自平成十八年五月十一日第二千六百十一号
至平成十八年六月二十九日第二千六百四十号
ギリシア語で「盲」は「テュプロス」(tuphlos)だけれど、「つんぼ」はなんだっけ?
という話をしていたら、「テュンボス」だよ、と元夏迪氏即答。一瞬信じかけるが、な
んか違う気がする。確かにtumbosという語は存在するが、そんな意味じゃなかったよ
うな。それに、「つんぼ」はそんな単語じゃなかった気がする…。そうです、tumbos
は「お墓」という意味です。ではどうして「つんぼ」だと思ってしまったんだろうと
考えるに、tumbosと「つんぼ」、音が似ているかららしい…(汗)。でもそのうち、
新しく発見された碑文を調べると実は「つんぼ」という意味でtumbosが使われている
例が見つかって、日希同祖説の新たな根拠に使えるんじゃないかと期待。
謨磐堂進士、よう御越し。
ジュニアと本郷館の解体に、今昔の想いを禁じ得ません。思えば駒
場寮が消え、本郷では「ちどり」が消え、個人的に懐かしいところ、
個人的に縁はなくとも、その街には欠かせないところ、そんなもの
が眼前で崩壊して行くのを見るというのは、何とも情けないことで
す。
先日、祖父母が暮らした藩政期の長屋の前を通りかかって見たとこ
ろ、乾いた更地になっていました。夏迪、川上ニ在リテ曰ク、逝ク
者ハ斯クノ如キカ、晝夜ヲ舍カズ。
こんばんは。多忙で久しくROM専に身をやつしておりましたが、ちょいと現実逃避してみようという
ことで久々に一筆 (笑)。
昨日、本郷三丁目駅に降り立ったところ、駅前の喫茶店「ジ○ニア」がつぶれて解体工事をしており
ました。まあ普段から茶店には余り入らない人間なので (^^;)、結局ついぞ一度も入ったことがなかった
のですが、まあ最近は怒濤児に客を吸われてしまったのが響いたのでしょうな……。改装して対抗しよ
うとしたのに、弱肉強食の世の習いを見るような心地こそすれ。
それはさておき、こんなニュースを最近入手しました。
本 郷 森 川 町 の 木 造 三 階 建 て ア パ ー ト 「本 郷 館」
今 年 限 り で 解 体 !!
まあ、明治建築であり、外から見ても相当ヤバい雰囲気なので、これも時代の流れか……
いま自分のゼミに出ている院生の友人がここに住んでいるとのことで、一定以上の所持品を部屋に持ち
込んではいけないらしいです (重みで柱があっけなく歪むそうで……くわばらくわばら)。
写真に撮っておくのも今のうちでせうね。
本郷といえば、最近開発したお気に入りのルート (文京区役所方面に行くのに便利):
落第横町→鳳明館本館で左折→菊坂→菊水湯→樋口一葉旧宅付近→財務局真砂住宅→階段→区役所
……迷子になりそうなところもありますが、なかなか楽しいです。
『史學雜誌』の「回顧と展望」で他に気になった記事。
「総説」の部。戦後六十年を振り返る著者の視線と当今の思潮に対
して抱く所感とが書き留められている。一知識人の自画像のような、
不思議な記事。昨年の研究の総括には程遠いが、将来史学史や本朝
の民俗に思いを潜める人に向けて語りかけているような気がしてな
らぬ。
「歴史理論」。パソコン関係に紙幅を裂きすぎたこと、その一方で
ラテン文字の略号が縦中横で正しく組まれているかと思えば(DNB
など)、単に「全角英数字」で一文字一文字縦に並んでいたりと、
首尾一貫せず、また電算化の主張とも齟齬をきたす版面が無念。ワー
ドを推奨する辺りも、電算化と言うよりはワープロ世代の発想を感
じる。その一方で、「修正主義」を悪と切って捨てればよいと信じ
る「進歩主義」者に対して、教科書問題と混同して修正主義を論じ
るな、と釘を刺す。大変爽快な主張。釘を刺した相手が著者の愛弟
