一筆箋舊帙    一筆箋/御歸り/御問合

平成十八年六月二十九日第二千六百四十一号
平成十八年七月十二十五日第二千六百七十号

又吉イエス 投稿者:元夏迪  投稿日: 7月25日(火)16時44分20秒

ひょっとして又吉氏をご存じない方がいらっしゃるかも知れません
ので、ウィキペディアの日本語版英語版を鏈接します。


歓迎光臨 投稿者:元夏迪  投稿日: 7月25日(火)16時36分31秒

先程自宅近くのドトールで珈琲を啜っていたら、脇の車通りを過ぎ
る政治家、唯一神又吉光雄イエスキリスト氏(世界経済共同体党
首)のバン。例によって金切り声のテープを流していたが、住宅地
であることに配慮してか、音量はかなり控え目であった。都下の鄙
までお出ましとは、どうした風の吹き回しであろうか。


珍豚記 投稿者:てっちゃん  投稿日: 7月23日(日)23時17分4秒

>幽閻怒魅畏!
和我?
錯了!!

>彼のメイリングリストのサーバで
his?

桃も終盤。
色々ありました。
あ〜疲れたぁ(--


(無題) 投稿者:のっぼ  投稿日: 7月23日(日)22時59分47秒

針鼠さん、珍遊記懐かしいですね。
昔、嫌いでしたけれど、実は画力、描き分ける力のある人なのだと最近知りました。


訳語の在処 投稿者:元夏迪  投稿日: 7月22日(土)00時32分17秒

てっちゃん、彼のメイリングリストのサーバで

#mget 5346

を実行すると訳文が届きます。


珍答追加 投稿者:愚妻  投稿日: 7月21日(金)23時42分41秒

問い。アイスキュロスの『ペルシアの人々』(紀元前472年上演のギリシア悲劇)
の舞台となった国(ペルシア)の政体は、ギリシアの民主政と対比されています。
これは何ですか。

ある解答。社会主義

問い。『ペルシアの人々』に登場する王の名前は何ですか。

ある解答。ポルポト

一瞬脱力するも、そういう演出もありかもしれないと感心して○をあげそうになる
愚妻であった。


珍遊記 投稿者:針鼠  投稿日: 7月21日(金)20時45分14秒

>U.END.MI?
幽閻怒魅畏!


珍道中 投稿者:てっちゃん  投稿日: 7月21日(金)12時26分50秒

>ユー・エンド・ミー
U.END.MI?

>歴史の試験とはこんなものでしょうか。
どなたか日本語化して。
読めません〜(;_;


珍答集 投稿者:元夏迪  投稿日: 7月21日(金)10時31分16秒

歴史の試験とはこんなものでしょうか。


二大巨頭とは・・・ 投稿者:針鼠  投稿日: 7月20日(木)20時28分10秒

ユー・エンド・ミー


あったたたたた・・・あちゃ〜 投稿者:てっちゃん  投稿日: 7月19日(水)23時47分20秒

う〜む、手強い・・・
microsoft Visual Basic 6.0に四苦八苦



一筆箋の二大巨頭の一人って?誰が?


