輕い失望から入つて仲良くなる

夕霞堂隱士元夏迪

月曜1、急に決まつた會合で新宿に出る。新しい企畫が動き出す。

所によつて驟雨が襲つたり、襲はなかつたり。新宿は雨に洗はれたやうだけれども、途轍もない豪雨が來ると警報の出た上水の滸には雨粒の一つさへ落ちなかつたとか。その樣子を歸路の中央綫に搖られながらメイルで讀み、コツペパンのやうな雲、鼻をかむ前の鼻紙のやうな雲、それを浮かべる新橋色の空を眺める。

譯あつて吉祥寺のヨドバシカメラに行き、デヂタル一眼レフCanon EOS 60Dを買ひ込む。レンズは買はない。自宅には永久貸與を受けたり、讓渡されたりしたEFレンズ羣が轉がつてゐる。銀鹽機のCanon EOS 3, EOS 55に使ふものが、そのまゝ轉用できる。知人はデヂタル機に銀鹽時代のレンズぢや色収差が出るよと忠告してくれたけれども、これで飯を食ふわけぢやなし、常用には十分だらう。店員も同意見であつた。

機構の説明を讀んで、演習旁々試し撮りをしてみると、物足りない。撮影した齣が無色透明に近い。強ひて言へば、ほんのり黄色い。その黄色が味になればいゝのだけれども、コクがないのだ。収差がどうの、といふレベルではない。もつと露骨だ。工場出荷状態だし、レタツチもしてゐないから──しかしレタツチはしない質である。工場出荷の設定がどうなつてゐるのか、もちろんまだよく判らないけれども、手前勝手に設定を弄つて作り出す色つて何だらう。よく言えば作者の自由なんだらうが、レンズやカメラの個性の缺如といふか。白熱燈の面白みにかなはない、螢光燈の悲哀といふのか。

銀鹽機だとフイルムの特性でも色に差が出る。不佞が愛用する(した)フジのリバーサルと組み合はせると、EFレンズは淡い紫の照りを添へた世界を見せてくれた。FDレンズは、それにごく微量の螢光色を混ぜた華やぎを呉れる。何年も使つたあげく、交換バツテリが手に入らなくなつたCanon IXYにも、その色味は生きてゐた。

常用するLumix DMC-ZX1に搭載されたLeica DC Vario-Elmarが描き出す、青く細かい空氣と、肺腑に心地よい濕度が釀す世界の深みにすつかり慣れてしまつたのかも知れない。使ひ込む前にCanon EOS 60Dとレンズのことをあれこれ言ふのは野暮と言ふものである。それは判つている。でも、と文句が出る邊り、すつかり目が奢つてしまつたのかも知れない。

かうやつて人はたつけえライカの深みに填り込んで、身上を喪ふことになるんだな。不佞はCanon EOS 60Dを使ひ込んでやらう。

1 平成二十四年九月三日月曜。

平成二十四年九月四日日曜一筆箋
平成二十四年大晦日月曜修訂上網
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夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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