一筆箋舊帙    一筆箋/御歸り/御問合

平成十五年二月十一日第八百七十一号
平成十五年三月二日第九百号

おフランス料理 投稿者:ヒロチ  投稿日: 3月 2日(日)05時29分37秒

愚妻さん:

>何か美味しいもの食べました?

さすがグルメ。質問が違いますね。
いろいろ食べたのに、難しいフランス語ばかりだったので、実はよく覚えていないんです。
覚えている中では、アヒルのキモのソテーかな。ワインと良くあいました。
クレープはそこらへんの屋台で食べても十分においしいのですが、クレプリに入って食べたそば粉のクレープは美味でした。もし食べたことがないのでしたら、是非ともお試しを。シードルと良くあいました。(下戸でしたっけ?)

旅の続きはもうちょっと待って下さいね。

ぷちどの:

>実は研究室の噂では・・・俺たち2人は仲良しらしいぞ。

なんじゃそりゃ?


ヒロチどの 投稿者:ぷち  投稿日: 3月 2日(日)02時43分11秒

>すまん。知らなかった。
奇遇だな、実は俺も知らなかったのよ。

追記:
もしかしたらこのことも知らないかもしれないからこっそり教えてあげよう。
実は研究室の噂では・・・俺たち2人は仲良しらしいぞ。


肝心なこと 投稿者:愚妻  投稿日: 2月28日(金)07時15分58秒

肝心なことを忘れてました。
ピアノの詩人さん、
ご卒業おめでとうございました!
そしてガウン、ありがとうございました!(←頂いちゃいました)
いつか何かに使ってみることにします。

ヒロチさん、
おパリの話、面白いです。続きも楽しみにしています。
何か美味しいもの食べました?


ぷちどの 投稿者:ヒロチ  投稿日: 2月28日(金)02時02分00秒

>「まともな格好して黙っているとカッコよく見える」

すまん。知らなかった。

>申し開きは直にやってやるから・・・

D'accord!


ヒロチへ 投稿者:ぷち  投稿日: 2月27日(木)22時53分07秒

「まともな格好して黙っているとカッコよく見える」(針鼠氏談)
という俺様だから、女がらみの話もいろいろあるわな。
申し開きは直にやってやるから、まあ妬くな。


La fete en Paris 投稿者:ヒロチ  投稿日: 2月26日(水)05時24分55秒

パリに行ってきました。三年半前にマドリードの語学学校で知り合った友人に会うためです。

彼女はいま、日本人が所有するアパルトマンを四人の日本人でシェアーして住んでいます。そこで二日目の夜にパーティーをしました。同じアパルトマンに住んでいるゴウさんという人が、パリの沖縄県人会のメンツを集めてきました。

その内の一人、ロランというフランス人は、日本語学習歴が四年で、一年間は沖縄に留学していました。日本語を完璧に話せて、僕よりも漢字を知っています(彼と漢字を書く競争をして負けた)。将来は日本で働きたいと言っていました。彼の話自体も面白かったですが、そのことよりも僕が感心したのは、ゴウさんが知り合いの日本大使館員の話をし出したときに、突然目の色を変え、「是非紹介して下さいィ〜 ホントお願いしますゥ〜」とか言って、手をすりすりしながら頭を下げ、即座に約束を取り付けてしまったことです。たぶん沖縄にいたときにも、こんな感じでコネをつくっていたのでしょう。チャンスを絶対に逃すまいとする押しの強さ、こうでなければ日本語をここまでは修得できまいと思われました。おまけに仕草までが日本人みたいになっているし。

彼はビシーの出身だというので、ビシーのペタン政権のこと、つまりあれはロンドンに逃げてしまって実際にはそれほどレジスタンスに貢献しなかったドゴールが、自分の行動を正当化するために作り出した神話なのではないかと聞いてみました。彼によれば、今でもフランスではドゴール批判はタブーになっているし、地元のビシーにおいても表立ってペタンを再評価しようとする動きはないとのことです。

あと、アルフォンス・ドーデーの『最後の授業』についても聞いてみました。われわれが小学生だったころ、六年生の国語の教科書に載っていたあの話のことです。普仏戦争後に敗れたフランスがアルザスをドイツに割譲することになり、アルザスではこの最後の授業の日を境にしてフランス語が使えなくなります。アメル先生が黒板に「フランス万歳!」と書いて話は終わります。僕は、今までにも何人かのフランス人にこの小説のことを聞いたことがありますが、彼らは全く知りませんでしたし、ロランも知りませんでした。しかし偶然にも、その場にいた日本人女性(31歳)が『最後の授業』のことを覚えていらして、僕と二人で盛り上がりました。とある情報筋によりますと、ドーデーは超右翼というレッテルを貼られて、現在フランスではあまり読まれていないそうです。

