一筆箋舊帙    一筆箋/御歸り/御問合

平成十九年九月十三日第二千八百八十一号
平成十九年十月二十六日第二千九百十号

精神修養 投稿者:元夏迪  投稿日:10月26日(金)20時41分0秒

站前北口バス通りは精神修養の道だ。自転車で走っても、車を運転
していても、神経を逆撫でされること夥しい。

通行人は横並びで車道に大きくはみ出し、ぺちゃくちゃくっちゃべ
り、あるいは立ち止まっている。自転車は右側通行だったり、僚友
と併走したり。携帯通話はデフォールトである。無灯火も当たり前
だ。雨が降ると、これに傘が附いてくる。いい加減にして貰いたい。

自動車で移動していると、更なる恐怖が。何故か宵の口や深夜に、
補助輪付きの児童用自転車を漕ぐ老人が出没するのだ。その補助輪
(不佞は「コマ」と呼んでいた)の腕が存外長く、十分に間隔を空
けないと追い越せない。中央線を跨いで追い越そうにも、対向車線
にはタクシーが陸続と連なる。事情を察して少し向こうで徐行し、
パッシングの合図を呉れる運転手もいるから、この老人、界隈では
ちょっとした有名人なのであろう。

あの老人も、恐怖のバス通りをコマ附きマイバイクで超低速で爆走
して、無念無想の肚を練ろうとしているのかも知れない。ならば同
志だ。


ミソジニストじゃないが 投稿者:元夏迪  投稿日:10月26日(金)02時08分46秒

二本の道路が交わる交差点における自動車の通行は直進、左折、右
折の順に優先せねばならない。直進が問題となるのは、自分が右折
をしようとする場合なので判りやすいが、左折車(右折する自車と
同じ方向に曲がろうとする対向車)を見ると、俄然加速して先に行
きたくなる人種がいるらしい。交差する道路までの距離を考えれば、
左折車の方が圧倒的に近いにも拘わらず、どちらが優先的に通行で
きるか判らないのであろう。大概女である。

こちらが左折車先頭で信号待ちをしている。信号が青になり、状況
に応じて、対抗右折車先頭を一台先に行かせる合図を出す。その後
に続くよう左折していると、猛然と右折して突っこんでくる車があ
る。前車に続いて早く右折してしまいたいのであろう、周囲の状況
を全然見ていない。横断歩道の人をはねる直前まで気づかずに加速
してくるのである。大概女である。

一心不乱に前方の一点を凝視しているのが異様である。誰とも視線
を合わせません、誰も視界に入っていません、放っておいて下さい
と言わんばかりの固まり方である。雑沓ですれ違う女の、あの目付
である。自動車の運転は命に関わることである。どうか視界を広く
取って欲しい。

婦人の名誉のために申し添えれば、運転のうまい女は文字通りの達
人である。後ろに就いても、対向車として遭遇しても、安心して運
転できる。こちらが道を譲れば、きちんと礼も返ってくる。ただ、
そうした婦人の数が少ないだけだ。


2.1.8a9 投稿者:元夏迪  投稿日:10月26日(金)01時47分4秒

miの最新版が公開された。


2.1.8a8 投稿者:元夏迪  投稿日:10月25日(木)00時02分23秒

miの最新版が公開された。


十三屋の栗名月の宵に見た 投稿者:元夏迪  投稿日:10月24日(水)22時15分19秒

夕方バスで家路に向かう。左一番前の座席には、御婦人が既に腰掛
けている。運転手のクラッチ捌きを観察できず、残念だ。已むなく
右列一番前、運転席の真後ろに坐る。愚妻は左列二番目、進行方向
に対して横向きの長椅子に座る。

四丁目の交差点を左折し、バス停に近づく頃、前方を見詰める視界
の左端、バスの通路を前に歩く女を見た。見た気がした。高い位置
にある座席から見下ろす恰好だったので、中学生くらいの体格に感
じた。

バス前部の降車口には誰もいない。まさかと思い、視線を向ける。
バスの床には差し込んだ街灯が走行に合わせてまだらに回転してい
る。光の加減で錯覚を起こしたのか。あの生々しい気配は目の錯覚
で生じるものではないのだけれども、鳥肌がたつでもなし、ならば
やはり光線の仕業だとしておくか。