子だったこともあり、対話と批判というのはこうありたいものだと
痛感。
昨日は文献の蒐集を効率よく進めることが出来た。近来希に見る成
果―と言う程、点数を集めた訳では勿論ない。飽くまでも気分の問
題です。
『史學雜誌』という雑誌の「回顧と展望」特集記事も読む。昨年刊
行せられた歴史学関係文献を分野ごとに総覧、批評する企画。今年
の古代ギリシアの部はよく書けていた。それぞれの文献の良いとこ
ろを見付けて、判りやすく説明してある。あれだけ集めて、読んで、
一々是非を吟味し、その長所を活かすのは、大変な骨折りだと思う。
夕方から研究会一件。研究報告では例になく質疑が長引き、それを
聞いて色々と考えることが出来た。報告共々勉強になった。新刊紹
介は、自分で絶対読まないような書物について、半時間でその梗概
と位置を教えて貰い、怠け者には有難いことこの上ない。その後の
食事の席では、参加者の面子の関係で一同言語を英語に切り替える。
酔って益体もないことを口走る。
本日武州の上水辺は曇。涼風が吹いています。
「暇な時ほど忙しいことはないし、周りに誰もいない時こそ孤独と
は程遠い」―プーブリウス・コルネーリウス・スキーピオー・アー
フリカーヌス(Cic.Off.3.1)。
暇な時にもあれこれと仕事に思いを巡らせ、独りでいる折にも自問
自答を繰り返し、余人との会話をする遑がなかった偉人の言である、
とかなんとかキケローは解説を加えているのであるが、本当は「他
人と忙しくしている時にはまともな仕事なんて何一つ出来なくて困っ
ちゃうや」とボヤいていただけなんじゃないか。
今日は埼玉の山奥で仕事した帰りの電車の中で、ダカーポおじさんに再会した。
ダカーポおじさんは、はじめエンドレスおじさんと呼ばれていた(by 愚妻)の
だけれど、それはなぜかというに同じ歌をエンドレスで歌い続けるからなんだが、
よく聞いてみるに本人が納得すると新しい歌に移行するので、ダカーポおじさん
と改称。今日の演目は(一ヶ月前に初めて会ったときもそうだが)、「タンポポ」
「森の熊さん」「小さい秋」。「森の熊さん」は一人で輪唱しているので協力し
たくなったけれど、邪魔されると迷惑かもしれないと思い、じっと我慢。でも
「小さい秋」では
目隠し鬼さん 手の鳴る方へ
澄ましたお耳に 微かに響く
呼んでる口笛 もずくの声
と歌っていて、思わず吹き出しそうになって大変焦る。「いやしかしもずくは海
藻なので声は出ないと思いますよ」と何度も言いたくなるが(何度も歌っている
ので)、聞いてるうちに段々と、正しい歌詞は「もずくのこーえ」だったんじゃ
ないかと思えてきて不安におののく私をおいてダカーポおじさんは降りて行って
しまった。
更に今日はギャルたちがキャッキャと大騒ぎしているので、どうしたのか訊ねる
た所、「ラメッテルンデス」と教えてもらう。でもそれが何を意味するのか判ら
ないので更に質問すると、それは「ズボンに装飾として付いているラメが周囲の
物体に付着してしまって大騒ぎをする」の意だと教えてくれる。なんと少ない音
節でなんと複雑な事を言い表せる言語であることかと大いに関心した。
まるで高原へ避暑に来たような涼爽な天気だなあと浮かれながら窓
際の机に向かうこと数刻、陽も傾いて郵便受けを覘きに出たら、西
陽に温んだ風が漾っていて、なかなか溽い。上水の湍流と堤塘を固
める並木の木陰が、室内を涼やかにしていたのでした。
リベル・リーベル(或いはリーベル・リベル)なる網站にビーコの
書き物がありました。
ビーコの著述を邦語で読むのは難しいようですね。為人や仕事につ
いてほとんど知らないくせに、ローマの書店でペーパーバックを見
かけた時から、何となく気に懸かっています。ナポリの人だそうで