僕の横に座っていたパトリックは、見かけは完璧にフランス人(しかもハンサム!)ですが、実際には沖縄人とフランス人のハーフです。沖縄にいたのは4歳から14歳までだそうです。父親は、ユーラシア旅行の最後で沖縄に立ち寄り、沖縄が気に入り、沖縄人と結婚しました。そのあとパトリックの母親とは離婚しましたが、また別の沖縄人と再婚しました。いまパトリックは、この新しい母親と一緒に、パリに住んでいます。

パトリックは、去年おととしと沖縄に帰り、沖縄の良さを改めて認識したそうです。パリにも劣らぬくらいに遊ぶ場所はあるし、第一ディスコが安いぜ、沖縄のディスコのカウンターには泡盛が置いてあって飲み放題だ、とか言ってました。(しかしいったい、泡盛を飲んでどんな踊りをするのか?)もしかしてこいつ、フランスじゃ意外とモテなくて、久しぶりに沖縄に帰ってみたらモテモテだったので、沖縄に帰りたくなってるんじゃないか、と勘ぐりました。そのように突っ込んでみたら、否定はしていませんでした。

フィリプというラオス人は、沖縄で一年間勉強しました。風貌はジャッキー・チェンに似ていて、いかにも女たらしという感じで、女を口説いては日本語の勉強をしていたのでしょう。日本語はほぼ完璧で、話も面白かったです。

その他の参加者は日本人の女性ばかりでしたが、彼女たちは、バイオリンをやっているとか、花屋だのパン屋だので働いているということでした。

パリにはホントに日本人が多いですね。日本人だけでまとまってしまうのは欠点でもあるが、そのかわりに情報が良く入ってくるし、フランス人を紹介してもらうチャンスも多い、とのことでした。旅のことはまた書きます。

ぷちどの:

>・・・フェリス高校出身の女医さんたちと合コン・・・

その後どうしたわけ?


寒いの大好き 投稿者:ぷち  投稿日: 2月25日(火)02時13分27秒

元夏迪どんと愚妻さん、長文のレスごくろうさまです。

さて関東はとても寒いです。体感ではここ数日がこの冬一番の冷え込みではないでしょうか。
昨年同様に年明けは暖かくなるかと思いましたが、今年の冬は結構気合が入ってます。
昨日から今日にかけては雪が千葉でも本郷でも断続的に降りました。
でも入試が始まる明日は10度前後まで気温があがるそうです。
今日は雪の降る寒い中、下見の高校生がたくさんきてました。

そういえば私は金曜日にフェリス高校出身の女医さんたちと合コンしたんですが(以下略)


ガウンのフード 投稿者:愚妻  投稿日: 2月24日(月)07時25分31秒

ケンブリッジのガウンはフードの着用が必要な場合があります。ネズミ男みた
いなやつで、裏地の色が赤、青、黄、白、緑、水色など様々です。学位によっ
て色が違う、というのは漠然と知っていたのですが、昨日の友人の学位授与式
でもうちょっとだけ判明。

まず、博士号取得者には赤と青があります。オックスブリッジ&ダブリン大学
いずれかの学位(学士or修士号)を他に有していれば青、そうでなければ赤な
んだそうです。で、驚いたのは、上記三大学以外の博士号は博士号として認定
されず、白の「修士号 (MA) フード」しか着用が認められないことなんです。
なんぼ立派な業績がある偉い先生でも、余所の博士号しか持ってなければ修士
扱い。ケンブリッジ大学って、一体何様なんでしょう。


スパルタ、愛媛、合衆国 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月24日(月)02時37分49秒

午前中はぐずついた天気だった当地も、午後から日が出て、のんび
りとした日曜日を過ごしています。

zhu2nei4さん、よう御越し。

−二月二日、zhu2nei4さん−
scripsisti> すぱるたノ地二赴カバ
scripsisti> 彼ノ地ノ人二・・・

西紀前四百八十年、来寇したペルシア軍を迎え撃ち、テルモピュラ
イ(温泉関)で玉砕したラケダイモーン将兵の墓碑銘ですね。ポツ
リとお書きだったので、ドキリとしました。