シケプリ 投稿者:のっぼ  投稿日: 7月19日(水)22時16分26秒

東大に入って驚いたことの一つに「シケタイ」「シケプリ」があります。
出席していない人でも単位が取れるよう、担当者が欠かさず授業に出席
してノートをとるか、又は他クラスの「担当者」等から、ノートのコピ
ーを集めてくる。この担当者が「シケタイ」、ここで作成され、クラス
メイトに配布される印刷物が「シケプリ」と呼ばれます。人の努力を利
用する、非常にいやな制度だと思っていました。実際のところ、他人の
ノートを前日に見たところで、それほど良い成績には繋がらないでしょ
うが、中には、非常に要領のいい人もいるもので、まあ、そういったこ
とも才能なのかしら、と、半ば感心、半ば呆れてもいました。とりわけ、
要領の良くない、不器用な、僕のような人間には、あまり感じの良いも
のとは思えませんでした。
それから、いつの間にやら干支も一回り、自分が、他大ではありますが、
試験をする(出題、採点)立場になりました。「ノート、その他、何で
も参照可」「講義で説明したことがそのまま出る」と事前通知していた
ので、欠席した回のノートを他人からコピーしてもらったりするのだろ
うなあ、と想像していました。必修科目ですから、尚一層、いろいろ画
策するのであろうと。ところが、驚いたことに、何らそうした画策の形
跡はないではありませんか。自分が出席して、講義中に認めたノートを
見て、答えられるところだけを解答し、他は空欄のまま、試験時間を3
0分近く残して退室していくのです。出席率5割の子は、4割ほど解答
して退室。更に、課題のブックリポートも、提出しなかったり、原稿用
紙2枚程度しか書いて来なかったり(5枚程度を要求)。見せかけでも、
何とか取り繕う、といった様子が全くありません。もちろん全員、とい
う訳ではありませんけれども、なんだか、10数年前の同級生たちの方
がまともであったような気もします(いささか行き過ぎの面はあれ)。
いつだったか、学生のレポート原稿をネット上にアップしているHPを、
元さんが発見して、嘆いておられました。それを見つけるだけの努力を
するならば、まだ、マシな方なのかしら、とすら思ったりもします。い
やいや、こちらの手抜きを学生が感じ取った結果やも知れぬし、こちら
もこれからはより力を入れて、学生の関心を引くような講義をせねばな
るまいなあ、と、雨上がりの空を眺めつつ、とぼとぼ歩きながら、ぼん
やりと考えた次第です。


術語は失念すれども 投稿者:元夏迪  投稿日: 7月18日(火)12時49分31秒

「開闢以来の」と言うべき所で「麺麭裁断以来の」という表現に、
アリストパネースから続く修辞の伝統を見る昼支度。


子孫(こまご)は行かんと言う前に 投稿者:元夏迪  投稿日: 7月18日(火)12時13分6秒

したいです」「してほしいです」「していただきたいです」とい
う駄々っ子のような言い回しはやめてほしいです。


ゴルムド日記続 投稿者:元夏迪  投稿日: 7月17日(月)17時55分27秒

八月一日月曜
夜半時折起きて高橙で給水。六時半少し前、本格的に起床。稍冷え
る程度。軈てゴルムド駅。

快晴。市政府招待所の所在も判らぬまま、站前ロータリー。一路の
バスが止まっている。訊けば招待所も通るという。七角。

初めゴルムド賓館の方へ行く。一泊二百元と言われ、目を剥いてい
たら、同じ敷地の北隣に行けと。そこが招待所。十七元。

登記を済まし、謨磐堂進士の在否を訊ねる。まだ早いから八時半に
また来いと言わる。部屋に荷を解き、散歩に出る。崑崙路を市場の
向かいで左折して、大通に中ると再び左折、廃鉄場の壁がきのある
所をまた左折。途中朝餉をとって(稀飯+麻婆豆腐、二元二角)、
また市政府前。何だか町しかない町である。

[市政府招待所に戻り、受付に訊ねるも]謨磐堂進士はいない。
[女乃]
を飲み(一元)、地図を買って(一元二角)、仮眠。

柄本明似と某氏似が同室。二−三十一号室。

仮眠を終え、バスで新華書店へ。二元。見繕って買う。二十元三十
五角。歩いて引き返し、途中昼食。大漠食府火鍋城で蛋炒飯、三炮
台茶
。十三元。崑崙商場で布を買おうとしたら、担当がいないとい
う。ポリンタンクを求め(四元七角)、農墾商場で何とか縄を得。

CITSは白人で芋洗い。外賓一人[入蔵費用]千六十元。既に明日は
満席であったが、日本製の加班が出るという。昼前に着いたばかり
で草臥れた表情でソファーに沈んでいる二十歳前後のの日本人男性
と三名で訂票。

後、布を求め(三元五角)、[書籍発送のために]梱包をしていた
ら十八時。[北京]恵中飯店裁縫セットが役立った。市場で麦藁帽
子を買って拉薩行きに備える(二元)。市場広場でシシカバブー十
六本。一本サービス。六元。塩入茶を飲んで歩いたら頭がふらふら
した。帰宿してそーとー氏の体温計で測ったら、また三十七度八分。
バファリンを服用して眠る。