橋でバスを降りる。妻が訊ねる。四丁目交差点を過ぎた辺りで左側
最前列、自分の前の席に婦人が座ったのを見たか。妙なことを訊ね
るものだと思いながら、少し引っかかりを覚える。問題の婦人は、
始発のバス停で真っ先にその席に陣取ったのである。だからこそ不
佞はその右隣、運転席の真後で我慢したのだ。

「最初から坐っていたよ」

やっぱり、と妻は言う。交差点を過ぎる辺りで婦人が自分の目の前
を過ぎった、自分はボンヤリと見送ったのだが、車輌前部の両替装
置に目をやっても人はいないし、走行中に人が降りることもない、
ならば自分の前に坐るしかないが、前の座席にはずっと人が座って
いた。

どうも不佞と同じものを見たらしい。オカルト的なものは感じなかっ
た。ただ、気配だけは濃厚で、視界の隅を過ぎる姿も存在感は十分
であった。空気がぐにゃりと曲がったようにも感じた。

バスに憑いている理由までは、さすがに判らない。


land of technological achievment 投稿者:元夏迪  投稿日:10月22日(月)21時51分6秒

のっぼさん、よう御越し。連合王国で無線接続とは。お笑い『リト
ルブリテン』第一期の幕開きに「我が国の技術水準の高さたる、水
道運用既に十年
」も顔色なしの時代を迎えました。

先ほど本朝でロボット展示会が始まったとのニュースに接しました。
壮大な技術を積み上げながら、恐ろしく下らない用途を提案する技
術者に呆れて、画面に向かい「ウォシュレットと同じだな」と一人
ごち。

その意[こころ]を問われ、「あれこれやって、結局肛門に水を引っ
かけているだけ」と答えた所、一筆箋に書いておいて欲しいと懇望
されたので、念の為に。


赤福、マイラブ 投稿者:愚妻  投稿日:10月21日(日)10時17分48秒

のっぼさん、ロンドンでの生活も大分落ち着きつつあるようで、何よりです。
ワイヤレス接続、その後順調にいってますか?かつては、イギリスではMacは
存在を無視されているような感じでしたが、最近は多少ましになったんでしょう
か。

我々はケンブリッジではBTYahooでADSL接続してましたが、そのモデムが大変
不出来でMacとの相性が悪くて、etherネットケーブルを一旦認識すると、その後
スリープする時に必ずカーネルクラッシュするという現象があり、そういう仕様だ
から対処不可能との事でした。そんなわけでケンブリッジではカーネルクラッシュ
が日常茶飯事となっていたので、そういうもんなんだろうと思っていたのですが、
やっぱりそういう訳でもないらしく(苦笑)、帰国してからのこの二年間、あの悲
しい画面を見たのはたった一度だけ。その時には妙に懐かしくなってしまいました。

最近赤福のニュースがよく目につくので、赤福が無性に食べたくなって困っていま
す。確かに、伊勢の本店で食べた赤福は、土産物屋で買ったものに較べて餅も柔ら
かく、あんもしっとりしていて格段に美味しくて感激しました。やっぱり時間が
経ってるのも出荷してたんですね。在庫調整のために冷凍するくらいなら、いっそ
ずんだ餅みたいに、最初から冷凍したのを全国販売して欲しい。あと、赤福氷を食
べてみたい。


ワイヤレス 投稿者:のっぼ  投稿日:10月18日(木)01時33分35秒

こんにちは。おひさしぶりです。まもなく家からも
ネットが繋げられそうです。こちらは、ルームシェ
アなどが多いせいでしょうか、光通信での通信速度
が云々よりも、ワイヤレスでの接続が主流になりつ
つあるようで、家庭向けだけではなく、僕が所属す
るキングスカレッジの図書館でもイーサネットケー
ブルは役に立たず、ワイヤレスでなければいけませ
ん。僕の古いi-book G3は、無線ブロードバンドアダ
プタを内蔵していないので、ちょっと右往左往しま
したが、USBのアダプタを無事購入し、今、接続を
確認したところです。ただ、この、5年ほど経つi-book
があとどれだけ持つのかを考えると、それから、帰国後
にワイヤレスブロードバンドをどれだけ使うのか考え
ると、もったいない気もしますが、やはり図書館で、
特に古典学研究所の数少ない机を占領して、他の人が
勉強している時間に、ネットでメールや情報検索をし
ている自分が、ちょっと恥ずかしく思っておりました
から、ちょうどいいかもしれません。家からは、大家
さんのブロードバンド導入体制が整い次第(多分、今
週中)、接続できるようです。