すから、何百年か前の同業者の書き物を捲りながら、ナポリの路地
を満たす湿り気や、夕映え鮮やかなヴェズヴィオの山影を想い出し
たい宵です。
國學院大學二十一世紀CEOプログラム「神道と日本文化の国学的研
究発信の拠点形成」の一環として、七月二十九日土曜に「丹生明神
と高野山―神仏関係の具体的事象―」なるシンポジウムがあるそう
です。丹生宮司や、弊站から鏈接を張っている櫟庵の御主人も御報
告になるとの由。折角の機会なので、何とか都合を付けたいもので
す。
丹生都比売神社の杉もまたえらい目に遭って。
早晩記事の鏈接が切れるでしょうから、以下に著作権者名を添えて
コピー。
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世界遺産でアキレた狼藉…神社の木に穴開け除草剤注入
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」にある和歌山県かつらぎ町の
丹生都比売神社で、樹齢約100年の杉の木に何者かがドリルのよ
うなもので穴を開け、除草剤を注入していたことが14日、分かっ
た。
木は既に大部分が枯れており、和歌山県警妙寺署が器物損壊事件と
して捜査している。宮司の丹生晃市さん(50)は「ただあきれる
ばかりで許せない」と憤っている。
調べでは、12日午後3時すぎ、丹生さんが木の根元に白い粉のよ
うなものが付いているのを見つけ、警察に届けた。
根元には直径3センチ、深さ約10センチの穴が4カ所あり、中か
ら白い液体を検出。鑑定の結果、除草剤のテニルクロールと分かっ
た。近所の住民が、5月ごろから木が枯れ始めているのを目撃して
いたという。
県文化遺産課によると、神社は国の史跡に指定されており、同署は
文化財保護法違反に当たる疑いもあるとみて調べている。
ZAKZAK2006/06/15
<器物損壊>世界遺産の神社境内で杉に除草剤和歌山
世界遺産に登録されている和歌山県かつらぎ町上天野の丹生都比売
(にうつひめ)神社境内にある樹齢約100年の杉の根元に穴が開
けられ、中に除草剤がまかれていたことが14日、分かった。木は
大部分が枯れており、回復させるのは難しいという。県警妙寺署は
器物損壊事件として捜査し、文化財保護法違反の疑いもあるとみて
調べている。
調べでは、12日午後3時40分ごろ、同神社から「杉の木に穴を
開けられ、白い粉のようなものがある。木は枯れている」と通報が
あった。杉は高さ約28メートル。穴は根元部分4カ所にあり、い
ずれも直径約3センチ、深さ約10センチ。粉を調べた結果、除草
剤として使われるテニルクロールと判明した。
県教委文化遺産課によると、この杉も神社の鎮守の森を構成する要
素で、境内は国史跡に指定され、世界遺産にも含まれるという。文
化庁は「文化財保護法違反の可能性が高い」としている。
同神社の創建は1700年以上前とされ、高野山の鎮守神として知
られる。神社本殿と楼(ろう)門は国重要文化財。
(毎日新聞)-6月15日1時16分更新
くずし字練習帳で変体仮名の稽古。同じ仮名でも字体が違ったり、
同じ字体でも別の手だったりと、本格的。見慣れない崩し方もあっ
たり、なかなか難しい。タイポで不正解になったりもするので、な
かなか満点合格とは参りません。
二宮宏之氏追悼文が『思想』六月号に掲載されたので、近所の図書
館で読んできた。近藤和彦という御仁の一文である。
歴史学者は頭を使わぬ悪弊がある。その癖、頭を使っていると錯覚
する嫌いがあるし、時には豪語して憚らぬ。二宮老はその軽浮を憂
い、嗤い、正す人生を歩んだ御仁のようである。近藤氏の筆は故人
の仕事を業界内部に位置づけて評価し、批判し、継承すべき課題を
