふ、得も云はれぬ喜劇に耐へねばならぬ苦衷に苛まれ、思はず顏を伏せてしまつた。

平成十八年十二月二十九日一筆箋
同日修訂上網
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