英會話

夕霞堂隱士元夏迪

その一

スウツを着て近所の生協に行きました。スピイド寫眞を撮る裝置がお目當てです。

序でに切らした牛乳を買つていかうと思ひ、乳製品の棚に行くと、四パイント(二リットルほど)の物がない。六パイント(三リットルほど)が一本あるけれども、このサイズが冷藏庫に收まるかどうか心許ない。多すぎて、消費する前に傷み始めるかも知れない。いつも世話になつてゐる黒人の責任者に在庫を尋ねる。その返事にビックリしました。

恐ろしく慇懃。「眞に相濟みませんが、當店では唯今棚に陳列してゐる分の在庫しかございません」といふ言葉づかひはもちろん、擧措まで畏まつてゐる。こちらが恐縮してしまふほどでした。

勘定場でも同じ。少しばかり計算の苦手な別の黒人のお兄さんに、「濟みません、お釣りは五ポンド札ではなく、玉錢で戴けますか」と頼みます。一瞬「え!」といふ表情を浮かべた後、ポンド硬貨を四枚とつたり、六枚取つたりしながら、掌の上の小錢を愼重に数へ直して五ポンドを差し出す物腰は大變鄭重です。いつも顏を合はせるのにみんなどうしたのさと思ひつゝ小錢を受け取り「あゝ、助かりました。あそこのスピイド寫眞機、小錢しか使へないもんで」と告げると、こちらの出で立ちの意味を讀んだらしく、やうやく破顏一笑して「なるほどネ」。その言動はいつものお兄さんでありました。

相手の出で立ちで言動を改める社會なのですなあ。

その二

郵便局で書留を出す序でに、その店舖で扱ふクリイニングにワイシャツの洗濯を頼みました。當地の特定郵便局は、生業の一角で郵便業務を行つてゐます。

「あの、こちらローンドリもやつてゐると伺つたんですが」

ローンドリとはクリイニング屋を意味するlaundryです。本朝ではコインランドリイでおなじみです。

店員の若いお孃さんが答へて曰く「え?」。變だなあ、ランドリイぢゃなくてちやんとローンドリと發音したがなあ。どら、ま一遍。

「ローンドリです」

「ローンドリとはなんでせうか」

「ローンドリはローンドリです。cleaningですよ」

「ああ、ローンドリですね。ええ、當店ではドライクリイニングを承つてをります」

「……」

その後はスムウズに事が運んだのですが、一體何だつたのだらう。こちらの發音がをかしかつたり、間違へて覺えてゐても、そのまゝ二囘も繰り返せば、通じるのが常なのに。

邦人は子音の聞き分けが不得手なやうで、不佞も御多分に漏れません。その分いゝ加減な發音をしてゐるのだらうと反省することも少なくありません。ひよつとしたら自分に聞き分けられない差異がローンドリとローンドリにあつたのかしらん。

在英歴の長い邦人に尋ねてみたら「ポオッとしてゐたんぢやないですかね、店員の子」。さういへば乃公と目を合はせなかつたな、あのお孃さん、極東男兒に慣れてゐなかつたのかも知れない、いやいや彼女の目綫の先にはアイス桶があつたつけな、十五、六の若い心をアイスが鷲づかみにしてゐた可能性も否めない、と妄想豐かに得心した次第であります。

得心しては行けないやうな氣もします。

平成十六年九月九日一筆箋
平成十七年九月二十二日修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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