一筆箋舊帙    一筆箋/御歸り/御問合

平成十九年一月二十三日第二千七百九十一号
平成十九年二月十九日第二千八百二十号

スクラップ二件 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月19日(月)22時15分0秒

奥多摩で名高い廃墟の近況。最近gmailが一般に公開さる。


自省録原文 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月18日(日)16時36分37秒

鏈接(ユニコード)。


恭頌新禧 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月18日(日)15時35分3秒

新年おめでとうございます。唐代の正月行事を思い浮かべながら、
世界各地の支那人士、殊に漢族の士人と春節の慶びを共にしたいと
思います。


古くて新しい書物 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月18日(日)15時32分29秒

ひょんなことから、マールクス・アウレーリウス・アントーニーヌ
の遺著、『自省録(タ・エイス・ヘアウトン)』が手許に舞い込
む。神谷美恵子刀自の名訳がこのほど改修されて版を新たに上梓さ
れたのを頂戴したのである。

@misc{mmiller1999,...
@book{maurelius2007,...


文献表に入力して、ハッとした。西紀百八十年に歿した羅馬皇帝が
西紀二千七年に上梓した著作は、直前に並ぶプラトーン関係の学術
論文
と比しても、全く遜色がない。洵に恐ろしい書物である。

旧版は平成二年四月十六日月曜に駒場生協書籍部で購入し、五月に
繙いている。平成十六年十二月二十九日水曜には剣橋の寓居でも読
んでいた。新版も近いうちに捲ってみようと思う。


そうだ 投稿者:針鼠  投稿日: 2月14日(水)00時14分6秒

いや、誰も皮肉とは思わない。昔君は、歴史学も文学も、結局
学という言葉で中身を括弧にくくっているだけだと言っただろ
う。だからもし真面目に歴史学ということを言うならば、それ
は括弧に向き合うことを意味する以外にはないだろう。しかし
これは、たしかに誰かの研究みたいな話になってきたね。僕は
最近、自分自身がこの問題を回避していることが気になってき
たのだ。それで下にある書き込みになったのだ。ではまた。


なるほど 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月13日(火)23時44分41秒

誰かの研究みたいな話になってきましたね(苦笑)。

scripsisti> 「過去について考えること」を思考の一つのジャン
scripsisti> ルとして意識的に峻別

することの性格を真面目に議論すると、真面目に聴いて貰えなくな
ります。この「、」に、歴史学のディシプリンのようなものがある
といえば、あるのではないかと思います。皮肉でも何でもなく、そ
う思います。


(無題) 投稿者:針鼠  投稿日: 2月13日(火)23時25分18秒

過去の事柄について考えること自体は、歴史学といわず日々さまざまな
機会に行なっていると思う。でも、「過去について考えること」を思考
の一つのジャンルとして意識的に峻別して、どういうやり方がいいか皆
でアイディアを積み重ねていくことには、意味があるのではないだろう
か。もとよりディシプリンといっても、何かツールのセットがあるわけ
ではなくて、上で書いたような姿勢を取ること自体について、いってい
るのだけれど。

超越的なものというのは、自分でもあまりまとまらぬうちに書いたのだ
が、それこそ世界意思でも民族の歴史でも階級闘争でも何でもよいので、
そのような大いなるものの懐に抱かれたいという誘惑のことです。


(無題) 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月13日(火)20時13分46秒

針鼠さん、よう御越し。

「歴史学的」と「西洋史学的」とは、どう違いますかね。

歴史学に方法論があるとすれば、道具は泥縄で拵え、発表に際して
反証の道を用意する位のものだろうと思うのですが、如何。「方法
論」や対象に思想を連結しようとすると、随分と面倒臭いことにな
るんでしょうが。

「過去」との付き合い方。面白い視点です。「超越的なものを想定
する」とは、ちょっと難しそうな御話です。どこからどこまでが自
分であるか、という問題も絡んでいますね。自分の範囲を拡げると、
超越は無限に遠くなり、自分を無にすると、ゼロを超える超越はゼ
ロですから、自分と超越は同じになります。ま、理屈ですけれども。