呉茂一『増補ギリシア抒情詩選』(昭和二十七年、岩波文庫)は、
シモーニデースの高調をこんな風に訳します。

行く人よ、
ラケダイモンの國びとに
ゆき傳へてよ
この里に
御身らが 言(こと)のまにまに
われら死にきと


折角ですので、原文を転写します。

オー・クイ、ナンッレイン・ラケダイモオイス、ティ・
ーィデ・イメた・トイス・イノーン・ーマシ・ペイメノイ

色つきの音節を高く読むと、それらしくなります。平仮名は有気音
(帯気音)です。

−二月三日、zhu2nei4さん−
scripsisti> 愛媛県知事選挙の投票日は二十六日でした。当日は昼
scripsisti> 過ぎから雨が降ったりやんだりで、火刑の火を消すに
scripsisti> は足りないように思えましたが、現職の加戸氏は焼き
scripsisti> 殺されるには至らず、再選されました。ま、実際は大
scripsisti> した対立候補が立たなくて、信任投票に近かったんで
scripsisti> すが。

それも民意であり、民意である以上、天命だということになるので
しょう。感応した天が雨を降らせたのであれば尚更です(笑)。

某合衆国におかしな事を言ったりやったりする元首がおいでですが、
あれも結局は民意のしからしむるところ、ということになるのです
から、恐ろしい。氏の頭上にはどのような雨が降るのでしょうか。

と他人事を装い、有権者として精進しない己の怠惰をまず反省せね
ば(汗)。

scripsisti> えばんげりおん
scripsisti> 中国語では「新世紀福音戦士」でしたっけ。

あらら、そんなところにまで。と言いつつ、見たことはないんです
よね、あれ。


の続き 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月24日(月)01時09分00秒

「知は普遍」なのかも知れませんけれど、それは誰の目から見た普
遍なのか、お偉方にはよく考えて戴きたいものですね。普遍の名の
下に世界を詰まらなくしているのは誰なのか、と。

不佞は、そのような無定見に従うつもりはありません。ガウンを着
用せねばイカンというのであれば、式にも出ません。

#不佞が寄留する黌では、当人不在で学位を貰うことが出来ますし、
#「名前で」という文句も、希望すれば外して貰うことができます。
#副学長に跪く儀礼を省くことも認められています。ユーチーより
#もいくらかマシなようです。

scripsisti> これまで確認した限りでは、今度授与を受ける人のう
scripsisti> ち一人だけ、レンタルではなく購入でした。英国政治
scripsisti> 思想研究をしている人なので、いずれ剣橋か牛津で使
scripsisti> うつもりなのかもと思いました。

なお、オックスブリッジの間では双方のガウンを認めているのかも
知れませんが、その他の仕様など問題外ですよ。博士なら博士用の
ガウンを、当地で調達しないとダメです。

−二月十一日、謨磐堂先生−
scripsisti> 最近、画譜コーナーに投稿するばっかりだったことに
scripsisti> 気付きました。私も、元夏迪先生の武州日原シリーズ
scripsisti> を拝見した感想をば。

あいやいや、既に御投稿は弊站の目玉となりつつあります(?)。
益々の御投稿をお願いしますよ。

で、評語有難うございました。四十枚程あるので、サムネイル頁を
分割したり、他にも一寸した工夫をしてみたのですが、ストレスな
く御覧になれましたでしょうか。

scripsisti> 峰谷(みねだに)や留浦(とづら)・鴨沢にもこんな
scripsisti> 登山道があります。登り下りの途中、こんな道から麓
scripsisti> の集落を眺めると、つくづく侘び寂びを感じるもので
scripsisti> す。

あ、あー、見たいです! 何かありませんか、御手許にその手の作
品。お持ちでしたら是非とも御投稿を。

#網頁の開設はいつ?


偶感(!) 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月24日(月)01時08分03秒

謨磐堂先生、よう御越し。

−一月二十九日、謨磐堂先生−
scripsisti> 心の底では常に薄味の海鮮風味に恋いこがれていたこ
scripsisti> とは否定できません (笑)。

を! 本音が出ましたね(完爾たるニヤニヤ笑い)。いや、不佞も
ポル(抓飯)は好きなんですよ。油ギトギト、塩気ドッサリではあ
りますが、兎にも角にも味がしますし。シシカバブも好物です。ラ
グマンに関して言えば、粉っぽい麺、トマトとニラの芽(?)、そ
の他の具との微妙な不調和が堪えられないのです。で、余程のこと
がない限り食べなくなってしまいました。

scripsisti> 店を選べば中国ムスリム料理も「たまには」良いと思
scripsisti> います。……特に、青海西寧の水井巷市場で賞味した
scripsisti> 刀削麺と、北京天橋界隈の某ウイグル料理店で食味し
scripsisti> たラグマンは、美味くて何度も通ったほどです。

