街角に埋もれる喫茶名店

夕霞堂隱士元夏迪

昨日午後に東京驛八重洲口方面大地下街レモン・ロードにある喫茶店「アロマコーヒー」と出會ふ1。禁煙席が八席だけ、分煙とは名ばかりの辛い環境で啜るのは薄い珈琲。なのに撓(しほり)の風情が漂ふ空間は、ひよつとすると本格的な喫茶店の底力の賜か。

有名な所ではありますが、新宿の老舗「らんぶる」。法語で琥珀を意味する店名に相應しい時代が内部の空間に封じ込められ、よい輝きを放つてゐます。名曲喫茶を名乘り、高價な機材で西洋近代の古典音曲を流してゐますが、大きな空間に深く靜かにさやぐ客の談話で、耳に集中しないと聞き漏らす音量にしてあります。それもまた好もしい。會話の最中、ふと耳に屆く音色が、却つて新鮮です。

池袋東武地下にある「亞麻亞亭」ホウプセンタ店も穴場です。先日御紹介した東京驛地下街にある「アロマ・コーヒー」と比べると、地下街の規模も小さく、薄つぺらい池袋の地下街に位置しますが、その分明るい感じのする店です。飮料の味に、隱れた名店と呼びたくなるものが光つてゐます。

名門喫茶の櫛比する吉祥寺では、站前公園口を出て眞つ正面のビル二階に間借りする「喫茶ルノワール」吉祥寺店。以前は壽司屋か大衆割烹であつたのではないかと思はせる店内で呑む、御存知ルノワールのブレンドのそこそこのお味。ルノワールと言へば營業マンの晝寝の場です。その傳統にも忠實に、低く、柔らかい椅子が眞晝の快眠を御約束。

ヰキペディアには「名曲喫茶」の項目があるんですね。なかなか面白い記事に仕上がつてゐます。

昨日、足が向いて三鷹驛前の喫茶店「珈琲家[コーヒーヤ]」に入りました。閉店時間の二十二時近かつたせゐかもしれませんが、常連と覺しき老齡のマダムが若い店員と低い聲で話を交はしてゐました。好もしい情景でした。ブレンド珈琲には「ストロング」と「マイルド」「おりじなる[マヽ]」があり、他に日替はりのお努め品があります(昨夜はモカマタリでした)。(人造?)革を張つたソファ表は罅が入り、裂けたものばかり、そこに小さめの卓子を置いた席が十もあつたでせうか。カウンタの卓子は大變に廣くて快適です。店内はチヨコレイト色に塗つた木材が使はれ、ゆつたりとしてゐます。カウンタ席の端、空調装置の鄰に坐つてブレンドのマイルドを啜ると、昭和の昔が甦る膨らみがありました。空調装置のフイルタから漂ふニコチン臭が、零系新幹綫の車中と同じ匂ひであつたゝめでせうか。

かふぇ・ぺしゃわーる。今時全席喫煙とは珍しい。潔さすら感じる。名の通つた旅店の地下に店を構へる意地であらうか。客は煙草の飮み方を辨へてゐるはずだ。辨へない野暮天は來ないはずだ。客に寄せる信頼の表れなのかも知れない。

鉋の跡が殘るやうな黒い梁が壁の漆喰に引き立ち、鶯茶の卓が低い天井に迫る風情は、洞の中を思はせるが、その割に壓迫感を與へない。寧ろ細やかな空氣を釀し出す。卓上の燈りが淡黄の光を放つてゐる。漆喰の壁に反射して、そこゝゝに陰翳と濃淡を作り出す。目の前の空氣が祕めやかに香る。

暗い英國の寂れた町で、時代に取り殘された民家や茶店で腰掛ける時と同じ空氣が目の前に漂つてゐる。しかも今晩、向かひには懷かしい顏ぶれが腰掛けてゐる。その暗い英国を倶に過ごした仲間である。知り合つて十年以上經つても、お互ひあまり變はらない。そんなありきたりな話が出ても、「ありきたりな」では濟まない厚みがある。多分、この空氣が肌に染みこんでくるからだ。つい先程、仲間の結婚披露宴に侍り、人生の節目に立ち會ひ、却つて不易が目を惹くといふこともあるだらう。

カイバル峠の麓の古壘に肖[あやか]つた店名も、人生の交差點に對する思ひを引き出す。店内を見回しても、ペシャーワルを思わせるような物は目につかない。歸宅して店のホウムペイジを檢[あらた]めるに、井上靖が命名したのだといふ。西域を愛し、浪漫を愛した作家のやりさうなことである。彼が何を思つてこの地名を選んだかは判らないが、古來、文化の四衢として名高いペシャーワルに因んだ店で、地球の裏側を倶に歩いた古い仲間と再び對座し、變はらぬものを眺めたのだから、作家の目論見は案外の成功を収めたと言ふべきであらう。

1 平成十八年十二月十九日日曜。

平成十八年十一月二十日月曜舊一筆箋
平成十九年十一月十五日木曜舊一筆箋
平成二十年三月三十一日月曜舊一筆箋
平成二十四年四月一日日曜一筆箋
同日修訂上網
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夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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