深淵をのぞきこむ 投稿者:針鼠  投稿日: 2月13日(火)19時44分14秒

僕は最近「歴史学的」という言葉はむしろ積極的に使うことが多いの
だが、「西洋史学的」という言葉はディシプリンを指す語としては使
い得ないのではないかと思う。あえていえばそのような言葉で自分の
仲間の範囲を確定して、安心感を得るためのものなのではないだろう
か。

最近僕は「歴史学」という語をためらいなく使うことにしているのだ
が、方法論について昔ほどにエネルギーを使わなくなっていることを
痛感している。論文を書くという作業のためにはそうすることが必要
ではないかとも思うのだが、方法論に対する関心が時流として薄れて
しまい、自分自身もまた本当の問題を棚上げしているのかもしれない
とも思う。

今日、越澤明『満州国の首都計画』(1988年;文庫版2002年)を読み
終えた。かつて自分は、今はない世界という意味ではソ連もアトラン
ティスも同じだと考えていたのだが、最近になってしみじみと、過去
と自分のつながりを本気で考え直さねばならぬと感じるようになった。
対象との断絶を意識したままで、なおかつ過去に踏み入っていくため
にはどうすればよいのだろうか。この難所を乗り越えるために、超越
的なものを想定する。この誘惑が大変強力なものであることが、最近
になって少し肌身で分かるようになった。


困惑 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月13日(火)14時40分37秒

ある事象を「西洋史学的発想で分析する」というのは、実のある言
明なのであろうか。「西洋史学」は方法よりも、対象によって規定
される所の多い概念だと承知しているのだが。


写真網站(メモ) 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月13日(火)03時00分57秒

信州の民家モノクロームの世界


射影追加 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月11日(日)13時08分11秒

本多(射影)、神永(射影)、福原各師の遺影を見付けました。阿
神永範士の写真を前に繰っていくと、阿波範士の珍しい温容も見ら
れます。

今回網上を検索して、梅路、阿波の御二人が神秘的な扱いを受けて
いるのを知りました。商業ベースで面白おかしく扱われたり、古武
道なる方面で超人視されているせいでもありましょうか。

御二人には、一見奇矯な言動もあったことでしょうが、その教えは
極めて常識的なものであったと思っています。直系の福原範士に弦
を取って教えて戴いた実感です。福原範士の道場の空気にも、その
遺芳を感じることが出来ました。

麗らかな日に、二十年前のことを想い出したようです。


一射絶命 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月10日(土)00時57分27秒

先師の一人、見鳳阿波研造範士の射影が動画で記録されているのを
発見して驚く。

阿波、神永、福原、不佞という具合に不遜を承知で繋げてみると、
先覚の事業が無限に広がっていく様子を実感できる。その見鳳には、
木村(日置流雪荷派)、本多(本多流)、梅路(無影心月流)の三
師が流れ込んでいる。教育という事業は宏遠なものである。


雪隠 投稿者:愚妻  投稿日: 2月 9日(金)22時33分59秒

「雪辱」というのはどうして「雪」なのか調べようと思って取りあえず広辞苑
を見てみたら(もの知らずで済みません)、「雪隠」を使った色々な表現に出
会うことが出来て嬉しい。「雪隠浄瑠璃」「雪隠大工」「雪隠で饅頭」「雪隠
の火事」「雪隠虫も所贔屓」など。特に「雪隠の火事」とは「やけくそ」の洒
落なんだそうで大いに感心した。以上です。


(無題) 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月 8日(木)01時31分16秒

scripsi> 「結婚し、子供は二人以上持ちたいという健全な状況
scripsi> にある」と発言して物議を醸したのには、本当に呆れ
scripsi> た。

誤解があると行けませんから、念の為に補足しますが、柳沢厚労が
「結婚し、子供は二人以上持たねば不健全である」と発言したので
あれば、不佞も呆れるに相違ありません。

なお、上記引用は倒閣勢力系の新聞の記事から採録したものです。


不健全 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月 8日(木)01時20分16秒

柳沢厚労が六日「結婚し、子供は二人以上持ちたいという健全な状
況にある」と発言して物議を醸したのには、本当に呆れた。

「結婚し、子供は二人以上持ちたいというのは不健全な状況にある」
と言うのが良識なのであろうか。この命題を展開すると「結婚しな
い、子供は一人以下に抑えたいというのが健全な状況である」「結
婚しない、子供は二人以上持ちたいとは願わないのが健全な状況で
ある」「結婚した上で、子供は一人以下に抑えたいというのが健全
な状況である」「結婚した上で、子供は二人以上持ちたいとは願わ
ないのが健全な状況である」云々と、構文解釈と、語義の理解に応
じて、様々に不思議な文言が出てくるが、厚労相を断罪する識者に
こんなことを主張する向きはないようである。

