自平成十九年二月二十日第二千八百二十一号
至平成十九年三月二十四日第二千八百五十号
希臘関係の部に鏈接。意外な本が無料で読めるのに驚く。
お気に入りのお団子屋さん「わじま」が、なんとボクシングの元世界チャンピオ
ン輪島功一さんが経営している店だと今日判明。お餅を搗く時にも杵ではなくて
得意のパンチを繰り出してるから美味しいのかしらと想像してみました。
自分の生き甲斐のために、社会的なリソースを無駄遣いして慚じざ
る者を「穀潰し」という。このリソースがいつまでももつと信じ切っ
て悠長に構えている間に、世の中は痩せ衰えていく。
病臥して鄰で辛夷の花が咲く
寒返り透き通る風吹き渡る 鶯 里
歴史学は常識の学なりとは、誰の言葉だったか思い出せないが、随
分と昔、小僧の頃に耳にして、爾来折にふれて反芻する文句である。
常識とは、自分個人が懐く狭い常識、偏見の謂ではなく、世の酸い
も甘いも噛み分けた後に到達する境地、もう少し学問に引き寄せて
言えば、古今の典籍を渉猟した結果身に付く健全な批判精神という
ことになるだろうか。従って、時代も地域も異にする古人の言行を
知るために動員すべき常識とは、極めて宏遠なものとなる。
ところが、世の学者の多くは、常識を己の偏見と勘違いして、本来
自らの規格には合わぬ古の現象を、己の規格に押し込めてしまい、
はみ出た部分は黙殺する。黙殺ならばまだ才気を感じることも出来
るが、大概の場合は、はみ出た部分に気がつかない、と言うべきで
あろうか。かくして古今の差異は矮小化され、偏見は強化されて行
く。グランド・セオリーの不在を嘆く声も、遠くここに端を発する
と見てよい。苦労して史料を操作して、出て来た結果が拍子抜けで
は困るだろう。これを華麗に飾ろうと渇望するのは人情である。
自分の偏見に縋るなら、もう少し使い道を考えればよい。ある史実
の解釈を見直す時に、身の回りにその解釈を当て嵌めてみて、その
有効性を検証するのだ。綺麗に史実を説明していたように見える解
釈が、どれほど危ういものかが判ろうというものである。解釈に先
立って設定された問いの建て方の巧拙も明かとなるだろう。
げに「莫迦と鋏は使いよう」である。
中華人民共和国(共産主義国)全人代で愈々物権法成立。法治の徹
底しない風土にあって、どんな運用がされるのか、正直なところを
言えば恐ろしい。
高等学校学生に推薦する図書。大学生に推薦する図書。大学院生に
推薦する図書。研究者に推薦する図書。本気です。
のっぼさん、よう御越し。愉しげな散策で結構でした。不佞は鬼の
霍乱で、申告は来年に繰り延べましたよ。
先日確定申告をして参りました。税務署は何駅か先の
葛飾区青砥付近。ネット上で作成したものをプリント
アウトして提出するだけで、あっと言う間に済みまし
た。どこまでも続く税務署行きの車の列を横目に、隣
の京成立石駅までちょっと歩いてみました。いろいろ
ちょっとしたものが目につきましたが、中でも目につ
いたのが「證願寺」というお寺。付近には現代風の建
築に作り替えられたお寺が立ち並んでいましたが、こ
のお寺は、伝統的な建物をそのまま残しているようで
す。建物自体はそのままなのですが、境内にはなぜか
トリケラトプス(のような恐竜)とライオン座像が鎮
座しています。狛犬の代理でしょうか。更に庫裏は、
両脇に大きなクジラの絵とスペースシャトル(らしき
宇宙船)の巨大模型をあしらっており、どうやら中に
プラネタリウムがあるらしく、その存在感に圧倒され
てしまいました。立石から上野まで京成線の旅を終え
て上野公園の方にでると、やや赤みの濃い早咲きのさ
くらが青空に映えて、春の訪れを目にした思いがしま
した。
書斎について熱っぽく語る網站を発見。気圧されたので、紀念に鏈接。
昨夜、孫中山の書「天下為公」を見た。書としては素人芸そのもの
で、取り立てて言うこともないのだが、この四文字を好んで揮毫し
たという孫が哀れでならなかった。そんな目で見ると、素人臭い揮
毫にも味わいが出てくるから不思議であった。彼の青い志望が、海
千山千の怪人達を解き放ってこれに活躍の場を与え、支那百年(の
害)の基をなしたことを思うと、感慨はまた一入であった。
漢語メディアが騒いでいる、と日本のメディアが騒いでいるが、あ
ちらの出方をきちんと報道しているところはないようである。「嘘
ではない」という程度の怪しげな報道が渦巻く支那に、かの政府の
苦衷と譎詐を見る思いがする。「とばし」と「ガス抜き」なんて、
使い古された手だというのに。
フランス国立図書館でホメロス展をやってる模様。
色々あって面白いです。行きたいなあ。
何かというと、観光地にして人を呼ぼうだの、名物を作って(!)
