一筆箋舊帙    一筆箋/御歸り/御問合

平成十五年一月三十一日第八百四十一号
平成十五年二月十一日第八百七十号

奥の多摩道 投稿者:謨磐堂  投稿日: 2月11日(火)17時34分26秒

 最近、画譜コーナーに投稿するばっかりだったことに気付きました。私も、元夏迪先生の
武州日原シリーズを拝見した感想をば。

 個人的に日原という場所は、奥多摩の名峰・雲取山 (首都第一之高山) や鷹ノ巣山に登る
ときの入口にあたりますので、非常に馴染み深いところですが、考えてみればバスの待ち時
間のついでにボーッと眺めるだけで、未だここだけを目的地として探訪したことはありませ
ん。というわけで、「ホウ、こんな光景もあるのか」という発見がありました。例えば、
「朽ち果ての美」を地で行くかのような民家とか……。

 とはいへ、個人的に一番ツボだったのは、両脇を柵で仕切られて、急斜面の畑を横切って
行く山道のシーンであります。う〜ん、これぞ奥多摩の中の奥多摩 (笑)。鷹ノ巣山をはさんで日原とは反対側の峰谷 (みねだに) や留浦 (とづら)・鴨沢にもこんな登山道がありま
す。登り下りの途中、こんな道から麓の集落を眺めると、つくづく侘び寂びを感じるもので
す。そして、都心から僅かな?時間でこのような風景の中に没入できるという意味で、東京
というところは世界の巨大都市の中でも稀にみる存在なのではないか、と思わずにはいられ
ません。奥多摩マンセー。

 さて、ピアノの詩人さま (はじめまして) が書かれておられます奥多摩の駅事情ですが、
相変わらず、もとい昔以上に無人駅が増加しています。数年前までは昼間だけ駅員がいた古
里 (こり)・鳩ノ巣は今や終日無人駅……。というわけで、無人駅相互の乗降ですと、車掌が切符を集めに来ないので、キセルできまくり。(良い子は真似してはいけません) まあ、JRとしては、ほとんど全ての客が青梅以東・御獄・奥多摩のいずれかを利用するため「ど
ーせ無人駅で乗って無人駅で降りる客はほとんどいない」と割り切っているのでしょう。

 そんな青梅線の無人駅にも、今や簡易Suica改札機が設置完了! 鬱蒼とした森の中
にあって、木造便所の壁に掲げられた「火気に注意」の丸看板がシブい白丸駅の片隅に、な
にげに最新IT (笑) が紛れ込んでいる光景を目にすると、時空が屈折しているかのような
印象を新たにせずにはいられません。

 ところで、画譜コーナーで「伊暦新年」とか書いてしまいましたが、どうやら今日はメッ
カ巡礼の開始日のようです。(新聞で確認) 


懐かしの奥多摩 投稿者:ピアノの詩人  投稿日: 2月11日(火)11時49分47秒

ひさびさお邪魔です。奥多摩の写真を拝見させていただき
ました。懐かしいですね。奥多摩の駅は、無人駅が多く
遊びに行った際にキセルをしてる輩をいくらか見ましたが
今ではどうなのでしょう。もう10年以上前の話ですが。
奥多摩の方もいれると、東京って不思議な都市だなあと
いつも思います。そんなことを再度感じた写真集でした。
東京も良いもんです。
お邪魔ごめん。


「聖女の遺骨求む」 投稿者:まこと  投稿日: 2月10日(月)08時10分16秒

は、「修道士カドフェル」シリーズの原作第一巻のタイトルなのですが、
聖遺物崇拝が聖人崇敬に発し、聖人崇敬の原型が殉教者崇敬だったことを
考えるならば(古代の葬送儀礼まで遡る説もありますが、それはさておき)、
4世紀のキリスト教公認以降、帝国の版図における殉教者は原理的に
存在しなくなりますから、小教区の増加や教会堂・修道院の新設にもかかわらず、
崇敬対象の創出源が枯渇しているわけです。中世前期の西欧のキリスト教徒にとって、
「需要に供給が追いつかなくなった状態の解決」は切実な問題でした。

私が多少把握している主にフランスの例を中心に考えるに、「聖遺物の入手」には、
1)移送・分骨、2)購入、3)盗掠、4)発見、5)でっちあげ、の5つの要素が
あるようです。むろん、分類は便宜的なもので、複数の要素を含む場合が大半です。
さらに、すべてに「奇蹟」が関係するのですが(関連する「奇蹟」がなければ、
それはただの死体で「聖遺物」とはみなされなかったようです。逆に「奇蹟」があれば、
どこぞの馬の骨でも「聖遺物」になり得ました)、「中世人にとって『奇蹟』とは何か?」
は大きすぎる命題で、今の私の手に負えそうにありません。

