一筆箋舊帙    一筆箋/御歸り/御問合

平成十五年十月七日第一千三百八十一号
平成十五年十月二十二日第一千四百十号

それはピッグニュース(「ビ」でなくて「ピ」ね) 投稿者:ピアノの詩人  投稿日:10月22日(水)03時35分14秒

愚妻さん、おひさ。まずは私も猫アレルギー。
それはともかく、昔とある医者に聞いたのですが、喘息の時に風邪薬を飲むと
悪化すると。喘息には絶対、例のシュっシュがいいです。医者で処方箋もら
えばすぐ買えます。それに市販の花粉アレルギー薬も効きます。眠くなりますが
涙と鼻水は結構とまるみたいですよ。
ウィンドウズにもWinAmpという似たようなMP3プレーヤーはあります。
まあ所詮、MACを真似したのはみえみえみえみえみえですが(笑)。
私も、こう見えても卒論はMACで書いてます。当時ウィンドウズ3.0
かなんかが出て、初めて使ったときはMACのモノマネ(になってない
ほど、ひどいシステムでしたが)だと思ったものです。
お大事に。
元夏迪氏、豚汁作るのぉ??ほんとぉ?


ピアノさん 投稿者:愚妻  投稿日:10月22日(水)03時04分52秒

お久しぶりです。カリホルニア、温かいのですか。いいなあ。こちらはおでん
が食べたくなる今日この頃です。今日は元夏迪氏がぶた汁、もといピッグ
ジュースを作ってくれてます。わーい。

そうなんです、ブロックバスターもすぐそこなんです。チャイテク(Chinese
takeaway)も、フィッシュアンドチップス店も、はたまた冷凍食品店Icelandも。
生協だって酒屋だって薬屋だってパブだって教会だってあります。酔っぱらい
もいます。大都会です。いえーい。

iTuneねえ、別に可もなく不可もなく。音声に合わせて描き出される不思議なうご
めく模様は宇宙の摂理を描いた曼陀羅に見えないこともなく、眺めていると有り
難い心持ちがしてくるような吐き気がしてくるような。なんでもいいけど中共版の
インターナショナルと中島みゆきを変わりばんこに一日中流されると結構辛いもの
があり、こんなしょうもないアプリケーションを開発したのは誰だ!と恨めしくな
ります。いずれにせよ、mac以外で使う必然性は不明です。だが真似っこに関して
いえば、そもそもウィンドウズOSのインターフェース自体、ある時期からマックの
finderにとても似てきた気がするのは、素人の浅はかな考えなんでしょうか?


愚痴 投稿者:愚妻  投稿日:10月22日(水)01時13分54秒

最近鼻づまりと喘息っぽい咳が治まらず、風邪気味なのだと思って一生懸命
風邪薬をのんでいたら、昨日から結膜炎による浮腫が発生。アレルギーに決
定しました。最近荷物を動かして埃が舞っているからかなあ、花粉かなあ、
それとも庭に来ている猫だろうか(猫アレルギー持ちなのです)。息が出来
ず苦しい上に、目も見えません(涙)。シャカリキになってかける掃除機は
サンヨー製です。


理想の環境 投稿者:ピアノの詩人  投稿日:10月22日(水)00時50分55秒

アルディの近くとは羨ましい。ケバブカーはフィッツの
近くにまだいますか?その距離ならウルフソンの時と
変わらないかもしれませんね。ガソリンスタンドも近いし。
体に給油もすぐ出来て良いですね(?!)。
分岐したもう1つ前の道路の先に教会がありますが、
その前にブロックバスターがあり、DVDレンタルも
出来るのでは?とりあえず落ち着かれたようでよかったです。
iTuneって何だかよくわかりませんが、そんなに使い勝手
が良いのですかねぇ。先日ウィンドウズ版が出たみたい
で賛否両論みたいです。なんで真似ばかりなのか、その辺
がウインドウズ使用者としては加工貿易的な日本を思い
出してしまうようで嫌なのですが(なんのことだか)。
こちらは、ますます温かいカリフォルニア。
昨日10日間に及びイギリスより訪ねてきていた友人が
帰りました。実験君に戻らねばぁ。


気温を見たら 投稿者:元夏迪  投稿日:10月20日(月)22時45分22秒

本日のケンブリッジは最高気温十度、最低気温は二度でした。陋屋
は氷点下でしょうか(苦笑)。


今日も放射冷却 投稿者:元夏迪  投稿日:10月20日(月)22時08分23秒

夕方まで自宅に張り付き、自分の英語に手を入れます。知人に見て
貰ったら、激越に過ぎるとの由。こんな調子では外交官なんて務ま
りそうにありません。

こんな時にインターネットは便利です。使いたい表現を検索して、
その文脈を検討することが出来ます。類義語辞典と並んで、今や外
国語作文に欠くことの出来ない道具です。

夕方からセミナーに出ます。このところ冷え込みが厳しく、帰り道
が心配ですが、既に年間最低気温に近づいているので、気が楽だと
言えば気が楽です。


今日も三時過ぎにお休み 投稿者:元夏迪  投稿日:10月20日(月)11時29分23秒

無事に御客が出来ました。仕残した片付けなども細々とありますが、
ひとまずこれで弊屋も稼働です。仕事の態勢も整いました。ここで
どれだけの物を産み出すことが出来ますか。

しかしもう食べられません。愚妻さん、ごっつぉさん。


あ゛ーッ! 投稿者:元夏迪  投稿日:10月19日(日)23時14分25秒

牛乳を買い漏らしたッ! 今度はちょっと安めのアルディに行こう。
片付けは……出来るのかな?