トッチアンドゲウ 投稿者:元夏迪  投稿日:10月15日(月)22時41分12秒

夕闇迫る総州に向かって鉄路を辿り、宵闇の鉄路を武州に帰ってき
ました。目的地に滞在した時間は一分でした。


暮坪かぶ 投稿者:愚妻  投稿日:10月14日(日)10時42分33秒

先週末、一人暮らしの大叔母80歳を訪ねて岩手の江刺(今は「奥州市」です)
に行ってきました。刈り入れ時の田んぼが見事、紅葉も一部始まっていて、一
足先に秋の景色を楽しんできました。

叔母の所には何度も行っていますが、免許を取った事もあり、今回初めて近辺
を散策。何もない所だと叔母が言うのを鵜呑みにしていたけれど、実は高野長
英記念館や、日本一大きな茅葺き建築のお寺である正法寺(曹洞宗、去年屋根
の葺き替えが終了)が、車で20分以内の所にあって、しっかり観光もしてきま
した。特に正法寺は、何もなさそうなのどかな山の中に突如巨大な茅葺き屋根
が現れて、度肝を抜かれます。お近くにいらしたら、是非どうぞ。水沢江刺駅
から車で15分です。

実は叔母の家から中尊寺も遠野も車で一時間以内なんだそうで、次回は叔母の
新車(笑)を借りてその辺りへも足を延ばそうと企んでいます。

で、その叔母が土産に持たせてくれたのが、一見小さな大根みたいな「暮坪か
ぶ」で、何でも遠野の農家一軒だけが作っている、江刺でもなかなか買えない
品なんだそう。蕎麦の薬味にすると美味しいから、というので蕎麦と食べてみ
たら、辛味がぴりっと効いている中にもかぶ独特の甘みがあって、蕎麦の香り
をひきたててくれて、大変美味しかったです。以上、自慢でした!

