自平成十六年七月二十日第一千八百九十一号
至平成十六年八月二十日第一千九百二十号
どうした!
突然かすてらが食べたくなり、焼きました。一本目は色々と不満が残り、二本目で
リベンジ。久々に美味しいです。油を使わないのでヘルシー♪と思いきや、さっぱ
りしていて食べやすいので大量に食べてしまって結果的には不健康。
接触が悪かった居間兼仕事部屋の電気がついに壊れました。こちらでは直しようが
ないので大家に連絡するも、旅行中なのか音沙汰なし。夜は暗い部屋にランプだけ
の照明でムーディーかつロマンチック……な筈はなく、仕方ないので寝室でゴロゴ
ロしながら本読みしているうちにうたた寝、の毎日です。
ところが昨晩!
諸般の事情で大幅に遅れていた仕事が、半月遅れでようやく一つ片
付きました。
ドイツで私たちをあちこち案内してくれたご婦人はゲルリンデGerlindeさんとおっしゃい
ます。Gerっていうのはゲルマン語で「槍」、lindeっていうのは「菩提樹」だから、ゲル
リンデって云うのは「菩提樹の槍」という意味のドイツの古(臭)い名前なのよー、と教
えてくれて、何て素敵な名前と感動。今日、全く別件で調べものをしていたら、ニンニク
Garlicというのも、Garがサクソン語で「槍」、licが「辛い」(綴りを変えればポロ葱leek)
であると知りました。確かに槍の穂先みたいな形をしていますよね。別な意味で感動。
今日はなぜかチヂミが無性に食べたくなり、朝鮮じゃなくて挑戦しました。初めての割
には美味しくできて頗る満足でしたが、思った程感動を覚えず。なんでだろうと考える
に、つい先日ドイツで食べたばかりの具入りパンケーキと限りなく同じものなのでした。
でもチヂミってお好み焼きより遙かにお手軽で、いいですね。
いつも散歩する裏の道Akeman Streetが実はローマ街道の断片であることが判明。鰻の
都Elyなどにつながっていたそうです。ケンブリッジシャーの歴史についてのページが
あったので、メモしておきます。個人的にはサクソン人が入ってきてからの方が面白
いです。どんな資料があるのでしょうか。
まあ何にせよ、たとえ今では薬の売人がふらついてたり車が炎上していても、2000年前
の一等地?に住んでいると思えばちょっと楽しい。その頃のシティーセンターは湿地で、
少しでも雨が降るとすぐ水浸し、辛うじて水面から出ていた突起をhillと呼んだそうで、
今でもケンブリッジの町中にはMarket Hill, Pea Hillなど、どこから見ても真っ平な「丘」
という名の広場が散在。という訳で所謂「ケンブリッジの七つの丘」は単なるローマごっ
こではなくて、一応それらしい根拠があるんだそうです。http://www.cambridgeshirehistory.com/cambridgeshire/index.html
ドイツの知人のお宅に五日間御邪魔し、すっかり観光旅行してきました。クリスマスには
閉まっていたケルンの古代ローマ博物館に始まり、ケルンの大聖堂、「日本人なら絶対見
なきゃ」と何だかよく判らないまま連行されたベートーベンの生家(ボン)、同様に「日
本人なら必見」のローレライの岩を含む六時間のライン川下り、川沿いの中世の城や街の
見学など。地元の街の広場で巨大パフェを御馳走になったり、ビール片手にジャズバンド
の演奏を聴いたりもして、実にのんびりしてしまいました。なぜかハーレーでツーリング
までしたし。「日本人なら必見」(天皇陛下だって来たのよ!)物件には当初どれも大し
て興味がなかったものの、実際に行ってみたら存外面白かったです(笑)。行ってみるも
んですね。自分達では絶対見に行かなかった筈なので、大いに感謝。他方、古代博物館に
行きたいと言ったら知人夫妻に「正気か、本当にいいのか?」と念を押され少々びびった