アンニュイなアーフタヌン 投稿者:元夏迪  投稿日:10月19日(日)23時09分53秒

↑ちょっとブリティッシュな発音でした。

カウンターがクルクルと回っていますね。お片付け日誌を堪能して
戴いているのでしょうか(笑)。取り紛れていてメイルは停止して
いますから、その代わりの近(視眼的状)況を兼ねたものなのです
が、思わぬ反響に驚いています。

曇天です。細々とした物を取り片付ける為の覇気が起きません。ど
んな覇気だという気がしますが、取り敢えず気分転換にアイスラン
ドなる雑貨屋まで買い物。隣にはピアノの詩人さん御愛用のアルディ
が控えています。アルディの方がほんの少し安いのかな。これまで
の印象です。

さーてと、やろうか。


今日は 投稿者:愚妻  投稿日:10月19日(日)18時51分45秒

お好み焼き大会です。久々に大量生産なので、楽しみです。奮発して青のりも
買ってきました!一パック2.86ポンド。今のレートだと、幾らでしょう……
520円也(涙)。暗算が得意だったら買ってこなかった……。

昨日はその青のりを買うために街に出かける。途中、自転車に乗ったおじさんに
にこやかに声をかけられる。しかもどうやら「グサーウィーイ!」と名指しだっ
たようだ(ちょっとボーっとしていた)。条件反射で「ハロー」とにこやかに返
事しておく。が、誰だか全然分からない。フーアーユー?分からないまま彼は爽
やかに去っていく。一日悩んでみたがやっぱり分からぬ。ストークされてる可能
性まで検討するも、なんか違う気がする。それに、ストーカーはコソコソしてな
んぼであるから、普通は声をかけないのでは。

帰宅してゆっくり考えてみるに、あれはもしかすると指導教授先生であられたの
ではないだろうか。いつもはバシッとネクタイを締めて姿勢良く椅子に座ってる
ところしか見ないが、自転車のオジサンは頭ボサボサ(風のせいであろう)、服
装もだらしない上に(ウィンドブレーカー)、結構凄い形相だったのです(川沿
いから自転車で上ってきたからかな)。それに思い出してみれば、先生のお宅は、
あろうことか新居のご近所なのであった。ちと失点。


残りは明日。 投稿者:元夏迪  投稿日:10月19日(日)10時34分05秒

危ないので再配置。草臥れたので珍しく三時前に就寝。


独り舞台は続く 投稿者:元夏迪  投稿日:10月19日(日)04時20分15秒

本棚が撓っている……。本朝ではこんな配架は出来まい。地震で即
死だ、文字通り。

明日の来客までに収まるのだろうか。不安だ。


一つ愚痴でも 投稿者:元夏迪  投稿日:10月19日(日)00時09分04秒

この国の家というのは、仕事机を置いたり、書架を備える造りには
なっていないので、頗る困る。酒を入れる家具などが置いてあるの
は面白いが、邪魔である。コンセントの配置も厄介至極。大分延長
コードの助けを藉りる必要がありそうだ。

家ではソファーに長くなり、酒を煽って暖房の効いた中、テレビを
見よ、とでも言わんばかりの造りですな、端的に言って。余程度し
難いと思ってみた黌寮の旧居ですら、学究向け仕様だと識り、二度
ガックリ。たま〜に本のある家を見かけても「書籍は読まずとも備
えておくのが雅なり」の国柄では油断がならぬ。書架に並ぶ書籍の
背が皮だったり、古びた紙のルリユールだったりすると、なおのこ
と怪しい。彼我の文化の違いを見るのも、こうしたところである。


放射冷却の日々 投稿者:元夏迪  投稿日:10月18日(土)22時50分58秒

今日も快晴。北向きの陋屋からは庭に樹わった喬木が陽を浴びてい
るのが望まれます。反射光が僅かにこの部屋を明るくします。

陽の軌道も低くなり、光線の色は濃くなり、影は伸びます。冬です。
木曜日に近所の耶蘇寺の前を通りかかった際、分不相応に巨大な堂
宇と尖塔とが夕陽を浴びて、鼠色の石が薔薇色に染まっていました。
そんなところにも季節の移ろいを感じます。

これから室内の整頓にかかります。中共ソングは飽きました。シン
パでも何でもありませんし(笑)。私撰昭和名曲大全を流すことに
します。ランダム演奏設定のiTuneは、ひばり「河の流れのように」
と、続いて田中星児「ビューテフィルサンデイ」を奏でています。


ふう 投稿者:元夏迪  投稿日:10月18日(土)03時36分11秒

終了。作業中は中国共産党革命歌をエンドレスで流す。聴くだけで
脱力する曲が多いのは腑に落ちないが(笑)、まー労働者の歌を流
しているという気分だけでも(嗤)。


最初の家具を前に思う 投稿者:元夏迪  投稿日:10月18日(土)00時59分26秒

泥のように眠り、目が醒めたらアルゴス商会から届いた箪笥を組み
立てる。技術科で三年囓っただけの素人なりに木工好きです。鉋を
掛けたり、臍を仕掛けたりするのが殊に愉しい。今回の箪笥は模型
を組み立てる要領ですが、こんな事をするのは久振りなので甚だ愉
快を覚えます。

子供時分に親父が模型店でバルサのグライダーキットを買い込ん
だ事があります。自分が幼かった頃に模型といえばこのグライダー
であったとの由、本当はプラモデルが欲しかった不佞と弟が蔭で不
平を鳴らしていると、さっさと自分で作り始めてしまいました。木
工用ボンドで部品を繋ぎ、繋いでは乾かし、木に狂いが出ないもの
でもないからと数日寝かせ、しかも途中で飽きたらしく(或いは失
念したか)、完成までに数年を要したような気がします。完成の日、
住まいの向かいにあった中学校の校庭で飛ばして見せようとした父
の姿が、朧気な記憶の中に残っています。寒い冬の日、年明け早々
だったか、飛行機は飛ばなかったのでした。

