昨春劍橋で梱包した寫眞機二臺とレンズ羣を初めて本朝の空氣に曝す1。
觀念的、感傷的な表現ではない。寫眞機本體の反射板空間やファインダ、レンズの鏡胴、レンズとフィルタとの間など、機密性の高い部分には劍橋の空氣が濕度もそのまゝに閉ぢこめられてゐるから、室温でも結露してレンズは曇り、ファインダが濁つてしまふ。本朝の空氣に曝し、風を通して使用に備へねばならない。
數分にして舊に復し、レンズを裝着出來るやうになつた。落ちてゐたバッテリの起電能力も持ち直したやうである。電子部品を多用した機噐とはいへ、環境に馴染ませなくてはならない邊りに、道具としての面白みがある。個體差が生まれるのもそのせゐであらうし、愛着が涌くのもそのためであらう。
寫眞機を片手に歩くと、いつもとは違ふ視線で周圍を睨め廻しているのに氣附く。繪端書のやうに綺麗な寫眞を撮るのは性に合はない自分が一體どんな視綫で、と自問自答するに、これといつた言葉も浮かんでこない。その答を見附けるためにファインダを覗くのもまた、寫眞の愉しみ方である。