描き出す。その筆端の向こうに、二宮翁の為人と見識が垣間見える。
生前の翁とはとんと縁がない。(本朝学界では死語にされてしまっ
た)sociabilitéを論じたシンポジウムの席上で「ソシアビリテ探し」
に狂喜する会衆に長嘆し、これを諷諫た由を側聞し(不佞は雑誌販
売要員で会場外に待機)、感心した事が一度。書物に収められた座
談会の記録を読んでいると、(座談会の御多分に漏れず)放言し、
迷走し、自己満足の快感に溺れる座に釘を刺し、数語で話の来し方
をまとめ、行方を示す二宮という寡黙な御仁に出会い、その視力に
驚いたことが一度。スカーフか何かを巻いて歩く異様な風体を望見
したことが一度。それぐらいのものである。縁と云うにはあまりに
淡い。
追悼文に見る大儒の言行に、自分の頭で考え、自分の脚で立つ人間
になりたいものだという宿願を新たにした次第である。
のっぼさん、おめでとうございます。
一筆箋を開設したのが平成十三年四月一日日曜、それよりもやや遅
れてカウンタを起動しましたから、大体五箇年をかけて五万五千五
百五十五に至った勘定になります。次は六年目の六万六千六百六十
六を目指して運営に邁進致す所存です。
只今確認したところ、寫眞帖扉のカウンタは一万九千三百七十三で
した。弊站に於いて、寫眞帖や文集(カウンタがないので実態は不
明ながら)にも増して、この一筆箋が御支持を賜っていることは、
網站の管理者としては洵に幸せなことと申さざるを得ません。大方
の御支援と、倍旧の御愛顧を願い上げます。
キリ番ではありませんが、0055555番目でした。
今日は渋谷を歩いていたら宣伝カーで信号待ちをなさっている唯一神又吉イエ
ス先生をお見かけした。前にも見かけた事はあったけれど、今日はとても近く
で拝見できたので嬉しくなってしまって思わず「又吉先生!」と畏れ多くも声
をかけて手を振ったらば、にこやかに手を振り返して下さったのみならず、
「有難うございます!」と何度も頭を下げて下さり、お互いぺこぺこ頭を下げ
合った。有り難い事である。唯一神に地獄の火の中に投げ入れられないように
これからも頑張ろうと心に誓った次第。
今日は保田孝一先生を偲ぶ会に出席した。保田先生は近代ロシア共同体論、日露交
流史研究の大家で、日本で初めてソ連文書館史料を利用した人として知られる。会
場で配られた著作目録を見て驚いたのが、先生のデヴュウ作は「古典時代・ヘレニ
ズム時代のビザンツ―ネフスカヤ女史の近業について」『史潮』55(1955)
であり、その後も「帝政およびソヴェト・ロシアにおける古代学研究の重心の移動
とその社会的背景」『歴史学研究』211(1957)、「黒海北岸地方のギリシ
ャ植民市における農業―ケルソネソスの場合」『史学雑誌』67−9(1958)
と、古代史に関する論考が続いていることである。聞けば保田先生は村川堅太郎先
生の下で学ばれたという。近代ロシア史に関心が移るのは、1960年代に入って
からのことである。
周知の通り、わが国また欧米における古代史研究の大きな弱点の一つは、ロシア語
圏の研究に対する関心の欠如だ。今日、古代史研究の国際的な拠点がイギリス、ド
イツ、イタリアなど西欧諸国に位置する以上、それもまた仕方がないのかもしれな
い。だが、あえて問う。かつてのギリシア世界に属する諸地域のうちで、現在なお
古代史研究が盛んであるのはどこであるのかと。今日のギリシア共和国の体たらく
については、何をかいわんやである。それに対してまさにロシアこそが、あたかも
本家の零落をあがなうかのように、古代史研究の花を咲かせたのではないのか。ロ
シア語圏の研究を摂取しないうちは、古代史研究は十全たるものとはいえない。わ
れわれはいつになれば、本当の古代史研究の姿にたどりつくことができるのであろ