手回り品や事務用品を収納する抽斗が二組残っているので、一服し
たら取り掛かります。ベニヤに木目を印刷したいかがわしい部品を
組み立てながら、あのグライダーを想い出しています。

明日は書籍の荷解きをしようと思います。漸くまともな住居になり
そうです。


谷口論文に思う 投稿者:元夏迪  投稿日:10月16日(木)22時10分36秒

今日は詩経の御勉強。知人が邦語論文を読む御手伝いをします。

それでいつも思うことは、邦語論文の読みにくさ。邦語文語文の未
熟と言うべきでしょうか。言文一致運動の誤解というか、弊害とい
うか、悪夢というか。学術論文くらいは措辞結構を整えたいもので
すが、それがなかなか出来ないようです。自分でも反省すること頻
りです。

『文章軌範』を取り出して読まなくては。さてあれはどこにしまい
込んだだろう。


広告 投稿者:元夏迪  投稿日:10月13日(月)20時38分34秒

なお烏魯木齊の情景は、謨磐堂進士の御作、吐魯番とその遺跡は
江人
先生の御写真で御覧になれます。御二方とも畫譜に御投稿です
ので、是非御覧下さい。余所で御覧になるものとは、一味も二味も
違います。

時に皆さん御元気でしょうか。てっちゃんは美味しいものを召し上
がりましたか。雲丹などは。


 投稿者:元夏迪  投稿日:10月13日(月)08時46分53秒

唐突な観は否めませんが、抜粋は以下でお終いです。もう少し編集
すればよかったかな。

メモです。気にしないで下さい。Perigueux, Madere.


「維京の盛夏−−遐懐烏魯木齊」抜粋第三 投稿者:元夏迪  投稿日:10月13日(月)03時01分58秒

この文章などは氏の「陳腐な」詩の典型例といえるだろう。文学的
な比興などは微塵もない。あるのはただ、作者がどれほど西域好き
であり、西域に夢を馳せるのが好きかという好事家の世界である。
無限に清談を展開して倦むところを知らない、非生産的な態度であ
る。にもかかわらず、その一語一語に深い共感を寄せずにはいられ
ない。何かを語る文章ではなく、文章自体が「何かsomething」で
ある−−今世紀初頭にロシア・フォルマリズムの提唱した文学理念
は、同時に抽象絵画のraison d'êtreでもあったが、井上氏のこの
「散文詩」は一見具象の洪水の如き様相を見せながら、余にとって
は「不規則な狭い道路」や「サマルカンド」、「とある晴れた日」、
「天山の麓」、果ては「中央アジア」なることばは、それ自体で完
結した、抽象画のカンバスに塗りたくられたけばけばしい色彩同様
の衝撃を与える。それらは何かを構築するためというよりも、寧ろ
それら自身が何かであるような、音楽のようなテクストとして存在
している。余はその音色と旋律に魅せられたのだ。

中央アジアとは言い条、烏魯木齊はあくまでもそのとば口に過ぎな
い。烏魯木齊の奥地には無限に広がる沙漠と、そこに煌めく都市や
オアーシスが控えている。だが、きら星の如き中央アジア心臓部の
オアーシスに足を印しても、烏魯木齊の地を踏んだときほどの興奮
と感激を味わうことは恐らく出来まい。現実の中央アジアが無限の
曠野ではなく、あくまでも内陸深くに閉じこめられた盆地に過ぎな
いのと同様に、サマルカンドやブハラといった古都に足を踏み入れ
たところで、まさにあのサマルカンドやブハラに今自分はいるのだ
という感慨をもよおしはしても、「まさにあの」サマルカンドやブ
ハラに来てしまったことで、取り返しのつかない、確実な喪失感に
苛まれることにもなるだろう。ここは本当に「あの」サマルカンド
なのだろうか。ブハラ汗国の都邑は、どこか別の所に、天山の深い
山懐辺りに隠されていて、今自分の踏みしめている砂塵の舞うこの
街路は、本当は蜃気楼か幻想に過ぎないのかもしれない。遥けき東
方の海中で想像していた中央アジアの諸市は、現代の巨大な機械文
明によって神秘のベールをはぎとられ、生々しい現実感を押しつけ
られる一方で、訪う者にとってのリアリティーを喪失し、海市蜃楼
と化して、幻想の中央アジアを護りぬく。長安や開封は幻の都とし
て不滅の栄華を誇り、夢現の中央アジア、西域は、永遠の旅路へと
人を誘う。歴史も浅く、とば口に控える烏魯木齊は、現実と幻想の
狭間で微妙なバランスを保ち、訪れる旅人の想像力と期待を大いに
刺激する。その魅力は、緑深い街路樹の落とす涼やかな木陰や、高
原をわたる澄み切った風によって醸し出されるだけではない。同じ
くらいに、あるいはそれ以上に、背後に控えるはてしない「西域」
が我々をとらえて離さないのだ。夢と現を繋ぐ場所。現実感と旅人
のリアリティーが唯一融合可能な地点−−これこそterminusたる烏
魯木齊のもつ魅力であり、本質に他ならない。