http://nipponsyokuiku.net/syokuzai/data/008.html


(無題) 投稿者:元夏迪  投稿日:10月14日(日)04時04分58秒

この頃は武州の空に金木犀が香っています。満天星も蛍光色に染まっ
ています。どうかすると、海岸寺の向かいの茂みから、蝉の声まで
聞こえます。


消滅 投稿者:元夏迪  投稿日:10月12日(金)21時38分9秒

かのソフィテルが消滅するそうです。昔の空が戻ってくるでしょう
か。


メモ 投稿者:元夏迪  投稿日:10月 6日(土)12時34分52秒

ラテン語の辞書


麗らかな秋晴れに 投稿者:元夏迪  投稿日:10月 4日(木)15時38分16秒

画像も文章も悶絶級。ダイエット文化(?)は恐ろしい。


網上雑誌 投稿者:元夏迪  投稿日:10月 3日(水)16時23分21秒

本朝諸学でもなかなか閲覧できない雑誌Oral Traditionが全巻全編
PDFで読めるようなりました。関係博雅の御参考に供します。


スクラップ 投稿者:元夏迪  投稿日: 9月27日(木)00時39分3秒

ブログの難しさを端的に記す文章


点景 投稿者:元夏迪  投稿日: 9月26日(水)22時58分34秒

いつもの烏は来ているかな。十四号館五階書庫前のソファ(ゴミ置
き)に腰を掛け、昼支度をしていると、目の前の扉が開いた。

某教授が出てくる。今日は欠勤だと思っていたから、虚を衝かれた。
御疲れの様子である。

「寝ようと思ったんだけど、眠れなくなっちゃてさ」
「酔っぱらっているんですか」

宿酔いか何かで御疲れですか、御無理はなさらないで下さいよと言
うつもりで、この言い草。

「日焼けだよこれ、(調査旅行の)日焼け」

苦笑する教授に、胸の裡で存じております、存じておりますと繰り
返す。人はこれを舌禍と呼ぶのであろう。先生、ごめんなさい。


月見 投稿者:元夏迪  投稿日: 9月26日(水)00時25分58秒

中秋の名月。本朝で、支那で、朝鮮で、世界中で、支那文化の影響
を受けた人々が、同じ月を一斉に見上げます。武州では月影さやか
に望めます。風も吹いています。


無題 投稿者:元夏迪  投稿日: 9月23日(日)22時26分33秒

「地方のために何をしてくれるのか」。聞き飽きた。


アーカイブ 投稿者:元夏迪  投稿日: 9月23日(日)00時13分40秒

The New York Timesは日本関連で如何物記事を垂れ流し、とかく
の批判を受けていますが、このほど千八百五十年以降の記事を検索、
閲覧できるようになりました。登録を厭わぬ方は、お試しあれ。

Japanを鍵語に検索をすると、千八百五十一年十一月一日付けの記
事が出て来ます。日本人漂流民に合衆国の勢威を見物させ、これを
日本国に送遣すれば、皇帝がその報告を聴き、自らの腸を引きずり
出し、或いは漂流民の腸を抉る出すよう命令するだろう云々とあり
ます。腸を取り出すのは、日本皇帝が不興や屈辱を表現する定法だ
そうです。

而して漂流民送遣の趣旨は、日本国との間に友誼を取り結ばんとす
る合衆国政府の方針に沿うものであり、派遣提督オーリック氏には、
皇帝宛の大統領親書を託し、自由貿易協定を締結するよう提案して
いる、との由。面白い。


彼岸から 投稿者:元夏迪  投稿日: 9月22日(土)14時31分25秒

起床後、心地よい風に吹かれながら床(ゆか)に転がり旨寝を愉し
んでいたら、案の定夢を結んだ。

無人の道場で久振りに的前に立つ。射[土朶](あづち)は程よく
湿り気を帯びている。弓構から打起に移る頃に人がやって来て、誰
何を受ける。お前は誰か。ここで何をしているか。

聞けば道場使用料に加えて、地連会費を納める必要があるという。
すると、ここは第三地連ですか、いや、第三はなくなったと聞いて
いるな、山○さんが会長を務める地連ですかと訊ねる。人々はなぜ
山○先生を知っているかと訝しむ。

「山○さんや福原先生、それに梅○御夫妻の厄介になっていた者で
す」

そう告げると人々は得心し、梅○夫妻にまつわる懐旧談をひとしき
り繰り広げる。中には不佞を想い出す人も出てくる。畢竟ここは第
三地連じゃないな、武州系かなと思いつつ、放った一射は的中した。

目が醒めた。彼岸の入りだった。


ちくわぶ 投稿者:愚妻  投稿日: 9月21日(金)10時30分9秒

残暑の厳しい今日この頃、なぜか我が家ではおでんを作ってしまったのですが、
生まれて初めて「ちくわぶ」を買い求めて食べたら、大変おいしくて驚きまし
た。実家では食べる習慣がなく、存在すら結婚するまでしらなかったちくわぶ。
以前からずーっと気にはなっていたのだが、「まずいよ、おいしくないよ」と
元夏迪氏が念仏のように繰り返すので、おいしくないんだと思い込んでいまし
た。今までの人生、ちくわぶを知らずに生きて来たことが酷く悔やまれます。
むっちりして旨味もあって、ちょっとニョッキみたい。そして、うちでは独り
占めできるから嬉しい。


今日の収穫 投稿者:元夏迪  投稿日: 9月18日(火)19時40分40秒

『プレジデント・ファミリー』か何かの中吊り広告に曰く「偏差値
三十で夢の地方公務員に 山梨学院大学という選択」。書く方、書
かれる方、食いつく方、迎える方の全てに絶望せざるを得ない、あ
る意味で究極の惹句。


一ノ瀬高原 投稿者:元夏迪  投稿日: 9月17日(月)23時08分45秒

個人的なメモです。仔細はありません。

なおさる御仁は「あなたは戦国武将で言うと誰に似てるのか」で石
田三成であった由。網站の使い方を習ったのもその仁の網站でした。
あんまりにもピタリと来たので、吹き出してしまいました。


