闇の中の昭和の世界

夕霞堂隱士元夏迪

街の中華が拉麺屋の謂であつた時代そのまゝの店内。人足向けの分量に、シンプルな味附けの拉麺が旨い。五月蠅い拉麺通の姿はないし、彼らが好む五月蠅い味、くどい味、判りやすい味もない。「人類の永遠の口の友」とはよく云つたものである。滋味豐かだ。

週末の宵の口に、ぽつかりと時間が空いて、數箇月來懸案であつた拉麺屋に自轉車を飛ばす。日頃は脚を伸ばさない商店街で出會つた思ひがけない味はひ、店の設へに、高等學校時分に通ひつめた「百七十番」(廢業)の三百圓拉麺やら、親父が臺所を散らかしまくつて作つた割には旨くなかつた御自慢の拉麺を思ひ出す。一口に云へば、昭和の佇まひである。貧しげで頼りなげな現状ではあつても、將來の明るかつた時代である。

歸路、特賣日のユニクロ。バスのやうな車で乘り附けた人々がガサガサと無秩序に動いてゐる。店内が狹いから氣になるのか。隅に立つて眺めてゐると、さうでもないやうだ。これとよく似た光景を見て、不快の念を抱いたことがある。イギリスだ。吁嗟[あゝ]、この國も落ちぶれたのだ。なりは一見こぎれいだが、大切なものをなくした我々は、やがてあの國のあのやうな人々の仲間になるのだ。

汚くて明るい昭和の殘滓から、こぎれいで暗い平成の旗手に移動する間、わづかに五分。落差に拒絶反應が起きただけなのかも知れない。さうであつて欲しい。闇の中、五分昔のあの世界には、小さく暖かい昭和が息づいてゐた。恰も別の惑星だ。「大四疊半惑星の幻想」であらうか。さうであつて欲しい。大四疊半は縁故の深い本郷にあり、時代は昭和四十年代である。そしてその惑星は「明日の星」と呼ばれてゐる。

平成二十二年十一月二十日一筆箋
翌日修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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