「維京の盛夏−−遐懐烏魯木齊」抜粋第二 投稿者:元夏迪  投稿日:10月13日(月)03時00分06秒

実に伸びやかだった。軽快だった。烏魯木齊の駅舎に足を一歩印し
た途端に、本当に自分に戻ったような心持ちがした。陳腐極まる言
い方で恐縮だが、もうここまで来れば中央アジアの風が吹いている
のだ。

中央アジアの本分は内陸深く閉じこめられた沙漠の盆地であり、風
にさざめく草原の瀚海であり、日干し煉瓦の黄灰色と木々に滴る緑
が市松模様を描くオアーシスである。ただだだっ広いのではなく、
「内陸深く閉じこめられ」ているところが味噌である。逆に、ただ
閉塞しているだけでは中央アジアではなく、閉じこめられながらも
無限に広がるところがこの地方最大の魅力なのだ。「別天地」の放
つ妖しき光彩。妖しいながらも陰湿なところがなく、どこまでも透
明な輝き、皓気の充満する様は、さながら驟雨の後の晴翠を見るが
如くである。

烏魯木齊駅頭で頭上に照りつける太陽を睨み、車馬喧々として振動
する大気に身を委ねて、やっぱり烏魯木齊でなくちゃいけねえと独
り合点を決め込んだ余の胸中は、今言うほどに灼然としたものでは
なかったが、分析的に描写すれば、まあこういったところだっただ
ろう。ああ、なにもかもしがらみから解放されてせいせいすら。こ
こまでくりゃあ、後は何処まで行っても構うもんか。漠地に星の如
く煌めくサマルカンド、ブハラ、フェルガナ盆地の小さな緑洲−−
日常の中でギリシア化され、雑務にひからび、乾ききった心に慈雨
が降り注ぐ。

既に過去に二回も渡唐の機会を得、その度に西域の隅っこをうろつ
いたせいもあろう。「通」を装い、何の衒いもなく西域への憧れを
口にする人々をどこかで見下し、まあ君たちには判ったもんじゃな
いがねなどと肩で風切るところもないではなかったが、いま烏魯木
齊の空気を呼吸し、昂揚した脳味噌は、西域の土地を踏む喜びを率
直に噛みしめ、見るもの、聞くもの、全てが珍しく、新しく、ある
種の法悦に盈ち満ちている。故井上氏ではないが、「西域という言
葉の中には、もともと未知、夢、謎、冒険、そう行ったものがいっ
ぱい詰め込まれてある」のだ。

中学生の頃に判ったふりをして貪り読んだ井上氏の文章が疎ましく
思われるようになったのも、一つには「判ったふり」をしていた後
ろめたさも手伝ってのことだろうが、自ら西域を遍歴しても氏の体
験を自分のものとすることができなかったという、いわば肩すかし
をくらったような失望を、瞑々裡に感じとっていたからなのだと思
う。つまり氏の言いたいことがこれっぽっちも判っていなかったと
いうことである。だが今回の烏魯木齊入りで自分が本当に西域が好
きで好きでたまらないのがよく判った。自らが純粋に、単純に「ファ
ン」であるとの自覚が生まれてからは、氏の如何にも陳腐な「散文
詩」にさえ深い共感を寄せるようになったのだから不思議なもので
ある。

引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
学生のころ、私は中央アジアで一番古い街サマルカンドへ行きたい
と思った。何日もかかって無銭旅行の計画をたてた。曾てアレキサ
ンダー大王が、ジンギス・カンが、チムール大帝が、兵団を率いて
この街にはいったように、とある日没時、私は一頭の驢馬をひいて、
ザラフシャン川の支流沿いに、この街にはいる筈であった。不規則
な狭い道路、古い回教寺院、そこを歩いている侵略者や被侵略者の
後裔たち。長い興亡の歴史の翳りの中を、私は隊商証人のように歩
いてみたかったのだ。

それから三十余年、いまも私はサマルカンド行きの夢を棄てていな
い、無銭旅行を企むには既に老いたが、金と時間の工面に何日かを
費やす情熱はまだ持っている。とある晴れた日に、私は空から天山
の麓のその古い都にはいって行くだろう。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━引用終了


「維京の盛夏−−遐懐烏魯木齊」抜粋第一 投稿者:元夏迪  投稿日:10月13日(月)02時58分11秒

列車は再び戈壁の大海に漕ぎ出して行く。窓は全開、ドライヤーか
ら吹き付けるような凄まじい熱風と、涼快そのものの爽やかな風が
交互に吹き込んでくる。熱風は恐らく沙漠の空中に蟠っている空気
が、疾駆する車窓によって削られて生じているのだろう。茹だる車
中に涼を齎している涼風こそが、時に砂の海を渡ってくる沙漠の風
に相違ない。それにしても、何という透明感、何という清涼感なの
だろう……

乳褐色と黄色の中間の色合いを見せる漠地を疾駆する列車は、軈て
うねる度合いを増しながら、徐々に渓谷地帯に入って行く。トンネ
ルの数も増え、次から次へと潜って行く。隴西付近の渭水渓谷を一
瞬彷彿とさせる。隧道を抜ける度に大地の青みが濃かになる。巍峩
突兀たる山肌が、一歩また一歩とにじり寄る。車窓の真下には舗装
道路が一本うねり、渓谷のカーブに沿ってぽつりぽつりと車が流れ
る。緑の解放型トラックが目立つが、恐ろしいスピードで背後から
列車を追い抜くセダンも交じっている。その窓の中の小さな人影が、
歓声を揚げながら、こちらに手を振ってセンターラインのない道を
猛烈な勢いで地平線の彼方に姿を消した。