ゴルムド日記 投稿者:元夏迪  投稿日: 7月17日(月)17時54分35秒

土曜日は久振りに麦藁帽子を被って出掛けたのだった。平成六年八
月一日月曜、中華人民共和国青海省ゴルムド市の露天市場で購入し
たものである。値二元。夏になるとこれを被る。大学へ行くにも被
り、曾て勤務した予備校にもネクタイ着用で被っていた。生徒は変
な目で見ていた。

麦藁帽子を購入した当時の記録を見る。北京から拉薩まで直通電車
通じた今とは、大分旅の趣も違ったことが判る。走り書きをその
まま下に引く。当時一元は十一円四十銭である。同行者はそーとー
氏。青海省西寧で謨磐堂進士と待ち合わせ、三人揃って入蔵しよう
と企てたが、進士との接触に失敗している。

ゴルムド市政府招待所の便所に行ったら、壁に「尸」の中に「穴」
の字が書いてあり、黒のボールペンで稚拙な猥褻画が添えられてい
た。

七月三十一日
[青海省西寧市西寧大廈ドミトリー四百五号室で]五時四十分起床。
身支度を整え、六時十五分部屋を出る。値班の階服務員をたたき起
こす。そーとー氏が住房証の紙を保証夾に挟んで渡したため、少々
揉める。

総服務台もシャッターを下ろしたまま。やはり急ぎの漢族が降りて
きて、大門脇の柱の中から守衛を捜し出し、無理矢理シャッターを
開けさせる。中では値班が起き出してきた。

六時半、バスで火車站。二角。屋台で稀飯と油条二本の朝餉。一元
一角。

列車[第五百七次、客。百六十六元五角]は定刻とされている七時
五十分ではなく、新ダイヤの七時半発。三号車十五下舗。既に中舗
の中年夫婦に占領されている。詰まらぬ話を二言三言交わし、余は
早速寝入った。

十時過ぎだったか、そーとー氏が余の肩を叩く。見れば足許に高橙
[ジュースの銘柄]千二百五十ミリリットルのペットボトル。いつ
の間に。それは兎も角、青海(ココノール)が見え始めた、という
ことであった。

車窓左側、確かに水色の空、灰青の山脈、そしてその麓の碧がかっ
青い帯。青海と称するに真に相応しい。午前の菜花の明るい黄、
そして足許から広がる嫩色豊かな草原。時に石瀬を跨ぎながら、二
時間ほどこの光景が続く。瀬は驚くほど透明な水に覆われ、乾河と
なった時に生じたと覚しき三十センチメートルほどの草が水中で靡
き、微妙な碧瑠璃色を見せる。この流れが注ぐ湖ならばこそ、青海
と謂えるのだろう。

軈て右手から低い丘陵が現れ、ほんの一瞬湖に限りなく接近し、そ
の沙浜を眺めていた余の前から、不意に湖が消える。これで終わり
なのだ。

窓際で嘆賞を恣にしているうちに、上舗の連中が我々の下舗を占領
し、トランプ、煙草、麦酒三昧。事務系軍人二人、ピンクシャツの
ダメおやじ、緑シャツのシャブ中ポールマッカートニー似、それか
ら稍逞しい文化人類学科の藤吉郎氏似。だめおやじはその中余の舗
でぐうぐう眠り、二時間ほどそうしていた。

大きめの駅に停まった機会を捉えて「御主人、ここでちょっと横に
なって休ませて貰いますよ」と言って午睡する。

醒めると時刻は夕方であったが、些か陽が西に傾いた程度。脂っこ
そうな盒飯を昼食にするのを躊躇したため、、夕飯に期待する。湯
も出ないという。烏蘭も地図で見るのと違い、ひからびた何もない
站。一時間近く停車する站で高橙千二百五十ミリリットルを買う。
五元。火腿腸を買わなかったのは失敗であったがまあ凌げないこと
もない。

舗から首を延ばして窓外を見る。遙か西方の山稜がオレンジ色の空
にシルエットに浮かび、車窓が弓なりに連なっている。幻想的な景
色だ。が、先の解放軍諸氏はお構いなしのどんちゃん騒ぎ。吐き捨
てる食物のかす、それを臭いモップで掃く女服務員。この国の言う
文化とは何なのか、礼貌とは何か、二千年の昔からこのザマかとあ
れこれ思い繞らしつつ、さっさと場所を確保して、消灯前に眠って
しまった。