ラグマンのお店、それ北京ではないですか(笑)。漢族好みにアレ
ンジされたりしていませんか。前門あたりでシシカバブーを食べた
ら、西域でかぶりついていたのとは似ても似つかぬものが出て来て
たまげた記憶もあるのですが。

水井巷には行きそびれましたよ。残念。待ち合わせがうまく行かな
かったのが敗因か……。

#謨磐堂先生と、zongtongさん、不佞とは、嘗て青海省の省都西寧
#で待ち合わせを試みたことがあるのです。

scripsisti> 上海ッ子は何事もないかのように見物を楽しんでいる
scripsisti> のでした……。

不佞の初めてかの国を訊ねた翌々日、西安〜咸陽(かんよう)西区
間で、汽車に轢かれた女性を見ました。早朝だというのに、やはり
二、三十人の野次馬が線路脇に群がって、指を指しながら笑ってお
しました。「あ〜らら」とか言っているのには、ショックでしたよ。

−二月七日、謨磐堂先生−
scripsisti> 同じ研究科の連中に「今年からガウン着るんだって。
scripsisti> とゆーことは、皆さんも着るってことで……」と教え
scripsisti> たところ、一様に「信じられない。何で猿真似する必
scripsisti> 要があるんだ……」というブーイングの嵐でした。当
scripsisti> たり前の成り行きというべきでしょうか。

当然の反応です。国旗国歌でガタガタ騒ぐ割には、日本の大学人と
いうのは軽薄な奴らだ、と失望しかかっていたので、安堵しました。
前者は本朝の問題ですから、賛否は兎も角、議論の種になってもま
あ宜しいでしょうが、敢えて他国の弊習を持ち込む神経が理解でき
ません。

「ガウン」が僧衣であり、その僧衣がどのような機構に裏付けられ
たものなのか、その制度全体がどのような問題を世界中にまき散ら
してきたのか、その辺りのことを考えれば、口が裂けてもこのよう
な莫迦げた提案を教授会にかけられるはずがないのです。学長閣下
に跪き「神と子と聖霊の名前で」という呪文でも呟いて戴くんでしょ
うかね(嗤)。


偶感(?) 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月24日(月)00時06分12秒

カドフェルとやらはよく判らないのですけれど、どうもラテン語の
カダーウェル(「遺体」)という語を連想しますね。ただの妄想で
はありますが。ドイツ式に発音すればカダフェル、て。

#「死体が何体」というのは、この御仁と何か関係があるのですか。

鷺江人さん、よう御越し。いつも秀作を有難うございます。磨きが
掛かっていますね。些と怖い(笑)。

−一月二十七日、鷺江人さん−
scripsisti> 某氏に「回民料理は素晴らしい。」と聞いて

謨磐堂先生同様「あ! 乃公そんな罪深いことを言ったか知らん」
と思ってしまいました。取り敢えず責任は回避できたようで(笑)。

味に関しては、百分の百同意いたします。香辛料の匂いばかりで味
がしない。味蕾に残るのは脂身による麻痺感覚だけ。ちょっと戴け
ません。

scripsisti> 沙茶麺は中国の麺の中ではまあまあの味だと思います。

嗚呼ということは沙茶麺もやっぱり以下略。

−二月二十日、鷺江人さん−
scripsisti> 是非、謨磐堂先生に日本人一番乗りをしていただきた
scripsisti> いと思っております。

ははは。仇討ちですか。

scripsisti> 中国が「女子大生」に圧倒的な不人気を誇ってきた原
scripsisti> 因もそこにあったりするのかもしれません。

不佞は便所ゆえにではないかと睨んでいるのですが。いや、便所を
睨んでいるわけではないのですが。

顔を向けるべき方向に尻を向ける邦人が多いのも面白い。排泄行為
中の顔を隠すか、排泄行為中の器官を隠すか。文化の違いですね。

#ま、あまり追究しないことにします。

玲子@倫敦さん、よう御越し。

−一月二十九日、玲子@倫敦さん−
scripsisti> Oxford Collocations早速購入しました。

筆の進みは如何ですか。この字引、まわりで購入した人が結構いて
「マージンとればよかった」とか何とか嘯く愚妻が一人(笑)。難
を言えば、語彙が少ない。収録語彙の語義に偏りがある。といった
ところでしょうか。

不佞は自前のノートを作っています。参考にすべき句法、語法、文
体の注意などを、簡単に書き込んだファイルで、口語表現なども書
き留めてあります。訳語や注意書きには、自分が邦語で作文する際
の常用語彙を当てるように心懸け、後々の検索に役立てます(自分
が使わぬ語彙では検索語に使えませんものね)。