鉄路の脇には、既に站らしい站は見当たらない。小渓に沿い、せせ
らぎを跨ぎ、トンネルを潜り、鉄橋を響かせる。幾たびかそれを繰
り返しているうちに、青灰色の山の麓に、淡い緑の林のあるやや豁
けた谷間を過る。その小壑も、すぐさま両脇に懸崖が迫り、切り通
しのような細いくびれを脱すると、突如視界が開け、緑滴る素晴ら
しい大草原が目路の彼方まで広がる。山容も急速に遙か視界の隅に
押しやられて行く。天山の裏に抜けたのだ。

西紀五世紀頃のテュルク族のよく知られた古謡に、

 敕勒川陰山下。    敕勒川 陰山の下
 天似穹廬籠盡四野。  天は穹廬に似て四野を籠め盡くす(籠め
            て四野に盡く、か)
 天蒼蒼野茫茫。    天は蒼蒼 野は茫茫
 風吹草低見牛羊。   風吹き草低れ牛羊を見る

というものがある。ここはテュルク草原(敕勒川−−「川」の字は
仏語に所謂プレーリに同じ、カワに非ず)ではないが、この詩の描
く情景そのままの光景が、いま、目の前に無限に繰り広げられてい
る。風吹き草低れ牛羊を見る−−牛は線路脇にいるので草が低れる
必要はないが、それにしても、草原を渡り、草を薙ぐ凄まじい風。
透明がごうごうとうねり、駆け抜けるのが見えそうである。車窓全
開、目も開けられない。鼻で息が出来ない。酸素が濃すぎる。しか
し、目をこじ開け、鼻孔をおっぴろげ、思い切り眺め、思い切り吸
い込み、体の中にこの大草原を取り込む。目に滲みる鮮やかな緑を
独り占めにしてしまう。髪も、Tシャツの袖も、卓子に放り投げて
置いた小さな帳面も、すべてが風に翻り、ばたばたと音を立てる。

草原に隠れていた道路が線路と交わる。白い遮断機の棒が目に入る。
樺のような樹が、所々にちょっとした林を作り出す。ほんの四、五
本、多くて十本の林とも呼べないような小さな木立だ。人気のない
詰め所に付属している遮断機のむこうにポンコツの長距離バスが停
まっていた。一瞬、烏魯木齊入りに心躍らせて踏切待ちをしていた
三年前の自分と連れが、そこに乗り込んでいるような錯覚に捕らわ
れる。過去の自分を、未来の自分が上から眺めおろしている。錯覚
と呼ぶには、それはあまりにリアリティーのある感覚であった。

澄み切った青空の下、澄み切った陽光の降り注ぐ鄙びた站を通過。
烏拉泊站である。ここまで来れば、終着駅の烏魯木齊までは僅かに
九公里である。京師北京は、既に三千七百六十五公里の彼方になっ
ていた。


説明 投稿者:元夏迪  投稿日:10月13日(月)02時57分08秒

平成六年八月十九日、汽車で三度烏魯木齊(ウルムチ、ürümqi
の地を踏んだ時の模様です。随分と古い文章で、お恥ずかしい箇所
も多々見えているのですが、そのままにしておきます。八月十四日
払暁に拉薩(ラサ、lha-sa)を発し、翌日正午に梺の格爾木(ゴル
ムド、Golmud)、十六日早朝に同地を立ち、その日の零時前に敦
煌着。五千米以上の峠を越えること五箇所、平均標高二千米の道を
二千キロ近く走破した挙げ句、這々の体で莫高窟を見物し、十八日
夕方に沙州城を後にして最寄りの鉄道駅、柳園に遷ります。十九日
には哈密(ハミ、Qumul)、吐魯番(トルファン、Torpan)を経
て烏魯木齊に到着します。以下の記述は、吐魯番站を発った後の様
子です。


御疲れなさい、のっぼさん 投稿者:元夏迪  投稿日:10月13日(月)02時23分39秒

scripsisti> 実際に旅行に行って思うのは、遺跡もいいけれど、現
scripsisti> 代の街とそこに生きている人々の営みが、心地よかっ
scripsisti> たり、愉しかったりするということ。

同感ですね。先だってのキプロス詣での際、レフコシーアの大通り
リドラス大街でベンチに腰を下ろし、友人二人と道行く人を眺めつ
つ、菫色に澄んだ宵の口の空に見上げた満月を想い出しました。彼
らの日常に紛れ込む自分は、彼らにとっての非日常であり、彼らの
日常は不佞にとっての非日常に他なりません。まして二年前に游ん
だ際には、こんなところにまで来るとは夢想だにしていませんでし
たし、再訪の機会があろうとは、さらに思いもしませんでした。話
がずれましたね。

scripsisti> 今回は特に一人で行き当たりばったり、その日思い立っ
scripsisti> た街へ行って、そこで泊まったり、そこで調べて遺跡
scripsisti> に行ったりと、一人でも動ける経験をしたので、なお
scripsisti> さらに。

何かが弾けるような気がしますよね。勿論過信は禁物ですが、機会
があれば、またそんな旅をして見て下さい。国内は穴場ですよ。灯
台もと暗しじゃありませんが、知らない自分を発見できると同時に、
知っているはずの故国の未知に出会うことも可能です。なんなら駅
寝の指南を致します(笑)。

scripsisti> 一番おいしかったのは、ミコノスでご馳走になったキ
scripsisti> ゾーニという生貝と生ウニにレモンを搾って醤油!
scripsisti> (キッコーマン)をたらして食べたとき。あ〜、あれ
scripsisti> は日本でもなかなか食べられないと思います。