白昼夢 投稿者:元夏迪  投稿日: 7月17日(月)00時30分34秒

土曜日正午前、ふらつく体で京王バスに乗り込み、本町一丁目辺り
で炎天下の窓外に目を転じたところ、何故か横丁の奥に橋本は河原
町の路地が潜んでいるような気がしてならなかった。気のせいだと
すぐに思い直そうとしたのだが、気のせいじゃないんだ、ここには
確かに昔、あの路地があったんだ、という心の叫びを抑えることが
出来なかった。乃公は疲れているようだと思った。雷雨の後であれ
ば、あんなに強烈な錯覚に襲われることもなかったのだろうか。


みたままつりその2 投稿者:愚妻  投稿日: 7月15日(土)22時58分36秒

よっす。今日は突然の雷雨で涼しくなりましたね。最近お爺様にモテモテの私
は、今日は88歳のお爺さんにデートに誘われ、研究会はさぼって靖国神社のみ
たままつりに行ってきましたよ。しかも昇殿参拝だもんね。何が驚いたと言っ
て、奏楽が始まるというからヒュルヒュルピギーというのを期待していたら、
国学院大学の吹奏楽部の演奏というのが始まったのでひっくりかえりそうにな
りました(しかもトランペットで一人、音程が外れ続ける人がいた。邦楽奏法?)。
すべての神事がこのへたうまな吹奏楽の演奏のもとに行われ、とても新鮮。ど
ういう意味があるのか不審に思っていたら、ご一緒した御爺様が、「安上がり
なんでしょうね」と教えて下さる。一応納得。

その後、「陸軍士官学校の後に建ったホテル」(正式名称不詳)で食事を頂く。
ご一緒したのは帝国海軍横須賀鎮守府砲術学校予備学生三期生の皆様。皆さん
80代半ばのはずなんだけど、御達者でおめでたい限り。ビルマで午前中に護衛
してた筈の現地人が午後には反乱軍を組織、襲撃されて大変だったお話とか、
この61年はいったいなんだったのだろうか、という御話などを有り難く拝聴。


東京旅日記 投稿者:針鼠  投稿日: 7月14日(金)22時51分36秒

よっす。暑いね。昨夏の暑さは何というかこう、より直接的で暴力的であったが、
今夏の暑さはより陰湿というか、確信犯的というか。毎日ムワムワしておる。

それにしても、なぜ愚妻に対して分からん分からんといっているのに、元夏迪氏
が暗夜行路の読解の手引き云々と言ってくるのです?もしかして、君たちできて
るんじゃない。何かかばいかたがあやしいもんね。

今日は私は午前中四ツ谷で用事を済まし、神保町にでも行こうと思って昼から新
宿通りを歩き出しました。半蔵門駅の辺りで左折して、まっすぐ進むとじきに靖
国神社に出た。ちょうどみたままつりの最中である。これはちょうどいいと思っ
て、しばらく遊んでいくことにした。境内の中をぐるぐる回り、露店を冷やかし、
見世物小屋のお化け屋敷が出ているのを確認した(まだ始まっていなかった)。
とくに面白いのは名士揮毫の懸け雪洞で、キンキンや浅香光代や小堀桂一郎やと
いった人々が銘々好きな絵を描いたり文を書いたりしている。一番いってるのは
窪塚洋介君ので、黒白の日章旗の向こう側に不思議な風景が浮かびあがっている
絵であった。一番感じのよいのは坂田利夫氏のもので、「和」と一文字書いてあ
った。朝青龍が一文字「国」と書いてあるのもよかった。そうこうしているうち
暑くて堪らないので売店で氷イチゴ300円也を買って、能舞台の前の人々が集
まっている所に行って座って食べた。能舞台ではみたままつり奉納芸能をやって
いる。さっき通りすぎたときはラメの服着た御婆さん連が大正琴で「人生劇場」
を合奏していた。今度始まったのは日本民謡協会栃木県民謡連盟の発表で、子供
一人だけまじってあとは年寄り中心で十数人が栃木からやってきたのである。そ
れで馬子唄やら何やら歌ったり踊ったりしている。見ているのは皆爺さん婆さん
ばかり。美しい能舞台、ややばらばらとはいえ型の決まった踊り、きれいな意匠
の入った着物、そして黄色く並ぶ献灯を爺さん婆さんたちと一緒に眺めているう
ちに、大いなるものの一部になるのもそれはそれで悪くないと、そう思った。


