教授の效果

夕霞堂隱士元夏迪

希語を講じ初めて、十箇月近くなる。受講生も大分樣になつてきた。文章の流れを緻密に讀んで見せることも増えてきた。自分の問題點も把握するやうに努めてゐるらしい。喜ばしい限りである。

今週は更に成長を伺はせる發言が出た。譯讀當番が、

ei d’éti perimenÛmen,

といふ件に差し掛かる(Pl. Cri. 46a6-7)。「あつてはならぬことながら、萬萬が一にも、まだぐづぐづと管を卷いてゐようものなら」といつた含みの件である。

當番はペリメヌーメンperimenÛmenが(多少不規則性のある)未來形であることを看破した。その結論に至る道筋を訥々と説明する。言語學的な説明ではないが(當面、こちらもそこまでは求めない)、自分がどのやうな情報を參照したのか、それをどのやうに判斷したのかと語る。スマートな道筋を辿つてゐることが判る。

更に云ふ。條件節を導く接續詞エイeiの後ろに未來時制の動詞が直説法におかれてゐるといふのは、私にはちよつと判らない現象ですから、含みを掬へませんので、差しあたりこれが現在時制で述べられたものとして譯します、後で御説明願ひます云々。

希語で高度に發逹した條件文のうち、條件節中で未來時制の直説法動詞を置くといふ型は、少し特殊である。「感情的(激情、ヒステリックの婉曲語)未來emotional future」といふ語法に屬し、その出現には相應の文脈を必要とする。また、先代講師より引き繼いだ、教室指定文法書(名著である)にも、この現象は立項されてゐないため、學習上の困難が伴ふ點でも、特殊なのである。

目の前のテキストに、自分の知らない文法事項が存在することを見きはめ、これを調べても調べ當たらぬことを知り、問題の所在を見拔いた受講生は、慥に希語能力を身につけつゝある。失禮ながら、もう大分お年を召した方々だ。それでも、である。人間とは凄まじいものらしい。

平成二十年正月二十三日一筆箋
同日修訂上網
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夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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