澀谷道玄坂方面

夕霞堂隱士元夏迪

六日土曜、研究會の前に澀谷の東急本店で「ポンペイの輝き」といふ展觀を見る。會場の設營が不味く、見物客の混雜と相俟つて、廻るのにも骨が折れたが、まづ見應へはあつた。

これでまともな解説がついてゐれば言ふことなし、とは無い物ねだりであらうか。モノ系の學者(學生?)の仕事にありがちな混亂と晦澀、誤解と誤譯が目につく。

道玄坂方面は久振りである。澀谷(に羣れる人々)を嫌ひ、餘程のことがない限り足を踏み入れないことにしてゐる。それでも十五年ばかり前に毎日歩いた道筋が懷かしくなり、神泉(しんせん)驛を使はずに澀谷驛で下車して歩く。

歩いてみて驚いた。玉久のボロ屋がない。美美藥局がサトちやんごと消滅して、更地になつてゐる。藥局の壁に掛かつてゐた戀文横丁の看板もないし、もと横丁の汚い路地は赤つぽい地面を剥き出しにして、燦々と五月の太陽を浴びてゐるではないか。

變はらないのは街に集ふ若人ばかりである。否、若人が街に集ふことばかりである。歸路は蒼惶として驛に向かふ。否、雜沓が厭はしく、路地に入つて近道をした足取りは寧ろ、蹌踉としてゐたに相違ない。

平成十八年五月九日一筆箋
同日修訂上網
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夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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