昔の人は、漢籍や古文の句法を暗誦し、それを引き出しながら文を
撰んでいたのでしょう。そうした素養を喪った戦後の我々は不幸な
のかも知れません。日頃からそうした想いを懐いているので、

scripsisti> 国語だけでももてあますのに。

という御言葉、含蓄深く拝見しました。いい加減「言文一致」の嘘
と、「感じたままに書きましょう」教育はやめにして欲しいもので
す。


思うところ二 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月22日(土)20時49分02秒

耶蘇教圏でも遺体に対する執着というのは凄まじいものがあります。
耶蘇教の教学に蒙いので、いい加減なことを言っているかも知れま
せんが、「神の国は来た」と説いて回った教祖はさておくとして、
その教祖の蘇生を信じ、その蘇生こそが、(遠い将来)改宗者の蘇
生をも保証するものであるという俗信が弘通し、教勢を支えるよう
になった以上、蘇生すべきブツが不可欠になります。当地の某黌附
属礼拝堂なんぞにも「某、これこれの偉績あり、ここに眠り、待つ
者なり」と書いてあります。確か十八世紀頃の墓石だったと思いま
す。

電気の時代になっても、この感性は依然として残存しています。例
えば「蘇生報知ブザー」。埋葬の際、死者が蘇生してもすぐに迎え
に行けるよう、報知ブザーを棺桶に入れ、この発明が大ヒットした
とかしないとか。倫敦では一世を風靡したやに側聞します。墓地か
ら絡まり伸びる配線を想像してみて下さい。蘇生信仰が洒落ではな
いことがよく判ると思います。

蘇生信仰の原点は教祖の蘇生にあります。その故事が捏造では困る
ので、これを「奇蹟」と呼び、その真なることを信じる(信じあう
場を作る)のでしょう。しかしいくら信じたくても、俄には信じ難
い話ですから、その証拠が欲しくなる。それが聖人崇拝や聖遺物崇
拝を支えているのではないでしょうか。「これこそが蘇生した某氏
の遺体である、蘇生はあったのである」という、即物的な安心が得
られるのでしょう。こうした感覚が、教祖の蘇生に対する信心をま
すます固めるものであるのは、想像に難くありません。

愛媛丸事件の例は、合衆国側にしてみれば他人事だという事情もあ
るでしょう。加えて水難の際には水葬も已むなく、遺体がないのも
余儀なきことだと決めてかかった節もあるのでしょう。まして水師
の起こした事故であれば、そのような思考回路が働いても不思議は
ありません。この一事を以て彼我の遺体観を比較するのは難しいよ
うに思います。

兎にも角にも死生観とそれにまつわる行動様式を提供してくれた大
宗教が衰頽した近世に、

−二月二日、まことさん−
scripsisti> 「近代における死」へ、最後に「現代におけるタブー
scripsisti> 化され、隔離・隠蔽された死」へと至る

のも、道理ではないでしょうか。死の受け皿がない。受け皿がない
と、どうしてよいか判らない。不安である。旧に復するか、孤独に
それを堪えるのか。振り出しに戻ったような観があります。

嘗て宗祖は生死の自他未分化に着目しつつ、それを肯定することで
この世に眼差しを向けるよう教えたのだと思います。「神の国」も
そうなんでしょうし(「霊的解釈」を得意とする方々にお叱りを戴
きそう)、「無記」や「本覚」などはその典型だと言えるでしょう
(儒教の態度も「無記」に近い)。それでこそ「教えの宗(中心)」
と呼ぶに相応しい。

自他の分化にひた走り、これを文明と呼んで憚らない人々に、分化
の虚構(方便)を突きつけ、時にはその虚構性に思いを致した方が
充実するよと教えた革新運動が、死後の世界を保証する体系に変容
したこと自体、大変面白い現象だと思います。同時に、嘗て正面か
ら受け止め損なった革新の衝撃を、現代社会がどのように展開して
行くのか、これまた目の離せない問題だと思います。

不佞にとって、古代ギリシア人の死生観は未知の世界です。ただ、
上に述べ来たった事と関連して言えば、百家争鳴の彼らが、生死を
どのように考え、議論していたのか、その態度そのものが我々の参
考にもなるのではないでしょうか。神々を「信じつつ信じない」と
言われる(ポール・ヴェーヌ、リチャード・バクストン)ギリシア
人を眺める面白さが、ここにも潜んでいるのです。


