武藏野の一隅で

夕霞堂隱士元夏迪

昨土曜日には結婚式一件。武州は快晴に惠まれました。色づく梢の輝く一日でした。

式場は渡英直前まで暮らしたアパァトに近く、丸三年を間に置いて再訪した目には、何もかも懷かしく映りました。軒の低い八百屋、時々麩饅頭を買ひに走つた和菓子屋、坐つて想を凝らした天神の境内、賞味期限を二年も過ぎた煎餠を買つた菓子屋、三度醤油拉麺を啜つた中華濱福、游ぶ元手も時間もなかつた黄金週間に束の間の休息を味はつた園藝品店の庭先。

殊に自分たちの住んだ部屋の出窓を道から見上げる心持ちには、筆舌に盡くし難いものがありました。ここを立ち去る時、振り返つてアパァトの名前を見上げた時、こみ上げてくるのは不安ばかりでした。外つ國に暮らせようか。暮らすばかりではなく、勉強は出來るであらうか。まともに成果を上げることが出來ようか。まともな成果を上げてゐるとはとても云へない現状ではありますが、離日直前の緊張を滑稽に思ひ返すだけのゆとりは、この三年で養ひ得たやうです。時間の積み重ねを噛みしめながら、式場に足を運びました。

披露宴は場所を遷して武藏野に走る斷崖の縁。斜面に廣がる庭には數寄を凝らした茶室や觀音堂を設へ、面白い樹木や岩石を配し、これを洋館二階建てが見下ろすといふ結構。控への間に當てられた二階の一室からは、日野の山竝みが見え、間に横たはる多摩の河床には無秩序な屋根の波。電柱をアクセントに、燈りの入つた窓などは、この洋館を立てた主の趣味ではないでせうが、不佞ども夫婦には、このゴミゴミとした風情が却つて好もしく映りました。控への間に下がるシャンデリア(と云ふのであらうか)には金色を多用し、火屋の硝子に葡萄葉の模樣を刻み、控へ目の電燈に妖しい輝きを放ちます。窓外の夜が澄んでくる感じは、何と言つても本朝ならではのものです。

この披露宴に滑り込み、明日は再び機中の人となるといふ香港婦人とポツリポツリと御話をし、贅を盡くした膳を戴いて宴を辭し、放射冷却で冷え込んだ夜空に歩く驛前商店街の錆びた味はひは、一日を締め括るに足る豐かな心持ちでした。新郎新婦に幸多からんことを念じて已みません。

平成十五年十一月二十三日一筆箋
平成十七年九月十五日修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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