ものの、中身はとっても良かったです。なんなんだ。
帰ってきてからの二大イベントは、一昨日庭の胡桃の木で朝から晩まで一日中リスが大喧
嘩していて非常にやかましかったことと、お隣のギリシャ人のお宅(角部屋)に夕べ泥棒
が入ったこと。今朝、鍵を盗られたのでアパートの建物の鍵を二三日貸して欲しい、と
やってきたんですが、なんでも庭に面したドア全開のまま寝室で寝てたらしいです。大胆
だ。夕べは結構夜更かししてたのに、気付かなくて残念。庭を通るのは基本的に住人なの
で、同じ建物に犯人がいるんだろうなーと思います。っていうかうちが疑われてたらどう
しましょう。私なら疑うよなー。
知らぬ間にRSSが。
ネット不通事件はプロバイダの方で何か不具合が生じていたみたいです。
プリンタの方は結局引き取り修理に。
日曜は新宿に用事があったので、
遠回りしてお散歩。
行きは落合から馬場の住宅街を、
帰りは大久保韓国人街から目白学習院周辺を眺めました。
歩く度ごとに発見があるものですね。
帰りに大久保の韓国人街から少し路地裏に入ると
小泉八雲記念公園を発見。
この場所とのゆかりは分かりませんでしたが、
小さな公園に似つかわしい控えめな八雲の胸像、
やや不釣り合いな立派なトイレとドーリス式の列柱が
公園を取り巻く立地と併せて考えてみると一層不思議な気がします。
学習院周辺も、
しばしばお世話になっているというのに、
「学習院下」から上ってぐるりと見てみると、
存外広い敷地に緑も豊か、周囲にも新発見の施設があり、
まだまだ散策の余地がありそうです。
酷暑も幾分化は和らぎ(とは言え汗だくですが)、
陽光輝く青い夏空に
そびえ立つ白銀の入道雲は
ちょっとの不安といくらかの冒険心を刺戟してくれます。
のっぼさん、ようお越し。ドライバーのインストールやネットワー
クのコントロールパネル、モデムあたりが怪しいかも知れませんね。
お時間のある時にお手入れを。兎に角当地のパソコン専門店、修理
店は低劣なので、万が一に備える定番の修復ソフト(ノートン先生
に加えてDiskworriorがあると心強い)や、起動ディスクに使える
退避用外付け記憶装置が欠かせません。まだお持ちでなければ、早
急にお求めになることをお勧めします。
運動不足に加えて煮詰まりに煮詰まった半年を消し、混濁を極めた
六根を清浄にするために(?)、これからちょっくら出掛けます。
先の選挙に絡んで「マニフェスト」なる言葉をよく目にしました。ある候補の説明による
と「フェスト」とは「約束」という意味なんだそうで、明らかにラテン語のmanifestusに
由来するんだろうけれど、この説明はとても胡散臭いと思って辞書を引いたら、festusの
意味は不明なんだそうです(苦笑)。因みにmanifestusは「現行犯」の意味で、そこから
「疑いようのない、明白な」の意味が派生、後に「公にされたもの」となったようです。
わからないなら言わなければいいのに。っていうか「公約」とか「宣言」じゃいけない
んでしょうか。
『ギリシャ史』に限らず、古代ギリシャものの邦訳って安心して読めるものの方が少な
い気がしませんか。助けになるより混乱のもとになることの方が多い気がする今日この
頃。しかも、どうしてこんな初歩的なミスをそのまま公刊してしまうかなあ?という
ケースが多くて驚きます(といっても最近のものは見てませんが)。邦訳だけ読んで文
章を書くのはやめた方がいいんじゃないかなーと思うことも、分野を問わず数えきれず。
っていうか一般読者ならともかく、学者が原文も読まずに業績を作ろうというのは
ちょっと虫が良すぎませんか(←結構怒ってる)。
……かくいう私はなぜかblankという英単語の意味がどうしても分からず辞書を引いて
しまい、しばらくかなーり落ち込みました。頭の中がブランク。
化調さん
登山は如何でしたか。穂高ではやっぱり白骨温泉?