うひゃあ、美味そうですね。確かに本朝ではなかなかお目にかかれ
ますまい。でもどうしても食べたい! というのであれば、北海道
は積丹半島にお出かけ下さい。雲丹の名産地です。目の前で捌く雲
丹の味は生クリームのようです。匂いは全くなし。店舗で食べると
どうしても鮮度は落ちますが(東京は疎か、札幌の雲丹も臭くて敵
いません)、流石にここだと大丈夫です。自分で潜って獲ればよい
のですが、それだと密漁でえらいことになりますから。不便を忍ん
で食堂に行く事に致しましょう。

時に不佞も数年前に旅した中央アジアで、のっぼさんと御同様に開
放感を味わいました。その心持ちを書き付けた文章が残っています
ので、一部を引きます。少々長めですので、以下に稿を改めます。


お帰りなさい、のっぼさん 投稿者:元夏迪  投稿日:10月13日(月)02時22分02秒

新居の惨状はまあ措くとして、木の桟の朽ち加減、茶のペンキの剥
げ具合、その向こうに続く庭の風情(庭付きなんですよ)、晴れた
日の乾いた清々しい空気なぞは、本朝の高原にある別荘にいるよう
な風情です。滅多に来ない別荘だから、手入れも行き届かずに汚い、
なんて風情もそっくりです。勿論そんな別荘には行ったこともあり
ません(苦笑)。高等学校一年目に行った浅間山中腹の寮なぞは、
こんな感じだったかな。今にしてみれば、あの辺りはつげ義春氏の
『魚石』に出てくる土地だったんですねえ……。

黌備え付けの勉強机もなくなったので、新居にあった折り畳みの食
卓を使っています。一米五十糎×八十糎くらいはありますか。広々
とした卓子の真ん中にスタンドを立て、向かい合う形で夫婦二人、
仕事をします。スタンドの蛍光灯(折曲がったタイプ)が照らし出
すワニスの禿げた卓子の表面や、焦げ茶な木目は、本朝の古い民家
にでもおけそうな味わい。背中合わせにノートパソコンを据え、そ
の向こうにいる愚妻さんを見遣ると、人跡稀なる終点集落で仕舞た
屋寸前の雑貨屋を営み、暮れ方には一日の売り上げを帳簿に付けて
いるのではないかとも思いなされてくる始末です。夢多き人間と言
うべきでしょうか。

のっぼさん、よう御越し。大いに愉しんだようですね。得るところ
も多かったようにお見受けします。

−十月八日、のっぼさん−
scripsisti> ローマがいかにギリシアを自分達なりに再編/再興し
scripsisti> て見せているのか、考えさせられました。

と同時に、各市がどれほど「ローマ」であったのかも、面白い問題
でしょうね。リューディアーを始め、東方の文脈に置き直して見つ
めると「ギリシア」の持つ位置も変わってくるように思いますが、
研究は疎か、輿論もそこまでは遷ってはおりません。トルコ国内で
はどんな風に理解されているのでしょうか。

scripsisti> なおさら現代のギリシアがいかに古典古代のアテネを
scripsisti> イデオロギッシュに構築しているか、改めて感じるこ
scripsisti> ともできました。

そうですね。換言すれば、現代ギリシアが如何に古典古代のアテー
ナイをイデオローギッシュに利用して成り立っているか、という事
でもあります。十八世紀の言語浄化でトルコ語の語彙を古代語の派
生語で置き換えてしまったのも、その流れの中で解することが出来
ますし、その結果としてついついトルコの存在を無視してしまいが
ちになりますが。地名や人名、出来て日の浅い苗字にすらにその痕
跡を伺うことが出来ますし、実はギリシア人も案外トルコ語の素養
があったりします。ちょっとした機会にトルコ語の諺や冗談を引い
て仲間内で談笑することも目にします。勿論ユダヤ人ジョークのよ
うな腹黒いものが多いにせよ、初めて見た時には意外の念に打たれ
たものです。

ギリシアの中のトルコといえば、ヨーグルトなどもそうですね。当
地では「ギリシアヨーグルト」と言えば本朝の「ブルガリアヨーグ
ルト」みたような、本格派を意味するのですけれど、これを見たギ
リシア人は大笑い。「何でヨーグルトがギリシアなのかしらね」。
事実、ギリシア人は小亜細亜出身の同報を蔑んで「ヤウルトゥバプ
テズメーニ」(ヨーグルトで洗礼を受けた者=トルコ人に同化した
者)と称しますし、のっぼさんが召し上がったヤウルティ・メ・メー
リは、トルコ人の大好物です。

土希関係は愛憎相半ば(表面上は憎悪の勝ちですが)するものがあ
り、大変に複雑で神経を使いますが、そこがまた醍醐味でもありま
す。今回のっぼさんは両国に游ばれ、その一端に触れることが出来
たことでしょう。


衝迫の画 投稿者:元夏迪  投稿日:10月13日(月)01時12分21秒

李世普さん、よう御越し。やはり『アドニス十四世』、御覧になっ
ていましたか。ひょっとして御一緒させて戴いたのかも知れません
ね。

−九月十九日、李世普さん−
scripsisti> 上映が終わらないうちからえらく興奮して、上映終了
scripsisti> 後も、これは凄い、これは凄い、とわけもなく口の中
scripsisti> で繰り返していた覚えがあります。

これ、判りますよ。余りの短さに拍子抜けをした不佞ですが、映写
中には多少の興奮なきを得なかった記憶があります。

何と言っても画が美しかった。フィルムの一齣一齣が、そのまま作
品となりそうな出来映え。齣数を極限まで削り込み、捨て齣が殆ど
ない。その数尠い捨て齣の完成度がまた高い。隅から隅まで張り詰
めた空気が漂い、計算し尽くした眼差しを感じたものです。上質の
写真集の丁を繰る心持ちがしたのもそのせいでしょうか。

