教師冥利

夕霞堂隱士元夏迪

クリトン「だから僕のいふことを聽いて、是非さうしてくれ給へ」
ソクラテス「さうだよ、クリトン、それも僕の心配の一つだが、まだ外にもたくさんあるのだ」

牢に繋がれたソークラテースに、クリトーンが脱獄を勸説する件です。金の心配をしてゐるんぢやないか、そんな心配は無用だ、自分(クリトーン)らが金を用立てる、それを鼻藥にして脱獄してくれといふのです。右は岩波文庫に收められた、久保勉[まさる]氏の譯文です(プラトン『ソクラテスの辯明・クリトン』の『クリトン』第四章)。

原文では(Pl. Cri. 45a3-5

kr. all’emoì peíthei kaì mÈ állOs poíei.
sO. kaì taûta promEthÛmai, Ô krítOn, kaì álla pollá.

直譯すると「四の五の云つたけども、とにかく儂の云ふことに耳を藉せ、それ以外にあれこれやるのはやめにしてくれ」「お前が口にしたことも氣には懸かつてゐるんぢや、クリトーン、それに他にも色々と、のう」といふ感じになるでせうか。

ソークラテースの言葉遣ひは、一應親友の云ひ分を聞き、顏を立てる恰好になつてゐます。その上で、自分の本懷を開陳しようと試みます。ここに、俗物クリトーンに歎息する一方で、その俗物への勞りと、淡い感謝の氣持ちを示す、ソークラテースを見ることが出來ます。

しかし、プラトーンの描くソークラテースといふ人物は、駄洒落を好み、飄逸な表現を驅使する、捕らへ所のない老人です。この件にも、それが遺憾なく發揮されてゐます。

「それ以外にあれこれやるのはやめにしてくれ」といふ部分と「それに他にも色々と」の部分には、何れも「他の事(アッラ)」に相當する字句が盛り込まれてゐます。クリトーンの云ひ分では、自分の勸説に耳を藉せ、それだけでいい、今のやうに、つまらない理窟を捏ねて無駄死をするな、といふ工合に、「アッラ」の派生語である「アッロース」を使ふことで、「耳を藉せ」といふ部分を強調します。ところが、ソークラテースは、お前の云つてくれた心配事は、自分にとつても氣に懸かることではあるが、それよりも氣になることが色々とあるのだ、お前の云ひ分に耳を藉す譯にはいかない、といふ鹽梅で、「アッラ」の方に焦點が當たるやうになつてゐます。二人の言葉は、同じやうな部分に、同じやうな云ひ廻しを盛り込みつつ、向きは眞つ逆樣になつてゐます。ソークラテースの眞面目と云ふべきでせう。

不佞は某所で中高年の初學者に『クリトーン』を講じてゐるのですが、不覺にもこの「アッラ」の語法に潛む、ソークラテースの飄逸を見落としてゐました。見落としたまゝでも、對話の流れは變はりませんし、ソークラテースの慰藉がクリトーンに差し伸べられてゐる事實は感得してゐました。九十分間、ひたすら希語の文法を講じ、擔當者の譯讀を批判し、最後に質問は、と訊ねたところ、その日の擔當とは別の御仁が、「先生、このアッラは」と口にして、衝撃を受けたのでした。

希語を發音させても、どちらかと云へば不噐用なこの御仁が、かくも美事な解釋を提示したことに、衝撃は軈て感動に變はりました。希語の講師をして本當によかつたと思ふ瞬間でした。

平成十九年八月十一日一筆箋
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