本年四月二十一日にも「ぶつぶつ」と題して「第一回古代オリュン
ピア競技会の優勝者コロイボスがコックだった と皆さん言うのだけ
れど云々」とぼやきましたか。
西紀前三百九十二年までリューディアーはサルデイスに駐箚のティ
リバゾス将軍をサトラペースと皆さん呼ぶのだけれども、その根拠
を見つけることが出来ずに、また時間を潰す。
ある史家に曰く、ティはサトラペースよりも上級官職の将軍だった
のではないかと。誰だティリバゾスがリューディアーのサトラペー
スだなんて言いだしたのは(歎息)。
精も根も尽き果てたので床に就きます。
面倒臭がって邦語を読むこちらも大概アレだろうけれど……。憶え
ている原文と大幅にずれた訳を見る度に、原文を繙いているようで
は手抜きの効率もガタ落ち。今度は『同二』十四頁(X.HG.5.1.29)。
これらのポリスの警護にあたっていたが、ポリスの崩壊はないもの
と信じていたものの、その蜂起については自信がなかった
写本の字句に異同なし。「諸市を警衛して、信を置くポリスが敵の
蹂躙を受けぬよう、また真意の疑わしいポリスについては、これが
離反せぬよう、戒めを厳重にし」。
注意を要する句法とは言え、これを読み間違えるのは少々腑に落ち
ない。門下を使って訳を作成したのだろうか。
註釈も簡要、索引や解説も行き届く労作だけに、甚だ惜しい。一々
原文と訳文とを照らし合わせていったら、この手の誤解はまだまだ
出てくるような気がしてきた。
私用で瑣末なことを書き付けます。
クセノポン『ギリシア史 一』(京都大学学術出版会、一九九八年)
二百二十八頁(X.HG.4.8.14)に誤訳。
われわれが指導的地位につけば、アテナイ人にはペルシア王に対し
て兵を進めることなど出来なくなるであろう
「陛下に楯突くなど、弊市ラケダイモーンが采配を揮わねばアテー
ナイ人にも叶わぬ仕儀にて云々」。「指導的地位につけば」では逆。
否定辞を読みとばしたか、パールサに阿るラケダイモーンという構
図に拘り過ぎて曲解をしてしまったのか。勘校表に異同なし。
同氏の訳業を叮嚀に批判する網站にも言及がないので、後日に備え
てここに控えます。
先日博多から知人が来剣、お土産に辛子明太子を頂きました。うま〜。椒房庵という会社
の製品です(博多娘さん、御存知?)。「福屋の明太子が食べられなくなりますよ」との
お言葉だったのですが、確かに美味しいです。なんというか、函館のたらこみたい〜 と
思ったら函館近郊のたらこを加工したものだそう。塩分控えめ、たらこの甘みと辛さが
マッチしてご飯が進みました。プチ植木鉢で栽培中の紫蘇と合わせてますます大満足であ
りました。
のっぼさん、
ご愁傷様です。忙しいときに限ってコンピューターっていかれますね。その後うまく動
いていますか。時間のあるときにメンテすればいいって分かっていても、問題が起きる
まで放置→トラブルを繰り返すこと数知れず。去年11月に買ったバッテリーも二ヶ月ほ
どで全く充電しなくなり、停電でもあろうものならたちまち電源が落ちます。そしてイ
ギリスは停電が結構あります。気を付けてくださいね。バックアップメディアは必須で
す。それから出発まで何かとお忙しいかと思いますが、体調管理にも気を付けてくださ
いね。
そーとーさん、
お忙しいところ詳しい御返事有難うございました。学会報告はいかがでしたか。レスが
遅くなってすみません。平仮名、片仮名問題は実はとても難しい問題であるらしいこと
がよく分かりました。平仮名、片仮名を何らかの意味を込めて使い分けつつ併用するの
は、視覚的要素を重視しているからと考えていいのでしょうか。特に韻文の場合はリ
ズムや韻など音がメインであるという(oral poetry論系の)思い込みがあるのですが、
考えてみれば、どんな筆遣いで認めるか、というのも場合によっては腕の見せ所という
か、意味付与の手段の一つであるのですね。
ところで以前、ベトナム、韓国、日本の漢字教育政策を比較したとても面白い論文を
読みました。その論文ではフランスがいかに植民地政策の一環としてベトナムでの漢