斯くも濃密な映像ですから、こちらの神経もそうは長続きしません。
脳髄の奥が痺れてしまいます。短い上映時間は、監督の作画能力の
限界と、観衆の神経の枯渇とを計算した結果だったのかも知れませ
ん。

scripsisti> 埋め合わせはできていると思います。

確かに中国映画をめぐる事情は大いに改善を見たようですね。よい
時代になりました。観衆を広く世界に求められるようになった中国
映画が、今後どのような展開を辿るのか、目の離せないところです。
泰西に阿る気風が醸成される一方で、泰西とは一線を画した独自の
境地を追究する向きを看て取ることが出来るようにも思いますし。

scripsisti> 機内食って、どんなに頑張っても、結局はレンジでチ
scripsisti> ン、ですから・・・阿川弘之だったか、弁当持参で飛
scripsisti> 行機に乗ったという御仁も。

この御方、矢鱈とギリシアだローマだ耶蘇教だと書き散らしておい
でのようですが、まー何と申しますか、アレだなあと思っていたら、
こんなところでこんな事をなさっているとは……やっぱりナニです
なあ(詠嘆)。でも影響力が大きいんですよね、この仁。人と話す
時には読んでおいた方がいいのでしょうねー(歎息)。


掃除 投稿者:愚妻  投稿日:10月 9日(木)17時44分16秒

引越も一段落して、ようやっと日常生活を取り戻しつつある今日この頃です。って、
肝心の書籍が詰まった段ボールを一つも開けてないので、あんまり落ち着いていて
はいかんのですが。

きれい好きとは縁遠い私ですが、この度、下には下がいるもんだと感心しております。
新居、汚い(涙)。前にはスコットランド人のカップルが住んでたらしいのですけれ
ど、次々と洗剤類を買ってきて、掃除魔と化しております。水回りが汚いのだけは
断じて許せん!ケンブリッジはイギリスでも特に水が硬いらしく、すぐカルシウム分
がガチガチにこびりつくのです。様々な汚れと共に。そしてバイ菌の巣窟となるのだ
そうです。ひぇー。

新しく買ってきた洗剤を早速使ってみると、お掃除お姉さんサーシャが掃除してくれ
た後に部屋に漂っていたのと同じ匂いがしました。そういえば前の部屋ではサーシャ
がいたからシャカリキになって掃除しなくてよかったんだなー。と思い出しつつ、ト
イレ洗剤の匂いで思い出してごめんよ、と心の中で詫びた次第。徐々に綺麗になって
ます。

まことさん、撤収お疲れ様でした。今頃御ジャポンで一息つかれているのでしょうか。
コンクはそれはそれは良いところでしみじみして参りましたが、蠅がやたら多くて驚
きました。しかも皆さん余り気にしていない様子。レストランでも蠅から食事を守る
のに忙しかったのです。そういえばヨーロッパでイギリス人は二番目に不潔だ、という
けど一番はフランス人だったよなー、と思い出してみたり。どうでしたか?

のっぽさんも無事ご旅行から帰られたようで、何よりです。運賃も高いし泊めてくれる
人もいない、という分かりやすい理由で渡英以来未だにギリシャ本土には行けてないの
ですが、いつか絶対行くぞー!昨晩は久々に現代ギリシャ語のレッスンをして、ちょっ
と思い出してきました。トルコもギリシャ人に内緒でこっそり行きたいものです。

ちなみに今回Rodez/Conquesに行ったのは、単に運賃が片道99ペンスだったからです
(空港税を入れると13ポンドくらい)。二つ星の宿も一泊二人で44ヨーロと、お得でした。そしてとても快適。


学位の読み方 投稿者:元夏迪  投稿日:10月 8日(水)22時27分50秒

まことさん、よう御越し。無事に御帰朝なさいましたでしょうか。
多年に亘る異郷での勉学に疲れた躰をまずは御休めになり、本朝で
の仕事に備えて下さい。仕上げた仕事も大きいですね。博士論文に
向けて、大分目途が立ったのではありませんか。「○だけ博士」か
ら「博士(文学)」に昇格なさる日を心待ちにしていますよ。て、
他人事ではありませんね。不佞も頑張ろう。

−九月十八日−
scripsisti> え〜、だいぶ「宿題」が溜まっているようですが……
scripsisti> 「終点集落」と「研究課題」と「フランス人の人間関
scripsisti> 係」の3テーマでしたっけ?時間があるときにでも順
scripsisti> 次片づけたいと思いますので、しばしお待ちを。

実はまだあります。西班牙旅行の御写真です。畫譜の記事第二百八
十一号を御覧下さい。まあヒロチさんが予告なさったことですから、
宿題にして戴くのもナニかとは思うのですが、気が向いたら御願い
します。

−九月二十七日−
scripsisti> 私の取得したDEAというのは博士論文提出資格で、国
scripsisti> 際的に見れば所詮修士号にすぎないので、博士課程を
scripsisti> 続けることがいちおうの前提となります。

後任の方が指導教授を引き受けて下さったのはなによりでした。取
得した学位が何であれ、まことさんの学業を証明するものには違い
ありません。今後何かの役に立つのではありませんか。

私事になりますけれど、こちらの修士や博士の程度に驚いたことが
あります。哲学博士号が本朝の旧制文学修士号に相当するような感
じです。それでもまあ、よくよく考えてみるに、哲学博士号があれ
ば、該当国でその国の言語を操り、研究を遂行する能力がある証明
にはなるわけですし、強ち無駄ではないのかも知れないと思いなさ
れて来ます。外国学位を拝むような風潮は問題外ですけれどね(苦
笑)。