街興しをしようだのと云々とする昨今の風潮とは一体……。
曲々と木梢に絡む春の陽も幸く見ゆるは雨後のゆゑにや
眞幸くも木梢に踊る春の陽の曲々しけれ雨後なればこそ 鶯 里
携帯メイルが便利になった昨今、ドコモ宛のメイルが届いたり届か
なかったり。大概は届くのに、特定個人に宛てると駄目である。先
方からはきちんと届く。あちらのメイルサーバが弾いているのだが、
その際の基準がいかがわしいものだということだろう。携帯を持っ
たことのない身ではあるが、持つ際には、ドコモと、同じくメイル
で具合の悪いボーダホンは避けたいと思う。
希臘羅馬碑碣情報網站。
一輌目稚兒等を多み何故と世の外にゐて訝しむ我
春遠足保護者の數が上回り 鶯 里
武藏野に縹の羅(うすぎぬ)降りにけり春闌けゆきて老ぞ知らるゝ
いにしへをゐまに見付けていにしへのいぬるにあらずと塵の身を知
る 鶯 里
一色触発。
昨日、今日と二日続けて研究会があり、上郷。本郷はこんなに遠かっ
たかとしみじみ感じたことでした。こうやって歳を取っていくので
すね。
神田川縁の乾いた風に吹かれながら、大名普請の掘割を眺め、空を
見上げました。
大韓民国という惰弱な国家の行く末は常々気になるところに、韓流
なる胡乱な情宣が本朝を席捲し(終わっ)て益々不安を覚えるここ
二年、こんな説を読み、是非は兎も角、膝を打った次第です。
怖い習慣ですが、読む人が読めば判ることですし、盗作防止にも使
う手ですから、書き手に傷が付かないのも頷けます。
「この記事には間違いがある」と息巻いた学者はお気の毒です。モ
ロに傷が付いてしまいました。同情半分、また学力未熟の己を顧み、
他山の石とせねばなりません。
例えばプラトーン『パイドロス』に引かれたリューシアースの弁別
懸想是非論などを、リューシアースの真作だと主張する向きもある
わけですが、プラトーンの御巫山戯かも知れません(不佞はそう考
えています)。「インペラトール・ロマーヌム」のようなこともあ
りますから。
元夏迪さま、ありがとです。
ドイツ語は得意でないのでざっとしか読んでませんが
こういうことやってもキャリアに傷が付かないのですね。
日本語の古代史事典を編纂することがあったら
ぜひとも針鼠氏にあれ書いて欲しいですね。「テーバイの七賢人」。
それにしても一番最後の文・・・大丈夫なのかBrill?
にう・ぱうりからは削除されていると書いてありますが
高い金払って買ってる身にもなってくれ。
笑えたのが参考文献著者とされているマティアス・ザマー。
フランク・ライカールトと並んで私が最も好きな往年の名サッカー選手です。
ときどき私がボルシア・ドルトムントのTシャツを着ているのは
この人の影響なんですよ。選手生命は短かったけどホントにわくわくしました。
最後尾から赤毛をなびかせて(以下オタク話が続くので略)
ミーシャ・マイヤーさんとはお友達になれそう・・・ってこの人ドルトムント出身なのね。納得。
そのスポーツについて教えてくれたのは、ジノン・パパコンスタン
ディーヌ君で、グランタなる旗亭に設置された、ちゃちなフットボー
ルゲームに興じている最中でした。
ぷちさん、よう御越し。こういう事らしいですよ。
いま調べたら"The New Pauly"には載ってませんでした。がかり。
「アポプドバリア」apopudobaliaって有名?
二月二十日付でシャノワール国分寺店閉店の由。
the government of national concentration
le gouvernment de concentration nationale
die Regierung der nationalen Konzentration
Firefoxに仕込んだGoogleで「北京」と打鍵、検索しようとしたら、
打鍵補完機能が色々な候補を返しているのに気づきました。オヤと
思い、人はどんな鍵語で検索をしているのか興味が出て来たので、
続けて「的」と打ってみます。
北京的大学(北京の大学)
北京的金山上
北京的天気(北京の天気)
北京的面積(北京の面積)
どれもおかしな気もしますが、第二候補が突出して異様なのに吹き
出してしまいました。蔵族民謡の旋律に藉りた中共革命歌です(蔵
語版。突然「毛主席」と耳に飛び込んで来ます。漢語だけにしてお
けばよいのに)。
剣橋で中華人民共和国から来た漢族の友人に「五星紅旗迎風飄揚。
革命歌聲多麼響亮。歌唱我們社會主義祖國。到處都是燦爛陽光」と
歌って見せたら、うわーすごいね、お年寄りみたい、私たちはもう
そんな古い歌習わないわよ、と言われ(キモがられ)、相手が三好
学生(身体好、思想好、学習好)だっただけに、己の受けた漢語教
育の歪みを思い知ったものですが、大陸にはまだまだコワなキモヲ
タが沢山いそうだと知った昼下がりでありました。
右に引用した「歌唱社會主義祖國」の訓読文は、「詩詞世界 碇豊
長の漢詩」に掲載されています。