「生みたくても生めないジョセイがいる」だの「二人産まなきゃジョ
セイとして異常か」だの、あらぬ事を曰う政治家や識者がいるのは、
洵に不健全である。厚労相の発言に対してこの批判を展開すること
が出来るのだとすれば、余程頭が雑に出来ているか、所謂エスプリ
に富んでいるに違いない。賢いくせに真顔でこんな批判をしている
とすれば、ヒステリーである。悪い癖だ。

常盤台で巡査が電車にはねられて、生死の境を彷徨っている一件を
報じるニュースウォッチナイン(日本放送協会)もおかしかった。
「事故は防げなかったのか」という問いを立てて、機器の動作や係
員の配備を検証していた。企画力の貧困というか、言論統制の妙技
というか。

今回の場合、寧ろ自殺願望に取り憑かれた異常者の救護に就いて、
巡査がどこまで職責を果たすべきであったか、最善を尽くしてなお
説得の甲斐なく、実力行使も験なき場合、異常者の願望を尊重し、
これを見捨てる是非を論議するべきである。

巡査個人にも命はある。巡査を含む警察の官制は社会のリソースで
もある。そのいずれをも蕩尽して慚じざるは、あまりにも情緒的で
ある。そうした情緒の上に、巡査の熱誠もあると言えば言えようが、
それで話を仕舞にしてはなるまい。

巡査が異常者を見捨てていたら、報道や、これに煽動された民衆が
何を言い出すか、火を見るよりも明らかである。生き残った巡査の
末路を思い描くこともさしたる難事ではない。重体になったり、殉
職しなければ褒められないというのでは、「戦争中の日本では皆洗
脳されていた」と前置きしてから、識者が紡ぎ出して見せる往時の
風潮とやらに、よく似ているではないか。

その同じ識者が、己の指弾してやまぬ風潮を現実に創り出してどう
する。莫迦という他はない。


ぶつぶつ 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月 6日(火)02時10分31秒

赤い水が出て困った。便所の水は出ない。風呂場で水を汲み、給水
をする。

このところ宵の口に月が円かに見える。まだまだ充分暗い中、団地
や並木の間に浮かぶ低い月が、明治製菓のスーパーカップ(バニラ
味ラクトアイス)のような、旨そうな色に輝いている。


(無題) 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月 4日(日)14時42分59秒

scripsi> 何を政局にするのか

誤解があると行けませんから、「何をいつ、どうやって政局にする
のか」と補足します。


ひねもすのたりのたりかな 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月 4日(日)14時07分4秒

何を政局にするのかという選択も、センスを問われるところだろう
と思いつつ、今の国会を眺めているとゲンナリして参ります。納豆
ダイエットに踊った国民に、今一差し舞えと言うのでしょうか。言
う方も言う方なら、舞う方も舞う方ですナ。

南側の窓際にある仕事机に眩しい陽が射しています。折柄の強風で
盪漾としています。


出自を超えて 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月 3日(土)11時53分42秒

ちょび髭のコスタス君の書評を読んで、それはそうだなと思う反面、
それはどうかなと思うところも。やっぱりエラザ人であるが故の苦
闘の跡を見るべきなのだろうか。


(無題) 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月 3日(土)11時46分27秒

のっぼさん、よう御越し。旧日本領や満洲国を繞る物言いに大きく
変化が出て来たのは、何となく大勲位殿に所謂「戦後政治の総決算」
期辺りではなかったかという印象を持っているのですが、如何です
か。大東亜戦争終結に至るまでの経験を(語弊があるかも知れませ
んが)お手軽なトピックとして云々する風潮が世に出て来たと言う
か。