字教育を骨抜きにしたかが論じられていて、それこそ『東京セブンローズ』のようで
切なくなりました。ベトナム語は全然知らないので想像でしかないのですが、GHQの
日本での国語政策に通じるものがあると考えて良いのでしょうか。
博多娘さんに頂いたわらび餅、とても美味しいです(頂き物ばかり……)。独特の風
味にしみじみしてしまいます。そして、どうして世の中の「自称わらび餅」は葛また
は葛の代替品で作るのか、葛粉にもわらび粉にも失礼ではないか、と思って葛粉の箱
を見てみたらば、しっかりと「葛餅の作り方」と書いてありました。私が勝手に「わ
らび餅」と読み替えていたようです(恥)。それから、その箱には江戸時代風の「葛
粉の取り方」絵図が印刷してあるのですが、説明文に「吉野ニてハ」と平仮名片仮名
混在文が書いてあって、最近の二大関心事が交差したようなとても不思議な心持ちに
なりました。おしまい。
は〜、びっくりしました。
引っ越し準備、渡英準備でおたおたしているところで、
先ほどまで動いていたのに突然プリンターが止まったり、
昨日まで何ともなかったのに、今日はネットに繋がらなくなったりして
踏んだり蹴ったリです。
いろいろいじっているうちに、どうにかネットにはつなげる事に成功。
(プリンターは時間を見て再挑戦の予定)
あ〜ん、どうしてこう、上手くいかない事が重なるんでしょうねえ。
ともかくも接続成功で一安心ではありますが。
XHTML 2.0™ W3C Working Draft 22 July 2004。
最近はババヘラなるアイスが人気だそうですね。秋田の新名物だと
か。
共同がヤフーに配信した記事の見出しを目にして「……どんなアイ
ス? 蜷局を巻いている? それを箆で掬う?」と思ってしまった
自分にガックリです。申すまでもなく、一部方言ではババに尾籠な
意味があるものですから。
連想過程の詳細は省くとして「如何なるか是れ仏」「乾屎[木厥]」
という禅問答も有名。昔繙いた注釈書にはカンシケツを「くそかき
べら」と解いてありました。今手許の『広辞苑』(第五版)を見る
と「棒状の乾いた糞」。
公案で証悟を得ようという訳ではないのに、その、なんとなく気に
なりましてね。字句に拘泥するのが商売みたいなものだからでしょ
うか。「棒状の乾いた糞」て何だろう。
にんにくでも混ぜてディップにし、パンや野菜スティックと一緒に食べる。
明け方そぼ降る雨に本朝の梅雨を想う。僅かに開けた窓から吹き込
む湿った風に和らぐ頭痛。
そうだ夜食にヨーグルトを食べようと思い立ち、薄暗い台所でヨー
グルトを皿に盛り、黍砂糖を塗して机に戻る。好物を口に含むと塩
辛くて泣けた。
今日はバリバリと読めるな、絶好調だな、と思い仕事を切り上げる
時に読んだ分量を調べたら、英文でたった十頁ということはありま
せんか。脳が異様に興奮した結果だろうか。脳の興奮が異様だった
せいだろうか。
時間が歪んでいる。
「ならでわ」。
常用漢字の縛りがいびつなものだから、使用頻度の高い字を人名漢
字に滑り込ませ、「糞」「屍」などの入選を答申したら「人名に相
応しくない」とかなんとか、素案の八割の字に苦情がついたと言う
けれども、それは人名に使うためではなくて、日常の不自然な交ぜ
書きを防ぐための苦肉の策に過ぎず、その本質を見ずに困った反応
をする国民が悪いか、某省と某省との角逐の方が悪いかは明かであ
り、常用漢字にしがみつく役所には再考を願いたいものである。
博多娘さん、ようお越し。
scripsisti> 買った本では、二重になっていたことはあったけれど、
scripsisti> ごそっと抜け落ちてるのは初めてで結構ショックです。
災難ですね。欠落部分を見つけることは出来そうですか。
不佞も乱丁の経験はありますが、落丁はどうだったかな……。乱丁
はエウリーピデースの刊本で、全体の三分の二に差し掛かったとこ
ろで、一頁に逆戻り。もう一度同じ分量の丁数が続き、本来の三分
の四の厚みに達していました。
校定者は愚妻さんの先生。当地に持参して見せびらかせばよかった
(笑)。