わたくしの場合 投稿者:愚妻  投稿日: 9月17日(月)22時33分43秒

「あなたは竹中半兵衛に似ています。」

●武力:70点 [よくできました]
●知力:80点 [よくできました]
●魅力:65点 [よくできました]
●政治力:70点 [よくできました]
●才能:75点 [よくできました]


ちょっとミーハーに 投稿者:元夏迪  投稿日: 9月17日(月)18時01分56秒

あなたは戦国武将で言うと誰に似てるのか」という網站で診断を
試みました。結果は以下の通りです。

●武力:七十点 [よくできました]
●知力:七十点 [よくできました]
●魅力:五十点 [普通]
●政治力:七十五点 [よくできました]
●才能:八十点 [よくできました]

「あなたは大友宗麟に似ています」。なるほどね。


近くて遠い本郷の空気 投稿者:元夏迪  投稿日: 9月17日(月)00時54分18秒

のっぼさんの歩行記を面白く読んで、文京区一の樟を見たいと思い、
検索を掛けたら、見物記録が出て来ました。仰る通り、慥に大きい。

本郷界隈を熟知しているようで、実は疎遠な地域ではないかと思う
事もあります。本郷キャンパスの雰囲気も手伝っているのでしょう
が、何というのか、路地の裏の空気と、表通りの熱鬧(高踏?)の
落差が大過ぎるというのか。

本郷三丁目交差点を北に行くと見慣れた光景ですが、東の池の方に
降りて行く途中、右手に教会建築を見て立ち止まると、ハテここは
どこだっただろう、北京の街角であっただろうかなどと錯覚に襲わ
れることも少なくありません。


上水の響 投稿者:元夏迪  投稿日: 9月17日(月)00時25分56秒

日曜の昼下がり、秋の風が渡る上水の畔に並ぶ木立の向こうから、
知人と覚しき人物の車庫入れを口汚く罵る御釜の金切り声。

丑三つ時の上水辺には一声蜩が鳴き、蟋蟀の洪水に呑み込まれていっ
た。


無題 投稿者:元夏迪  投稿日: 9月15日(土)01時58分1秒

午前七時のコンビニエンスストアに、向かいの団地から老人がやっ
てくる。

入り口脇の新聞立てを不審そうにまさぐる媼がいる。杖を突き、ス
テテコ姿の翁が合流する。交差点を渡ってこちらに来る姿は、小さ
く、薄い。やはり新聞立てをごそごそ掻き回す。

「スポニチですか」

媼が訊く。存外はきはきした口調に翁は頷く。

「スポニチは部数が少ないから、なくなっていることが多いのよね。
団地の中のアレ(別の店)ならあるかも知れないわね」

媼の披瀝する蘊蓄に、翁はそうか、そうだねと相槌を打って店を出
る。

媼はレジスターで支払いを済ませるまで、この店は時々スポニチを
切らせるのよね、と寸分違わぬ措辞で繰り返す。レジスターでは目
の前の虚空に向かって話し、雑誌スタンドの前の硝子窓には、親し
みを込めて語りかける。


蝉が気になる 投稿者:元夏迪  投稿日: 9月13日(木)08時31分1秒

午前五時四十分、ベランダで油蝉が死んだ。すぐ脇の机で雑用を片
づけている間中、ギギと鳴きながら仰向けのまま羽根で地面を叩く
のが気に懸かっていた。一秒前は生きてバタバタしていたのに、と
哀れを催す。

七時三十四分、油蝉が生き返った。脚を下にして正常な体位を保持
し、何やら手を擦っている。死んだり生きたりのリズムが間遠にな
り、軈て動かなくなるという仕方で命を終えるのだろうか。とても
仏教的な死に方である。

夜を徹して鳴いた一時の勢いはなくなったものの、上水沿いの木立
からは、まだまだ蝉の声が聞こえてくる。仲間は減っていくが、乃
公は生きているぞと言わぬばかりの声である。その声が途絶えても、
生死の間で輾転する蝉がいると思いたい。

最後まで輾転する蝉が何を思うのか思わないのか、そんなことが気
になるのは、蝉は曾て人間であったというミュートスが胸に去来す
るからなのであろう。


一筆箋/御歸り/御問合

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