うか。
今日は碑文を読んできた。出席者の一人が、持参した所属校の紀要
らしき冊子を示して、不佞に見ろという。周作人と希臘文学云々と
いう論説である。奇特な人もいたものだと思い、著者を見れば、遠
い昔に暫く机を並べてともに漢語を学んだ御仁である。忘却の彼方
にあった御仁のことを想い出し、漢語を教えて下さった老師の絶筆
に「過日○○[件の同学]君が北京にお見えになり、懇談数刻、既
に私もすっかり健康を取り戻しましたから、他事乍ら御休心下され
たく云々」の一条があったことまでもが記憶に甦り、昔を弔ったこ
とである。
「楽しく身につける○○」という惹句には嘘がある。
例えばペン習字や英会話である。これまでのやり方は詰まらなかっ
た。だから身に付かなかった。教材は無味乾燥で、学習意欲を殺い
でしまう。だから身に付かなかった。この「だから」に嘘がある。
この嘘の先にある「そこで楽しく身につけるやり方を伝授します」
「楽しい教材でラクラクマスター」が空手形に過ぎないのは、当然
のことである。
活字ビッチリの教材を廃して絵解きの教本を導入したはよいが、そ
の絵解きがサッパリ面白くないから嘘がある、というのではない。
漫画日本史で「(北条)政子さま、逆から読んでもマサコサマ」と
いう駄洒落を入れてみたところで、さして面白くないのは紛うこと
なき真実である。そこには一片の嘘もない(ただし、絵解きが面白
いという事実を排除するものでもない)。
教授法や教本がいくら詰まらなくたって、伝授せられる内容をきち
んと身につける人はいるものである。そうした人々は、程度に差は
あれ、習得の過程で某かの達成感や喜びを覚え、これを転じて愉し
みとなす傾向にある。「見所のなきこそ者の上手なれ」なる教歌が、
いつの間にか「好きこそものの上手なれ」にすり替わって人口に膾
炙しているのは、その証左であろう。教材の面白さ、教程の愉しさ
は二の次、三の次である。
詰まらない課程を苦にせず温習し、習得した人が「楽しかった」と
振り返る。「習得→愉楽」の「→」は本来質の異なる二項をその継
起に沿って前後に並べたものである(習得は「事態」であり、愉楽
はその事態に対して後から下す「評価」である)。そこに因果関係
を勝手に読みとる。「習得故に愉楽」となる。常識に合致する命題
が出来上がる。ここで二項の前後を転倒する。「愉楽故に習得」と
いう命題を導くことが出来る。この転倒作業は常識で考えても異常
である。この異常を隠蔽するのが、習得を欲する潜在的顧客層の怨
念と欲望だ。「自分が○○を身につけ損なったのは××が悪かったか
ら、詰まらなかったからだ、従って××がよくて楽しかったら、自分
は○○を身につけられるに違いない」。勿論、現実はそんなに甘く
はない。「楽しく身につける○○」は、これだけの嘘と、怨念、欲
望によって成り立っている。
昨今では「楽して身につける○○」の方が幅を効かせているようだ。
先日も婦人雑誌の見出しに「この夏絶対にキレイになりたい!(と、
不思議な決意を無関係な人間に対して露出狂的に絶叫し、表明して
みせるのである−−元夏迪註)わたしにもできる、今から間に合う
『ゆるダイエット』」の大活字が踊っている。運動嫌いに好適なる
痩身法の特集らしい。「楽しく身につける○○」にはまだ積極的に
身につけようという意思の残響を聴くことが出来たのに、「楽して
身につける○○」系の「わたしにもできる、今から間に合う『ゆる
ダイエット』」は、駄目な自分を肯定して呉れろと言う積極性ばか
りが鼻につく。慌てて己の腹周りの肉を摘んでみて、駄目な自分の
否定に相勉めるのである。
「楽して身につける○○」という惹句には、恐るべき真実がある。
愚妻さん今日は!