もちろん新品を一部送って貰いました。古本だとそうも行かないで
しょうから、厄介ですね。
鷺江人先生、ようお越し。早速御高覧を賜り、恐縮です。ちょっと
お手伝いした程度のものですから、著書なんて大仰なものではあり
ません(苦笑)。
褌は短距離走競技中に脱落したそうです。ちょっと書き方がまずかっ
たかも知れません。
パラパラと捲ってみるに、所々人の手が入っています。正格の文章
を綴る際に、自分の絶対に使わない語法を追加されました。これを
見つけたときには当惑しましたが、それもまた味というものでしょ
う。
李世普さん、ようお越し。お変わりありませんか。
scripsisti> もう気にしなくていいです。
そうですか。ありそうな気もするのですが、見つからないので歯痒
い思いをしています。
狭い狭いギリシアの、そのまた小さな小さな町アテーナイのことす
ら覚束無いので、広大なローマ世界を前にたじろぐばかりです。ギ
リシアに志したときには、広い地中海世界が視野に入っていたはず
なのに、馬齢を重ねて視野は狭まるばかりです。恐ろしいことです。
不思議なことに、ギリシアよりもローマの方に親しみを覚えます。
無知故の片思いでしょうか。イタリアに何度か遊んだせいでもあり
ましょうか。碑文一枚読むにしても、古人の息吹を感じ、その息吹
が今もその土地に根付いているような気がして仕方がありません。
対するギリシアは宇宙というか、仮想空間というか、自分とは切れ
た世界だという印象を懐いています。折に触れて表白する所をここ
に繰り返せば、ギリシアという地域を研究しているのではなく、古
代ギリシアという現象を観察している感が深い。それが性に合って
いるとも思います。
そーとーさん、ようお越し。御報告は如何でしたか。
scripsisti> どういう原則で説明したらいいのかは、すごく難しい
scripsisti> ですね。
そうですね。いや全く難しい。
整理していただいた三点に加えて、前(六月十八日金曜投稿「夜分
に筆を擱きスープを啜る」)にチラリと触れた連綿の便宜というこ
ともありそうだと考えています。
この文字に続く時には、この音はこの文字にすると書きやすい。変
体仮名の選択には、見た目、気紛れに加えて、そんな書写上の工夫
や習慣がものを言っているような気がするのです。書道方面の方々
の研究に俟たねばなりません。もうあるのかな。
scripsisti> ワープロ入力を覚えられなかった先生のお話です。
「は」と表示するためにwaと打鍵してしまう人がいる一方で、「は」
と表記すべき所を「わ」としてしまう人がいます。このところ増え
て来たのが「こんにちわ」「○○ならでわの××」。
「やむおえない」や「やもうえない」も目立つようになりました。
「まいえならい」「きょうつけ」などは古典的です。「うるおぼえ」
も、耳から聞いた表記でしょうか。「元へ」の訛「もとい」は既に
国語として定着しました。
愚妻さんの某先生は時代を先取りしていたことになります。ローマ
字の普及を目指す某団体は、ますます劣勢に追いやられることでしょ
う。その大理想を達成する前に、正確な漢字仮名交じり文の方が崩
れてしまっては、為す術がありません。
のっぼさん、ようお越し。網野善彦氏の御紹介、有難うございます。
scripsisti> 漢文使いであるお坊さんたちは和歌すらも漢字片仮名
scripsisti> まじりで書いたとの事。
唐様の筆遣いで平仮名を書く習慣はありませんでしたから、僧侶が
日頃の筆法で漢字仮名交じり文を認めようとすれば、自ずと平仮名
を忌避することになったでしょう。彼らとても、和様の筆捌きをす
れば、連綿を認めることはできたと思いますが。
幕末になると、人々は専ら和様に親しみ、唐様を習う人の数は限ら
れていたようです。御家流の続け書きはスラスラ読めるのに、楷書
や活字だと読み下すのに難儀した人もあったと聞きます。
scripsisti> 鎌倉時代には既に侍クラスの人が書いた私的な書状は
scripsisti> なぜか平仮名が多い様子。
