英國醫療事情

夕霞堂隱士元夏迪

十一日にギプスがとれました1。觸診をし、レントゲンを眺めた醫師は「五週間ですか、綺麗に治つてゐますなあ」としきりに感心してゐました。

感心してくれるのはいゝのですが、ギプスを取るなり「んぢやこつち來て、あつちの診察室」と、裸足のまゝ足を引きずる不佞を、あちらこちらへと連れまはします。レントゲン室にも歩いて行きました。治癒してゐなかつたら、どうなつてゐたことやら。感心してしまひます。

感心と云へば、ギプスを切除する際の電氣鋸です。ギプスは切れても肉は切れないといふ代物です。技師の女性がスヰッチを入れて、自分の掌に刃を押し當てた時は驚きました。後ろで笑みを湛ヘる醫師は「ほらね、五月蠅くてゴツイ機械だけど、アンタを屠殺するもんぢやないからね」。スロータ(屠殺)なんてオトロシイ單語を使つて呉れますな、センセ。

「臭ふといけないから息を止めたら如何」「いやァ、職業柄慣れてゐるんですよね」などと云つてゐるうちに、再び日の目を見た我が左足膝下は、殆ど臭ひませんでした。函館キプロス劍橋と、比較的濕度の低い場所で養生を續けてゐた所爲かも知れません。左腕にギプスを卷いてゐた時には、眞夏の東京で、取れた時にはもの凄かつたものですが……。感心しました。

日本で診察を受けた際のレントゲン寫眞を持參して、今囘のものと比較しました。前囘分のものには「斷層寫眞(トモグラフヰ)」といふ手法で撮影した寫眞がありました。患部を樣々な角度から連續撮影して、斷層的に觀察できるやう工夫したもので、擔當醫師はこれに異常なまでの關心を寄せてゐました。

「これ、こんなの見たことありませんなあ。日本だとタヾで撮つて貰へるの」

「讀影に自信がないなー。今囘のを見るとバッチリ治つてゐるけど、他に患部があつたりしないかな、ゴメンね、念のために上司に當たるわ」

「上司もね、いや見たことないなつて。あんまり珍しいもんだから、コピーとつた。ありがと」。

と、痛く感心してをりました。イギリスの醫療はちよつとね、と、その方面に明るい知人が云つてゐたことの意味が、ちらつと判つたやうに思ひました。

とまあ、太鼓判を押されて自宅に戻つてみれば、まだ患部に體重をかけると痛みます。腱や筋力が戻るまでには、多少の時間もかゝりさうで、暫くは大人しく養生とリハビリテイションに專心しようと殊勝なことを考へてゐます。

病院に連れて行つてくださつた某路上觀察者さんに、この場を藉りて御禮申し上げます。

自宅に戻つて見れば、アメリカの一件です。本日はこれを悼んで、大學全體で半旗を掲げてゐます。民主主義陣營とテロリストとを對置する安易な物云ひが幅を利かせ、聲高に報復を叫ぶ聲も聞こえてきます。不安なものを覺えます。

1 平成十三年九月十一日火曜、Addenbrooke’s Hospital, Cambridgeでのことである。

平成十三年九月十四日一筆箋
平成十九年正月三十一日修訂上網
caelius@csc.jp

夕霞堂文集/夕霞堂寫眞帖
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