1)「聖人」の遺骸を他所に移す、という移葬・分骨の慣行が一般化した時点を
「聖遺物崇拝の成立」といささかに乱暴に見なすならば、東方では4世紀中葉に
すでに記録があるものの、西方では「墳墓を暴く」ことへの抵抗が強かったのか、
この慣行の出現は少し後になります。4世紀末に「霊感に打たれた」ミラノ司教
アンブロシウスが聖人の遺体を発見・移葬した、というのが先駆けのようです。
もっとも、「それまで名前も墓所も知られていない聖人」だったようで、
「でっちあげ」と言えなくもないような... 5世紀前半には筆頭殉教者聖ステパヌスの
聖遺物が北アフリカの諸教会に広がり、ヒッポの大聖堂にも分骨され、奇蹟を起こした、
と、かのアウグスティヌスが記しています。西欧でも移葬が「一般化」するのは
大体この頃と見なされるようです。

2)12世紀のいわゆる「商業の復活」以前にも、聖遺物の取引は存在したようです。
9世紀にはローマの墓地を掘り返しては、アルプスを越えて、聖遺物を売り歩いた
「聖遺物商人」が良く引き合いに出されます。12世紀の十字軍以降、東西の交易が
活発になると、ビザンツでは聖遺物の「輸出」が主要産業の地位を占めた、とか。
13世紀のラテラノ公会議で聖遺物の販売・購入が禁止されますが、守られた様子はなく、
後に列聖されたフランス王ルイ9世までも十字架片や荊棘冠を大枚をはたいて購入し、
それをメインの宝物としてサント・シャペル教会を建立する始末。
どう考えても眉唾モノですが、「キリストの吐息の瓶詰め」「割礼時の御包皮」
「聖母マリアの乳の雫」「ゴリアテの臼歯」などが高値で取り引きされたという話も。
日本にも「頼朝公幼少のみぎりの髑髏」なんてものがありましたねぇ(笑)。

長くなりましたので、また時間があるときにでも続きを書きたいと思います。

P.S.御誕生日を迎えられたお二人様おめでとうございます。


あらまあ! 投稿者:愚妻  投稿日: 2月 9日(日)01時27分15秒

酒呑猫さん

Chronia Polla!
御誕生日おめでとうございます!
飲み過ぎには注意してくださいね。


あ、そうでしたっけ(汗) 投稿者:酒呑猫  投稿日: 2月 9日(日)00時59分28秒

ちなみに今日は私の誕生日だったりします(笑)

佐藤先生、懐かしいですね。お元気でらっしゃるのでしょうか。
うちの(×歳年上の)かみさんが別の大学でやっぱり佐藤先生に
ラテン語を習っていたそうで、縁を感じたものでした。

私はカティリーナよりもユウェナーリスの方が強く印象に残って
います。orandum est ut sit mens sana in corpore sano.
in vino veritas. ともども座右の銘にしています。


誕生日おめでとお 投稿者:ぷち  投稿日: 2月 9日(日)00時49分40秒

元夏迪さん、私との年齢差がひとつ縮まりましたね。
この分だと追い抜かれるのも間近ですね。


あれれ 投稿者:愚妻  投稿日: 2月 9日(日)00時24分22秒

日本時間だともう誕生日が終わってました。
22分28秒くらい大目に見てよ。


いよいよ 投稿者:愚妻  投稿日: 2月 9日(日)00時22分28秒

元夏迪さん、三十○歳ですね。
おめでとうござる。
Chronia Polla!