#中曽根さんは勲等で言えば大勲位なのに、位階では従六位という、
#珍例なんだそうですね。亡くなったら正二位(以上に)陞叙され
#るのでしょうが。

不佞が支那大陸を旅行中、バスで目にした映画では幾度か日本兵が
出て来ました。口を開けば「パッカヤロ」で苦笑ものでしたが、あ
れも識別表徴としては便利なのでしょう。語頭の「パ」が朝鮮訛り
の日本語に由来するものなのか、(一応)濁音のない中共普通話の
あるべき発音を踏まえたものなのかは不明です。

日本時代の台湾には、以前から興味を覚えています。支那系と土人
との関係に就いても知りたいと思いながら、つい手を拱いたまま、
月日を銷しています。安田氏の言う「台湾語」とは何でしょうか。


協和語 投稿者:のっぼ  投稿日: 1月31日(水)23時17分9秒

元様、Wikiの説明を拝見しました。なるほど、満州を特に意識しているのですか。
確かにマンガの「中国人」にはどちらかと言えば、そちらの地域の習俗を意識さ
せるような風体に描かれていることがしばしばあったように記憶しています。弁
髪風の髪型とか(「ラーメンマン」とか。人間ではありませんが)。僕自身、ロ
ンドン滞在時に知り合った中国人の中でも、東北地方出身の友人の方が、広東出
身の友人などよりも、僕の中の「中国人」のイメージに近いものを感じました。

実は安田敏朗「『国語』の近代史」(中公新書)の中に、前の書き込みにあるよ
うな文が使われていたのです。日本統治時代の台湾において「台湾語まじりのブ
ロークンな日本語」が使われていたという文脈で、「ニーヤ、チレ高いある、ま
ける宜ろしい。リー、ゴア、ベンユウあるぢやないか」というものでした(正確
には安田氏は、当時の論評者がこれをブロークンなものとして戒めていた、とい
う文脈で、用いています)。この辺りから、台湾を含む中国系の人の日本語学習に、
とりわけ口語や、中下層民への普及、ということを考えた際に、漢文的な措辞や
語尾が利用されたとか、意図せずに使われがちだったということになるのかな、
と思ったりした次第です(それにしても「ある」の由来は良く分かりませんね。
勉強したいと思います)。
そして、そうした植民地時代のイメージが、僕らの子供時代(今は分かりませ
んが)にまで、取り立てて抗議の声もなく(多分)、おそらく作者に悪意もな
く、広く利用されていたとすれば、云々、と考えを巡らせてみた、という次第
です。満州に限定できるのかは分かりませんが、しかし主に満州、しかも相当
限定された時代に形成された「オリエンタリズム的(不適切な形容ですが)」
イメージだとすると、その残存の仕方、流布の仕方、根強さは、一層の興味を
かき立てますね。とりあえずWikiによると、あまり研究はない様子ですね、面
白そうなのに(上の新書も読みさしなので、もう少し読んでみたら、何か分か
るかも知れません)。

ついでですが、小学校の頃、FM-7が出たばかりぐらいで、うちにあった機械に、
『ベーマガ』のプログラムを打ち込んで、単純なゲームをして遊んでいた記憶
があります。うちにはしばらくファミコンが導入されませんでしたので、ゲー
ムといえば、そちらでした(だからハマらなかったのかも知れませんね)。当
時はフロッピーすら新技術/大容量で、専らカセットテープが記憶媒体でした。


こんなのある。 投稿者:愚妻  投稿日: 1月31日(水)22時43分22秒

読むよろし。

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日本語検定試験の問題とその回答

問1:「あたかも」を使って短文を作りなさい。
答:  冷蔵庫に牛乳があたかもしれない。

問2:「どんより」を使って短文を作りなさい。
答: 「僕は、うどんよりそばが好きだ」

問3:「もし〜なら」を使って短文を作りなさい。
答: 「もしもし、奈良県の人ですか?」

問4:「まさか〜ろう」を使って短文を作りなさい。
答: 「まさかりかついだ金たろう」

問5:「うってかわって」を使って短文を作りなさい。
答: 「彼は麻薬をうってかわってしまった」

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あちこちに貼られてて、元ネタは最早不明あるよ。


60606だった 投稿者:元夏迪  投稿日: 1月31日(水)20時50分17秒

だから何だ、という訳ではありませんが。

何だか懐かしくなるものを見付けました。文章にも味があります。


兵隊支那語があるように……? 投稿者:元夏迪  投稿日: 1月31日(水)20時48分36秒

のっぼさん、よう御越し。「○○アルヨ」以下は協和語と言うみた
いですよ。

支那大陸の租借地で教育された日本語は、特段変わったものではな
かったように思います。日本国内であった地域(台湾、朝鮮)でも
同断でしょう。安田敏朗氏や石剛氏の著作を繙けばよいのでしょう
か。