生死について思うところ 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月22日(土)20時48分27秒

ふと漏らした愚痴から、話題が大きく芽吹いて驚いています。無味
乾燥な書誌の遣り取りから、死の文化の考察へと道筋をつけて下さっ
まことさんには、脱帽。

のっぼさん提起の「喪」「弔」によって、死の文化そのものが爼上
に載ったことになります。死なずに暮らす作法、死んだ場合の作法
こそが文化の謂いですから、極言すれば文化そのものを繞る大きい
問題に行き当たったことになります。

埋葬は人類最古の文化です。その発端に妄想を巡らせてみました。
目の前に死者が出る。変である。不安である。この不安を何とかし
て鎮めたい。おまけに臭ってくる。困る。土に埋めてみる。魔除け
を置いてみる。死者を護るだけではなく、死者から護る効能をも期
待する。不安が和ぐ。不安を齎す死者の魂の鎮まった証拠である。

自他未分化の発想ではありますが、人類の黎明期に、こうした精神
状態が置かれてあったとしても、荒唐無稽な話ではないように思い
ます。ひとたび行動様式が定まってしまえば、その様式が感覚や発
想を規定してくるのは見やすい道理かと思います。そうして行動様
式にもまた正当化が行われてゆく。

黎明期にまで遡らずとも、彼岸此岸混沌の状態を確認することが出
来るように思います。

本朝には古来「生霊」「死霊」という言葉があります。「霊」の部
分が共通していることからも推察できるように、いずれも祟ると考
えられています。不佞が○山教授の生霊を見たりする訳です(笑)。
その一方で「生霊」は「人民」の意でもあります。生死の霊を管理
する(「幽事」)のが朝廷の役割だという立場が出てくる。この辺
りに自他未分化の時代の名残を見ることが出来そうです。

「生死」という考え方があります。「しょうじ」と読み、生きたり
死んだりする状態を謂います。呼吸のような生死が止まると、通常
の「死」が訪れる。こうした考え方にも、生死を断絶と見なすので
はなく、連続したものとして扱う姿勢を感じることは出来ないでしょ
うか。

−二月一日、のっぼさん−
scripsisti> 葬儀というものは、死者の死後の世界への見送りであ
scripsisti> り、死者への配慮であると同時に、遺された者たちが
scripsisti> そうした喪失感を回復していく過程なのでありましょ
scripsisti> う。

という御指摘も、右のような発想に根差して機能する部分があるよ
うに思います。

さらに本朝では、古来祖神ということを問題にしています。森や山
に鎮まる氏神の一部が人となり、亡くなればまた祖霊の中に帰って
いく。このようなアニミズムが「土に帰る」という言い方と深く関
係しているのは、間違いないでしょう。八百万を思わせる本覚思想
(一木一草に至るまで全て仏、という考え方)、それに基づく神仏
の習合も、故なきことではありません。


とある床屋 投稿者:鷺江人  投稿日: 2月20日(木)23時33分26秒

私は臆病なので件の床屋には入っておりません。
是非、謨磐堂先生に日本人一番乗りをしていただきたいと思っております。

それにしても、中国に留学した「女子大生」の伝説はいろいろあるようですね。中国が「女子大生」に圧倒的な不人気を誇ってきた原因もそこにあったりするのかもしれません。


鷺江人さん 投稿者:愚妻  投稿日: 2月19日(水)02時30分05秒

趣のある理髪店ですね。中を覗きたい衝動に駆られます。

中国に語学留学した女子大生が髪を切ろうと思って店に入ったところ山奥
に拉致され、戦時中の日本軍の蛮行について認めよと迫られた、拙い漢語
で必死に南京大虐殺について喋ったところ、とても気に入られて散々酒を
飲まされた上、ざんぎり頭(ライオンカット?)にされて解放された、と
いう伝説を昔聞いたことがあります。そんな話を思い出しました。

で、整髪なさったんでしょうか?腕はいかがでしたか?


