壽命

夕霞堂隱士元夏迪

午前十一時四十六分四十七秒で秒針が痙攣を起こしてゐるのに氣づいたのは、バスに乘つた時刻を確かめようと袖を捲つた時のことであつた。

廢業した本郷金星堂の翁に、戰前から見續けてきた大學の人情や、翁自身の閲歴を聽きながら電池を替へて貰つたのも、つい先頃のやうな氣がする。支那事變の時にはね、と云ひながら、撫で附けた白髮の翁は確かな手つきで腕時計の裏ぶたを開けた。セイコーの時計はいゝよね、僕のもセイコーですよと、昔語りに時計の蘊蓄が交じる。

何となく氣に懸かつたまゝ一日を暮らして出先から自宅最寄り驛まで戻り、驛の上の雜居ビルに間借りする時計屋に立ち寄る。電池の交換は十分で終はつた。古い電池を受領し、その裏に特殊な筆法で書き入れた、金星堂主人の交換日を見る。腕時計の電池はどれくらゐ保つかと店員に訊くと、一年半位ですかね、それよりも早いやうだと、時計の機構に故障が生じてゐると見るべきでせうが、と云ふ。

壽命といふ言葉が生々しく耳朶を打つたが、古い電池はその壽命よりも半年以上長く持ちこたへ、天壽を全うしてゐたことを知る。胸の痞へが下りた。

平成二十年正月十五日一筆箋
同月十六日修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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