内南洋では中島敦もそちらの方面に手を染めていますね。軍政下の
地域ではどうだったんでしょう。


「中国人」 投稿者:のっぼ  投稿日: 1月31日(水)08時09分33秒

あまり気の進まない急ぎの仕事が入って、しかもいろいろ手
間がかかったり、ミスを発見したり、おなかが痛くなります。

ところで、マンガに「中国人」が登場すると「アイコン」と
して、語尾に「〜ある」「〜よろし」などが付けられること
が多かったように思います(今は知りませんが。例:(お店
でお客が)「これ、高いある、まけるよろし。」)。ふと思っ
たのですが、「よろし」は「宜し」で、漢文と関係があるの
でしょうか。「〜ある」には、漢文の訓読か何かとして、思
い当たるようなものはありますか?中国系の人が日本語を学
ぶ際に、漢文を何らかの形で利用した結果、日本語を発話す
るにあたって、その影響が端々に出てきたものを、シンボラ
イズしたのが「〜ある」「〜よろし」なのかなあ、と思って
みたりしたものですから。仮にそうだとすると、そういった
日本語教育は「植民地時代」の影響も色濃かったりするので
しょうか。その他の要素もあるのでしょうか。


控え:梵語概説 投稿者:元夏迪  投稿日: 1月27日(土)18時30分10秒

サンスクリット@大歓喜


赤い月 投稿者:元夏迪  投稿日: 1月27日(土)00時44分53秒

普段は日本放送協会か、テレビ東京にしかチャンネルを合わせない
我が家のテレビ受像器はどこかの国のチューナを半田付けしたラジ
オも同然なのに、今夕チャンネルを回していたら、数年ぶりに日本
テレビの「金曜ロードショー」の文字が見え、満洲絡みの映画だと
いうので見たのですが、うーん、という感じ。主人公の御婦人の人
物像があまりにも支離滅裂ではありませんか。原作者の御母堂だと
いうのですけれども、それは御母堂の生き方が支離滅裂であったの
か、余りに天衣無縫の御人柄を、御子息が道徳的に矯正した姿で理
解し(たいと願い)、そう描き込んだからなのか。直感的には後者
だと見ましたが、如何でしょう。紋切り型の情景、思想を貼り混ぜ
て仕上げたような構成にも考え込んでしまいました。だからこそ、
母を理解しようとする息子の葛藤を描いた作品に見えてしまったの
かも知れません。


四穴式チューブファイル 投稿者:元夏迪  投稿日: 1月26日(金)18時42分42秒

コクヨの四穴チューブファイルが届いた。遣り繰りをして納期を大
幅に繰り上げて呉れたらしい。有難いことである。

ホールディング能力を試すために、渡英以降作成した箚記(約一千
頁)を綴じてみる。流石にビクともしない。ファイルを立てても、
「地(罫下)」がファイルの「散り」からはみ出すようなことはな
い。

通常の二穴パンチを二回使って四穴開けても、穿孔径がチューブと
ほぼ同じなので、些か通しにくい難点はある。

保存用ファイルなので、葉の差し替え、並べ替えに不便なのは仕方
がない。作成順にファイルして、作成日は文献表で管理しているか
ら、欲しい箚記はそちらで検索をして、日付を割り出し、引き当て
る仕組みである。


黄泉の国 投稿者:愚妻  投稿日: 1月23日(火)16時49分48秒

ルチャーノ・デ・クレシェンツォさんが、『オデュッセイアを楽しく読む』で、
「(『オデュッセイア』)第十一歌はあの世の光景での描写で始まる。原文を
読むと、第一印象はまるでイギリスか、さもなければバルト海沿岸のどこかの
国に迷い込んでしまったような感じだ」と書いているそうです (p. 194)。

妙に納得してしまいました。


一筆箋/御歸り/御問合

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