すっかり 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月17日(月)17時20分30秒

御無沙汰を続け、申し訳ございません。目下態勢を立て直しつつあ
ります。ここ一両日中には書き込みも再開できると思います。いま
暫くお待ち下さい。


写真 投稿者:愚妻  投稿日: 2月17日(月)02時53分00秒

一昨年のキプロス旅行は結婚式出席が主な目的だったため、式の前に連れて行っ
てもらったクーリオンのデジ写真はありません(ディスク容量セーブのため)。

が、結婚式後に行った中にパフォス遺跡(キプロス島西端に位置)の写真があり
ます。元夏迪が骨折中だったので私が撮ったものが主です。写真には仕掛けもし
てありますのでクリックしてみてくださいねー。ローマ時代のモザイクが見事で
す。個人的にはサラミスの写真が見てみたいです。占領区域が返還されるまでは
行けなさそうですので……。

http://xixia.at.infoseek.co.jp/phototypica/tabula5.html


す、すまん 投稿者:ぷち  投稿日: 2月17日(月)02時26分20秒

私の拙い文章ではキティオンやクーリオンがどんなとこだかお分かりにならないだろうと思い、
画像を載せようとしたのですが、1枚1.5Mもあることが判明、あえなく計画は頓挫しました。
さすが500万画素、科研費パワーは違うな。


きてぃおん 投稿者:ぷち  投稿日: 2月16日(日)22時08分02秒

キプロスなんてギリシア史の方でも御存じない方が多いでしょうからちょっと解説。

古代キティオン市は紀元前1000年よりも前から栄えたキプロスの有力都市でした。
その遺跡は現在キプロスの国際空港のあるラルナカ市の市街地の真下に埋まっています。
アクロポリスがあったのですが、19世紀にマラリアの発生源だった沼を埋め立てるために
宗主国のイギリスが全部崩したため、いまはありません。さすが偉大なる大英帝国。

さて、古代キプロスにはギリシア本土と異なり、暗黒時代がありません。
だからキティオンもミュケーナイ時代から古典期まで遺蹟が連続しています。
城壁の最下層はミュケーナイ期のもので、その上に古典期の増築が行われたりしてます。
解説によると城壁には船のレリーフがあるようですが、実物を見ても何が船なのかわかりません。
紀元前5世紀から紀元前4世紀までは、キプロスのほかの都市がギリシア系だったのに対し
キティオンだけはずっとフェニキア系の王様ががんばってました。
最終的にはフェニキア系の王統はアレクサンドロス3世(大王)によって滅ぼされます。

とにかく現在のラルナカ市の真下に埋まっているわけですから、簡単には発掘できません。
本当にごくごく一部だけが発掘されていますが、遺跡に行っても四方八方がビルで、
風情もへったくれもありません。キプロスで一番楽しみにしてたのに、幻滅しました。

やっぱり古典期の遺蹟ならば北キプロスに行ってサラミースに行くのが一番のようです。
古代キプロス最大の都市だけあって、遺蹟の端から端まで歩くのに優に30分かかりました。
炎天下でのどが渇くし、トイレ(大)にも行きたかったし、本当に死ぬかと思いました。
遺蹟を見終わったあとに師匠におごってもらったトルコアイス、うまかったです。
ねばねばで、しかも秋葉デパート一階でよくみかけるような毒々しいピンク色が素敵でした。
サラミースには神殿とかのカケラもたくさん落ちてます。私は拾いませんでしたが(以下略

ローマ時代の遺蹟だと、やっぱクーリオンだよね、元さん。


連続投稿ごめんなさい 投稿者:愚妻  投稿日: 2月15日(土)23時54分50秒

> アクセントがない子音
「アクセントがない音節」の間違いです。


あ、 投稿者:愚妻  投稿日: 2月15日(土)23時52分51秒

ぷちさん、
入れ違いでした。マブダチのお名前を間違えてごめんなさい。
現代ギリシャ語では、「γ+前母音 ([i], [e], etc.)」の組み
合わせは[j]の音(palatalised voiced velar fricative)になる
そうです。ではなんで末尾の「ギス」がghisなのかと問われれ
ば、直前のρが帯気音だからのような気も、アクセントがない
子音だからのような気も。済みません、勉強不足で分かりませ
ん(今まで文法書を見てましたが、謎は深まるだけだった)。
いずれにせよ、「ギス」も喉を使って発音するはずです。

昨日はキティオンの出土品も色々見せていただきました。一昨
年私たちが行ったときには、案内してくれたキプロスの友人が
方向音痴でキティオンの遺跡を見つけられなかったんです(笑)。
残念!