駅舎の装い 投稿者:元夏迪  投稿日: 7月12日(水)14時27分50秒

駅舎が新しくなって、すっかり存在感を喪った函館駅の時計掲載
ページ
)だが、重量十七キロの長針を落っことして、自己実現を試
みたと聞き、胸が傷んだ。昔の時計を想い出し(掲載ページ)、個
性の時代を絶叫しつつ、没個性の暗い流れが滔々と押し寄せる世相
を思い、また小さな胸が傷んだ。

ここまで書いて、個性の時代を先取りして桃色に変身した駅舎がふ
と脳裏を過ぎった。


異生羝羊心の呟き 投稿者:元夏迪  投稿日: 7月11日(火)12時40分26秒

空海秘密曼陀羅十住心論』に所謂第九住心(極無自性心)、即ち
華厳事事無礙法界に達するを要す。以て『暗夜行路』読解の秘鑰
となすべし。

今日も溽い。てっちゃん針鼠さんも御大事に。


ぎゅむー 投稿者:針鼠  投稿日: 7月11日(火)00時27分53秒

でしょー。わかんないでしょー。一筆箋の二大巨頭がいうんだから
間違いなくわかんないんだよ。


う〜ん 投稿者:てっちゃん  投稿日: 7月11日(火)00時04分12秒

>わかってお願い。

わかんなぃ〜

最近、何かと忙しいでっす


駄句 投稿者:元夏迪  投稿日: 7月10日(月)21時13分47秒

晝冥く山蘭白蓮
上水の邊にを聞く夕べ
窓近き床に吹き入る夏の色  鶯 里


放心の愉楽と胡旋舞 投稿者:元夏迪  投稿日: 7月 8日(土)23時36分40秒

ぷちさん、よう御越し。昨今は癒されるのに忙しくて余念のない方
が増えて、傍目にも気忙しい世の中となりました。国外に出て無聊
を求める胆力にも頭が下がる次第です。

とは申せ、不佞自身、出先でぼんやりとすることを無上の喜びとす
る傾きがあり、御友人の心事にも多少共感するところがあるのです。
プーケットやらランカウイであれば、先般の震災の爪痕が癒えたか
どうか気になって、セカセカと歩き回りそうな気もしますが、未知
の土地で、また曽遊の街で、道端の茶店に座り、行き交う人を眺め
ながら、心に浮かぶよしなしごとを、愛用のダイヤモンドメモに、
愛用の万年筆で書き付ける時、言い知れぬ充足感を覚えます。

フラメンコはジプシーの舞ですね。不佞もアンダルシーアで拝見し
ました。曾てジプシーが暮らしたという、窰洞を粗末にしたような
横穴の中に設えた席に座し、眼前に見る踏歌に圧倒されました。笑
顔の貼り付いた顔面と、振動の中に鉄石の硬さを蔵する下半身、耳
を聾する拍手は、今も記憶に鮮やかです。唐代に一世を風靡した胡
旋舞とは、あのようなものであったのでしょうか。

ジプシーはサッカー選手になっていますか。


ひねもすのたりのたりかな 投稿者:ぷち  投稿日: 7月 8日(土)02時38分51秒

連投ごめんなさい。

実は私の友人がいま南の島に行ってます。
ランカウイ島、ってとこです。マレーシアにあるらしいです。
マレーシアの地名ってクアラ・ルンプール以外知りませんでした。
世のお金持ち独身OLさんたちの中では、
このランカウイとかプーケットとかが人気らしいです。
聞いてみたところ、某女子大の研究室の
事務のおね〜さん(20代半ば)も行ったそうです。

で、何するの?と聞いたら「何にもしないよ」。

リゾート型の旅行が増えているとは聞いていたけれど、
貧乏性の俺なんかには、のんびりするために
わざわざ高い金払って海外に行く気が知れないのです。
家で寝てればいいじゃん!という気がするのです。

それで帰国後はスーツケース持ったまま成田から直接出社だそうな。
なんか違うような気がするのは私だけですか?


