日常に濳み、世界を拓く「新」の深み

夕霞堂隱士元夏迪

「新」が斧で斷ち割つた木の斷面を示し、それが轉じてアラタシの意を帯び、これがアタラシに訛つたと聞かされて、腑に落ちたのはアラタシがアタラシになるところだけだつた。「ウイグル」が「ウルグイ」になる傳である。何で立木。何故斧。切り口に何の意味が。

六日木曜、何となく判つた氣がする。世の中に新しいものなぞさうはないし、それほど簡單に作り出せさうにない。しかしそれは無から作り出さうとする場合だ。創造である。

斧で立木を切ると、それまでになかつた面が現れる。その切り口は樹皮とは違い、みづみづしい。新しい。それまで聳えてゐた上部が切り落とされ、その空間が樣變はりする。新たに露出した切り口は、新たな座標軸を生み出す。從來とは異なる文脈を齎す。そのやうな變事を切り口といふ物象に見いだしたのが、「新」の感性だとすれば合點が行く。今までとこれからの對比を通じて「新」が際立つ。刃の一閃に速さと驚き、恐怖を感じてゐるのかも知れない。呆氣なく、あつといふ間もなくがらりと世界が變はる。

創造の場合、「新」を認識するのはさほどたやすくはあるまい。「新」よりも寧ろ「異」である。新舊を論ふためには、創造の現場と舊來の世界を全て視野に収めねばならない。そのやうな視野を持つ人は勿論少ない。

平成二十四年九月六日木曜一筆箋
平成二十四年大晦日月曜修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
inserted by FC2 system