田舎のママのシーンは印象的ですね。僕の連れもあそこが大変気に入っていました。
知的なご婦人方に共通して訴えかけるものがあるのかもしれませんね!それはさて
おきアド街の新浦安はブキミな町でした。情緒あるものを全てぶち潰したい人たち
が全国からわさわさと集まってきてつくったようだ。
わたしは今日は大学にてあなたの夫ジャイアンと邂逅し(実際に見るとあんまり似
ていませんね)、二人でぎゅつと抱き合いました。その後ジャイアンは研究会に去
り、わたしは根津に下り、バスで亀戸まで出て、ドトールコーヒーで一服したので
す。このドトールのいいところは、二階の窓際に座ると千葉街道を眺めることがで
きることです。真向かいに見えるお店の看板も興趣に満ちています。ここにその看
板および宣伝の文言を書きつけ、後世に伝えたいと思います。
楽しさ一杯 婦人服掘り出し館 ディスカウントショップ 七福セールズ
電化製品 時計・ライターは3号館2Fに大集合 3号館はどこ(地図)
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私が『プロデューサーズ』で好きだったのは、拘置所にいる主人公が自分の半生を
振り返っている場面で、色々な思い出がフラッシュバックのように蘇ってくるんだ
けど、田舎のママが自分の名前を呼んでいる所で懐かしさがこみ上げて来てたまら
なくなってしまう、でもよーく考えてみるにそれは自分の名前ではなく、そもそも
その名前を呼んでいる女性は自分の母親ですらなく、今までのフラッシュバックは
全部赤の他人の半生であったー!というアナグノーリシスに至る場面でした。
昨日は友人の結婚式で愉快に過ごしました。お天気も良く素晴らしい式だったし、
お嫁さんも美しかったし、一緒に招待された友人と久々に御喋りできたし、帰りに
は美人のフランス史の先生にフローズンマンゴを御馳走になって、帰宅後は悠々と
アド街を鑑賞したのである。
ヘロウ愚妻。
僕が『プロデューサーズ』で一番笑ったのは、おかまの人がヒトラー役で
登場するところ。ちゃんと立っているのにくにゃとしているのが人間ドラ
マであった。あとユマ・サーマンのスウェーデン人が長たらしい名前で登
場するところも印象に残っている。
はりねずさん
そうですか。それでは私はジャイママ目指して頑張ります。負けないよ。
昨日はうんこゼミの先生大絶賛の映画『プロデューサーズ』が吉祥寺で最終
日だったので見てきました。史上最悪の台本、役者、監督を揃え、ブロード
ウェーで「Springtime for Hitler」というミュージカルを上演するという
ミュージカルです。ゲラゲラ大笑いしてすかっとしました。他方、ドイツ人
が気の毒にもなりました。久々の映画館では「湯ーとぴあ荻窪」の宣伝がな
くなっていたので何とも寂しい思いが致しました。
夜中に目を覚ましたら黄色い声でしかも四倍速くらいのスピードで女性がまく
したてているのが聞こえ、一応命にかかわる問題だったら困るのでベランダか
ら覗いてみれば、駐車場で痴話げんかしていた模様。先方もこちらに気づいて
声を落としてくれたけれど、早送りしている訳でもないのにあんなに早く話せ
るのは素晴らしい才能なので、是非これを活用して頑張って欲しいと思いまし
た。おわり。
愚妻さん!