第一、課業の過程で色々な経験を積み、人脈を築くことの方が重要
ですし。その点でもまことさんの留学は大成功だったと言えるので
はないでしょうか。

scripsisti> Rodezというと南仏の司教座都市ですね。私は訪れた
scripsisti> とがないので、ご報告を楽しこみにしております。

ロデーズでは半日を費やしただけで、後はバスに揺られて山中に分
け入り、サンチアゴ・デ・コンポステーラ巡錫の途にある小邑、コ
ンクConquesでおりました。

旅行記というのはなかなか手に合わないもので、最近は書かないの
ですが、気が向いたら書くかも知れません。宿題ということにして
おいて下さい。

デジタル写真も撮ってきました。こちらは近々何らかの形で上網出
来ればと考えています。

そういえばあの一帯で「バスティドの故郷」という謳い文句を方々
で見かけました。御研究に関係の深い土地なのでしょうか。


旅の話でも 投稿者:のっぼ  投稿日:10月 8日(水)00時54分05秒

帰国したのは先月末でしたが、この間、帰省し、また遊び呆けていた間に溜まっていた勉強や仕事に追われていたのですが、ちょっと手が空いたので、旅の話でも少し書きます。

行ってきたのはトルコのエーゲ海岸のギリシア/ローマ遺跡とギリシアはアテネ/アッティカ、ミコノス島/デロス島、ペロポネソス半島東部でした。概ね天候にも恵まれ、一時体調を崩しはしたものの、しかし充実した日々を過ごすことができました。
アナトリアの遺跡は概して巨大で、残存状況も割と良く、ローマがいかにギリシアを自分達なりに再編/再興して見せているのか、考えさせられました。ギリシアでは、思いの外ミュケナイ時代のものに数多く触れる機会に恵まれ、いわゆる古典古代のアテナイばかりを近視眼的に見ている僕は、不意打ちを喰らったように、感銘を受けてしまいました。しかし、それ故にこそ、なおさら現代のギリシアがいかに古典古代のアテネをイデオロギッシュに構築しているか、改めて感じることもできました。

今回もいろんな人に助けてもらってしまいました。特にギリシアでは、一人でぶいぶい歩いていたので、引っ込み思案で用心深い?この僕でさえ、いろんな出会いがありました。ラフィーナからの帰り、夜道でマゴマゴしていた時に、オモニアまで一緒に歩いてくれた韓国人の女の子。明かり一つないミケーネの地下水道で、懐中電灯を持っている僕を道連れにして楽しんでいたアメリカ人(多分)のカップル。ティリンスのトロス墓までとぼとぼ歩いている僕をキャンピングカーに乗せてくれた定年後悠々自適を楽しんでいると思しき夫婦。たどたどしいギリシア語でブラウロンまでの道を尋ねた僕を、後で心配になったのか、途中まで追いかけてきてくれたバスの運ちゃん。アテネでたまたま会った翌日、なんとペンテリコン山中腹で偶然再会したマリアさん。日本人の方にもやっぱりお世話になってしまいました。ミコノス/デロスに同行してくれて、ご飯をたっぷりご馳走になってしまったKさん。ヒュメットス、ペンテリコンで洞窟探しもしたOさん。そしてアテネのアパートで一緒になって、夜まで話をしたW君とAさん。トルコ調査旅行では、何と言っても、運転手を務めてくれた、アラブの闘志さながらのフセインさんに一番助けてもらいました。

実際に旅行に行って思うのは、遺跡もいいけれど、現代の街とそこに生きている人々の営みが、心地よかったり、愉しかったりするということ。白いキャンバスに青空を写し取ったようなミコノスや、まさにベネチア植民市そのもののナフプリオン、小さいけれど教会を中心に心地よく広がるアルゴス、もちろんアテネも(アテネはオリンピックに向けてちょっと工事が多すぎるけど)。好みは人それぞれあるでしょうけれど、どれも再訪を願わずにはおれない魅力をたたえていました。そして、そこに生活する人々の醸し出す雰囲気、ときに活気、そしてゆるりと流れる空気、一歩一歩歩を進めながら街とそこに生きる人々を眺めていると、なんとも言えず、嬉しくなってきてしまいます(変?)。

食事は概ね満足でした。ギリシアで一人でいるときは、贅沢はできませんでしたが、それはそれで。一番おいしかったのは、ミコノスでご馳走になったキゾーニという生貝と生ウニにレモンを搾って醤油!(キッコーマン)をたらして食べたとき。あ〜、あれは日本でもなかなか食べられないと思います。それと、やや疲れ気味だったスニオンでちょっと贅沢した、ヤーウルトゥ・メ・メラ(ヨーグルトのハチミツがけ)。世界三大料理のトルコ料理もギリシアの素朴なそれも(当然だが、実はかなり似ていいる)、僕は結構気に入っているのですけれど、こうして見ると、魚介の生食だったり、ヨーグルトだったり、日本でも食べられるものが良かったのだったりして。特に日本食が恋しくなることはなかったのですけれど、帰国後すぐにサンマの塩焼きと冷や奴に舌鼓。やっぱりか。

また行きたいし、もっといろんなところに行きたいと思うようになりました。今回は特に一人で行き当たりばったり、その日思い立った街へ行って、そこで泊まったり、そこで調べて遺跡に行ったりと、一人でも動ける経験をしたので、なおさらに。


通信が回復しました 投稿者:元夏迪  投稿日:10月 7日(火)10時18分47秒

追ってレスを追加します。


一筆箋/御歸り/御問合

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