面白いですね。公文書だと漢文崩れで、仮名なしのものもあるのに
なあ。源頼朝公が島津氏初代忠久公に宛てた、有名な袖判下文はそ
の典型です。
[頼朝花押]
下 伊勢國波出御厨
補任 地頭職事
左兵衞尉惟宗忠久
右件所者故出羽守平信兼黨類領也
而信兼依發謀叛令追討畢仍任先例
爲令勤仕公役所補地頭職也早爲彼職
可致沙汰之状如件以下
元暦二年六月十五日
下す、伊勢国波出ハタ御厨ミクリヤ、補任ブニンす、地頭職ジトウ
シキの事、左兵衛尉惟宗忠久、右、件クダンの所は故出羽守平信兼
の党類の領也、而シカルニ信兼謀反ムホンを発オコすに依り、追討
せしめ畢オワんぬ、仍って先例に任せて公役クヤクを勤仕ゴンシせ
しめんが為に、地頭職に補する所也、早く彼の職として沙汰致すべ
きの状、件クダンの如し、以って下す
ジャンル毎に表記や書体が変わる例は、近代にも見当たります。歌
舞伎の題目などはとんでもない宛字というか、コジツケ読みを独特
の書体で書き付けたりします。
紀貫之は(恐らく)和漢両語で文章を書く一方、ジャンルの規則を
破って女手の『土佐日記』をものし、一代の新機軸を打ち出しまし
た。同様に、中古の人には中古の人のジャンル意識があり、そのジャ
ンルに応じて時代特有の規則があったのでしょうね。やはり仏教は
一つの鍵になるんだろうなあ。
scripsisti> ぜひ教育史の方に伺ってみたいものです
網野氏にしてこの言あり。うーんと唸るばかりです。
赤福氷の存在を知ってしまいました……。抹茶味のかき氷に、餡とお餅が入っている
赤福の商品だそうです。夏季限定。いつか伊勢に行かねば。
随分前に出したローマと鳩の話でしたが、
私もその後検索してみたんですが、いまいちそれっぽいものは引っ掛かりません。
記憶の大元もよく思い出せなくて、何かの勘違いだったか‥‥?というような具合でして、
もう気にしなくていいです。
元夏迪先生
ご無沙汰しております。御著書の元夏迪先生担当部分だけ拝読させていただきました。
お疲れ様です。
それにしても、褌がもつれて落命するとは、いったいどのような競技なのでしょうか?
総統閣下
20年ぶりの復活を、心からお慶び申し上げます。
河内の風水については、件の専門家に聞いてみます。
化調さん、ようお越し。被ってしまいました。
ギリシア史関係の書物の出版動向は、高島賢治氏が丹念に追跡なさっ
ていますね。どういう方か存じ上げないのですが、この情熱には頭
が下がります。
既刊本についても、各社で販売促進運動をしている可能性がありま
すね。岩波書店もその手の戦略を展開していました。小売店舗でも
企画があるのでしょう。買い漏らした本、掘り出し物、トンデモ本
を蒐集する好機です。
山歩きの御無事を念じています。愉しんで来て下さい。土産話(と、
可能であれば写真)を心待ちにしていまーす。
皆様へのレスはまた追って。
これに費やした一週間の努力は水泡に帰し、仕事は一週間遅れ、名
状し難い怠さが残りました。段々躰がいうことを聞かなくなってい
きます。頭の方も眠素にやられて、寤寐の狭間を彷徨っています。
先日知人の学位授与式に見えた親御さんは大変な強行軍だったよう
ですが、時差呆けの様子もなく、恐れ入ってしまいました。数年前
の学位授与式には、お祖父さん、お祖母さんまでがお越しになった
例もありました。その方々も矍鑠としておいででした。
今日二十日(旧海の日)は、不佞ども夫婦にとり一寸した記念日で
す。時に皆さん、どんな連休をお過ごしになりましたか。
オリンピックがアテネで開かれるためか、ギリシア史関係の
書籍を本屋にて見かけることが前より増えたような気がする
今日この頃です。。
明日よりしばらく妙高山方面へ行ってきます。
それが終わったら、槍ヶ岳にも行くことになっています。
ただし、北穂高方面はコースから外したため、槍ヶ岳に
行って帰ってくるだけになりそうです。
何か良い写真が撮れましたら、また投稿しようかと思います。
登るのに必死で写真どころでなくなっているかもしれませんが・・・。
いやあ蕨餅、美味しかった。博多娘さん、有難うございます。