dance to music 投稿者:ぷち  投稿日: 7月 8日(土)02時19分56秒

今日は某女子大史学科の御招待で食事してきました。
つうか、食事はサブ。メインはフラメンゴ。

男性も女性もむやみやたらと力強く、
始まる前は談笑していた観客もみな圧倒されてました。
日本の盆踊りと違って下半身の踊りだなぁ、と感想を漏らすと、
他の先生方から、日本舞踊は下半身を使うよ、と指摘されました。
そうなのか〜日本舞踊ってマトモに見たこと無いからわかんないや。
あんなパワフルな踊りを女性でもする国のヤツには
日本人なんかじゃ100年経っても玉蹴りで勝てないだろうな〜。

今年は興福寺薪御能にも行ったし、なんだか踊りづいてます。
「一番うまく踊ったヤツにこれをやる」と書いてある太古の壺もありましたね。


でんえん 投稿者:愚妻  投稿日: 7月 5日(水)09時07分4秒

国分寺駅で珈琲を安く飲もうと思ってドトールに行ったらあまりの混雑ぶりに
嫌気がさし、他を探そうとしていて「そういえば気になる店があるのであった」
と思い出す。それは「名曲喫茶でんえん」、国分寺の老舗の有名な名曲喫茶で、
蔵を改造した店らしいんだけど、いかにも「一見さんお断り」といったたた
ずまい。でもまあ一回くらいいいや、と思って勇気を出して入ってみれば、薄
暗い店舗には客が一人いるだけで、おばさんかおばあさんか暗くて判断しかね
る店主の女性に、予想に反して歓迎して頂けました。でも、臭い。古い家の物
置の埃とカビが妙なるっていうか堪え難いハーモニーを醸し出しているそんな
臭。アンティークなエアコンもフィルターにカビが生えてるんだろうなと想像
される。失敗したーと思ったけど、仕方ないのでアイスコーヒーを注文。ス
ピーカーはかなりよくって、なんかピアノ協奏曲がかかってたけど、臭いの方
に圧倒されてなんだか記憶なし。でもスピーカーは大変良かった。それでアイ
スコーヒーもびっくりするくらい美味しくて感動したんだけど、でもやっぱり
臭いしあんまり長居すると病気になりそうなので、早々と退散しました。また
行きたいような、行きたくないような、悩ましい店です。涼しくなったら大丈
夫だろうか。一度掃除しに行きたい。おわり。


本郷三丁目に 投稿者:愚妻  投稿日: 7月 1日(土)08時11分30秒

久々に行ったら、確かにあったはずの店がなくなっていました。あれが「ジュニア」
だったのですね。昔入ったことがあるような気がしないでもないのですが、はっき
りしません。本郷三丁目の駅は特に変わり方が激しい気がします。昨晩の研究会の後
ぐったり疲れて向った麦も、最近は微かにきれいになりました。繁盛してました。

>途中から誰が語り手なのか分からないようなものになっている。

わかってお願い。

先日石原千秋の『学生と読む『三四郎』』(新潮選書)という本を読みました。帯
には「小説に作家はいらない -- こう考えると「漱石」が断然面白くなった!最良の
テクスト読解入門」との惹句。でも半分以上『三四郎』とは何の関係もない成城大
の学内政治とか、「私はどうしてこんなに偉い学者なのか」「私はどうしてこんな
に学生に人気があるのか」というナルシスティックな話で構成されており、個人的
にはゴシップ的観点から面白かったんだけど、そうでなければ「金返せ!」となら
ないんだろうか。

ところで、突然ビデオカメラを買ってみようと思い立ちました。どんなものを買っ
たら良いものか途方に暮れている所です。どなたかお使いの方いらっしゃいますか。


楽して身につく贅肉 投稿者:針鼠  投稿日: 6月29日(木)14時49分14秒

暑いね。

 下の愚妻氏の文章は、途中から誰が語り手なのか分からないようなものに
なっている。「『つんぼ』だと思ってしまった」のは愚妻なのか元夏迪なの
かそれとも別の「書き手」なのか・・・この語り手が渾然一体とした状態は、
どこかで見たことがある。『暗夜行路』のラストである。語っているのは謙
作なのか奥さんなのか直哉なのか、最早誰にも分からなくなって終わる。既
に愚妻・元夏迪夫妻は、直哉54歳の域に達しているようである。


一筆箋/御歸り/御問合

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