今日テレビを見ていて「はっ」と気づいたのですが、あなたの
だんなさんは最近ジャイアンに似てきましたね。
メモです。読み飛ばして下さい。
高橋三郎『「戦記もの」をよむ 戦後体験と戦後日本社会』(ホミ
ネース叢書、京都、アカデミア出版会、昭和六十三年)。典拠、香
月洋一郎『記憶すること・記録すること 聞き書き論ノート』(東
京、吉川弘文館、平成十四年)、十五頁。
よっす!今日は西洋史学会の発表がんばってね。もう遅いかな。
昨日はつまらない用事がありアド街はほとんど見られなくて残念でした。
浅草の回はとても楽しみにしてたのに。瓜生岩子さんにはうちの曾爺さ
んが生まれた時に曾曾婆さんが手当をして頂いたらしいよ。同じ村で慈
善活動をしてらしたので、その後も親子で何かと世話になったそうです。
そういうことを最近知ったので、アド街が見られなかったのはますます
残念。今度浅草に行って銅像を見てくるね。教えてくれて有り難う。
じゃあまたね。
よっす!
明日は西洋史学会で発表だよ。だから馴染みのバーであるここによって
所信を書き込むの。
今日は寒くて体の調子が活発でなかった。しかし晩になってアド街を見
ているうちにどんどん具合がよくなった。浅草伝法院通り。あんなに改
造されたとは知らなかった。4月に行ったのだけれど、暗くなってたの
で気づかなかったんだね。リニウアルがうまくいったかどうかはちゃん
と見なければ分からないのだけど、あの露店が残ったのはよかった。そ
れならオーケーだ。勘三郎の鼠小僧の人形はいらない。何故なら勘三郎
の芝居には奥行きがないから。なんといっても伝法院通りでよいのは街
灯についてる看板で、絵解きの駄洒落が書いてあるの。そして僕が寄っ
た日には家族連れがお店の扉を開いて「こんにちは栃木いってきまして
ん。鬼怒川温泉いってきましてん」と何故か関西弁でしゃべっていたり、
仲見世で老紳士二人「私なんてもうすっかり用なしですよ」「ラ・フラ
ンスですかわぁははー」とトークしてたり、よかったよー。このときの
散歩で一番印象に残ったのは瓜生岩子の銅像で、1829年に福島県で生ま
れた女史は堕胎廃絶に尽力し、1897年に没したという。何か江戸と明治
をまたいだ人の話を聞くと、不思議な気持ちになって頭がくらくらしち
ゃうんだよね。だから僕、森林太郎も五世中村歌右衛門(芝翫のお祖父
さん。芝翫は江戸人から歌舞伎を教えられている)も興味津々なの。そ
れにしても大江麻理子は八塩圭子の後任を見事に務めているね。じゃあ
ね。
のっぼさん、よう御越し。意外なところに丹精の蹟が見えるもので
すね。善福寺にはいらっしゃいましたか。
昨日の宴会は如何でした。開催地の描写共々、楽しみにしていま
す。
ロナルド・サイムの名著、The Roman Revolutionを講読し、場合
によっては翻訳、上梓しようという計画が明日始動するので、初回
分を眺めてみた。
計算し尽くした文体の雄渾、簡勁。タキトゥスのラテン語をそのま
ま英語に移した措辞と言えようか。卑俗な表現を用いれば、沢庵を
ポリポリとやる感じである。
所々でラテン語文献を参照するように注記してあるので、珍しくラ
テン語を繙く。まずタキトゥス。……暗い。実に暗い。内容のせい
であろうか。句法のせいであろうか。スエートーニウス。やっぱり
暗い。神君クラウディウスのヘマを面白おかしく書いているのに。
ひょっとしてラテン語という言語のせいではあるまいな。敬愛する
ギリシア悲劇研究者(自称「ギリシア人」)の毒気を浴びすぎたか、
そんな思いが脳裏を掠める。そのセンセ、「僕達は皆ギリシア人な
んだね」って喝破(?)なさるんだよね……。「ね」て、念まで押
して。
典拠を繙くのがほんのり憂鬱になってきた。
モノ系の学者の臆断だとは思いますが、夢のある記事を。アイアー
スの居館の跡、だそうです。