カラヨルギス 投稿者:愚妻  投稿日: 2月15日(土)22時35分07秒

昨日の講演ですが、まず講師の名前が違ってました(笑)。
次に、題名も違ってた(笑)。Heroic burials in Cyprus and the rest of the Mediterranean world(キプロス及び地中海世界各地における英雄の埋葬)。
で、「英雄の埋葬」というから英雄信仰の話かと思って楽しみにしてたんですが、
「英雄(として描かれるような貴族)の埋葬」ということで、専ら墓から出てきた
副葬品の話でした。何でも14-13世紀のキプロスでは金の装飾品が主だが、12-11世
紀になると武具が出てくる(ギリシャ本土・クレタの影響)。そのうち奴隷と思し
き人身供犠も見られるようになる。各種宴会グッズ(鼎、香炉など)は中近東の影
響。あとは馬&馬車まで副葬品とされるようになる(スペインのフエルバに並行例
あり)。などなど。

聞かせる講演というよりは、自分が掘り当てたお宝を嬉しそうに自慢する、という
姿勢でしたが、それでも好感が持ててしまうのはカラヨルギス氏の人徳でしょうか。
でもスライドはピンぼけで殆ど見えなかった……。辛うじて見えた中で私のお気に
入りは、クレタから出た幾何学紋様の壷で、人身供犠の様子が描いてあるものです。
幾何学紋様だと何をしていても楽しそうに見えるから不思議です。

というわけであんまり収穫はなかったんですが。昨日骨董屋で見つかった聖ワレン
ティヌスの頭骨がテルニ大聖堂に返還されたそうですね。皆さんは収穫はありまし
たか?


からげおるぎすじゃないんだ。 投稿者:ぷち  投稿日: 2月15日(土)22時28分13秒

「からよるごす先生」とはVassos Karageorghis博士のことでしょうか。
彼とは昨夏にキプロスで会って以来、意気投合してマブダチです。


・・・嘘です。ごめんなさい。
「お前何やってんの」「顕彰です」「あ、そ」と一蹴されたのが私です。ヽ(`Д´)ノ ウワァァァン
キプロスの本屋さんで買ってきた先生の"Kition"、いま一生懸命読んでます。
これからはやっぱしアテネじゃなくてキティオンですよね、先生。


ごんぼ 投稿者:愚妻  投稿日: 2月14日(金)23時10分41秒

各方面からの牛蒡情報、有難うございます。
牛肉と相性がいいから「牛蒡」、というのはどうでしょう。
牛肉のゴボウ巻とか、鋤焼きとか。
……違うでしょうね。ゴボウ食べたいなあ。

昨晩ジャッキー・チェンの『蛇拳』を鑑賞して以来、
我が家ではカンフーがにわかブレーク中。
今日は夕方、キプロス大学の考古学者カラヨルゴス先生の講演です。
題目は「キプロス及びギリシャ世界における英雄の埋葬」です。
埋葬ものなのでこちらも張り切って行ってきます。


訂正 投稿者:へちお  投稿日: 2月14日(金)21時53分30秒

すみません.引用した箇所の区切りが間違っていたようです.

正しくは「故名」は前文の末尾で,「其根葉皆可食」から新しい
文が始まります.よって,「其ノ根葉皆食ス可シ」と
「人呼ビテ牛菜ト爲ス」は特に繋がりがないと考えた方がよいのかも
しれません.

結局牛蒡の語源は不明のままですが


牛蒡が黒いのは風呂嫌い 投稿者:針鼠  投稿日: 2月14日(金)19時45分05秒

こんにちは。

 牛房の房がしっぽで、牛のしっぽに似ているからだという説もある
ようです。でもこれもあてになりません。


Re: 牛蒡 投稿者:へちお  投稿日: 2月14日(金)02時11分06秒

弘法太師が唐から招来する際に,牛の尾に房の様に付いた草の実を
取って日本に持ちかえったから「牛房」という話があるそうですが,
さすがに付会が過ぎる俗説だと思います.

『大漢和辞典』には「本草」(『本草綱目』?)からの引用として
「名ノ故、其ノ根葉皆食ス可シ、人呼ビテ牛菜ト爲ス」という一節が
紹介されています.

が,私には前半と後半の接続関係がさっぱりわかりません.

さすがに牛が食べるからという意味には取りにくい様に思いますが,
・無駄なく食べられることを牛になぞらえている
・前半と後半はまったく無関係な事実を列挙している
と考えるのもしっくりきません.

元先生の高批を仰ぎたいところです


牛蒡 投稿者:愚妻  投稿日: 2月14日(金)01時16分02秒

で、どうしてゴボウは「牛蒡」と書くのでしょう?
どなたか御存知ありませんか?
(やっぱり牛の角なのかな……)


牛蒡 投稿者:愚妻  投稿日: 2月11日(火)21時36分49秒

「ゴボウ」はどうして「牛」の字で始まるんだろう、と不思議に思って
元夏迪に訊いてみたら、「牛の角に形が似てるからじゃない?」という
答えが返ってきました。

……知らないなら知らないと言えばいいのに、と思った愚妻でした。


一筆箋/御歸り/御問合

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