早寝早起きができるようになってください。
食べ過ぎには注意しましょう。


いよいよ 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月 7日(金)23時52分11秒

面白くなってきましたね。そろそろ不佞も何か書こうかなぁと思い
ます。触発されるところがありますし。


御挨拶が遅れましたが、酒呑猫さん、よう御越し。不佞も万事サボ
リがちなグータラですが、一つ気長にお付き合い下さい。

カティリーナ弾劾は、一緒に読みましたね。佐藤教授の御講義で、
不佞が古典を繙く際の姿勢が定まりました。文法を疎かにしない。
用例には必ず当たる。納得が行くまで調べて考える。当たり前とい
えば当たり前な話ですが、この教えが後々身を助けてくれました。

古代語の習熟法を問う人にも、このやり方を薦めています。愚直で
骨は折れますが、「接続法未来完了です」の如き珍説に基づく解釈
を避けることも出来、結局は近道ですし。

#「接続法未来完了云々」は実話です。もちろんこんな形はあり得
#ません。

まことさんの御役に立てたようで、よかった。仰せの如く、アメリ
カ合衆国の書評誌が種本です。メイルの無料配信サービスがありま
す。古代学、中世学の書評が専門で、おかしな評も多いのですが、
何かの参考にはなるでしょう。これまでのログを検索、閲覧するこ
とも出来ます。

謨磐堂先生、鷺江人先生の投稿作品を拝見していて、最近サイトの
更新が滞っていることに思い至りました。というわけで、昨年日原
に游んだ際の写真を上網します。どうぞ御覧下さい。今回はこれま
でと違う工夫をしてみました。接続速度、使い勝手などの技術的な
点も含め、御感想を戴ければ幸いです。

余は次回に。


アンビリーバボー・ガウン 投稿者:謨磐堂  投稿日: 2月 7日(金)22時47分01秒

 日本列島ではインフルエンザが大流行。私は幸い無関係で済んでいるのですが。ここ数
日は鼻がムズムズし始めました。そう……これから5月上旬まで続く恐怖の大王=花粉の
季節の始まりです。(泣)

◆誤報ニュースの怪

 どうやら私が前に書いた「いまラジオで、倫敦の駅で電車がひっくり返ったと言ってた」
という話題は、どうやらメディア側の誤報だったようで何よりです。
 (玲子さま&愚妻さま、レスありがとうございます)

 ラジオで流されるニュースというのは、基本的に大手通信社から配信された話題を流す
のだと思いますが、ネタを配信した某通信社に対して私は基本的に信頼を置いているもの
の、たま〜にとんでもないガセネタに踊ることもあるんだよなぁ……。

 それは忘れもしない、「ロシアの探検隊がチベット西部でピラミッドのような物体を発
見! 知られざる古代文明か??」という怪しいニュースが一瞬だけ世界を駆けめぐった
(?) ときのこと。たまたまその場所が「チベット」だったために、考古学の事情など何も
知らない私の家に電話がかかってきて「チベットの古代文明について詳しくお話を……」
と記者が問いかけてきたのでした。しかし、いちおう政治学の輩である私は古代文明のこ
とに暗く、どー考えてもチベットの荒涼とした砂漠の無人地帯に巨大ピラミッドなどあり
得ないと思ったので「う〜んホントにピラミッドなんでしょうかねぇ。あの辺は三角錐の
ような山が多いですから、目の悪いロシア人が勘違いしたんではないでしょうか。でなか
ったら、人民解放軍の兵士がヒマでヒマで仕方がなかったので、土をピラミッド型に積み
上げて遊んでた跡なのかも知れませんね」と答えたのでした。すると記者は余り要領を得
ないかのような声で電話を打ち切ったのですが、あとで流れたニュースは「やっぱり山を
ピラミッドと見間違えた。ちゃんちゃん」というものでしたので、結局私がその記者を超
ガセネタ→叱責の危機から救ったことになります (笑)。あるいは、もし記者の問いかけを
真に受けて、「謎のチベット古代文明」について説明してしまったとしたら、それこそ
『ムー』が喜ぶだけで、自分の信用は台無しになってしまうところでした (^^;

 皆さんも、怪しい話題は常に疑ってかかられますよう……。
 「誤報」ということで、思わず昔話モードになってしまいました (^^;

◆ガウン

 とりあえず東大以外でも着るのかどうか分かりませんが、全く愚妻さまのおっしゃる通
りでございます。一応、申し込むか申し込まないかは個人の選択に任されているのですが、
非常にややこしいのは、今回が初めてなだけにどの程度の博士号取得者が着てくるか皆目
見当がつかないことです。何故今回からガウン着用となったのか、そして着用に関するア
ンケートの結果がどのようなものであったのかについて特にインフォメーションがないま
ま、「とにかく今年から着るようにするので購入orレンタルせぇ!」というのでは、こち
らとしても様子見でレンタルを申し込むより他はないという感じです。
 きょう、同じ研究科の連中に「今年からガウン着るんだって。とゆーことは、皆さんも
着るってことで……」と教えたところ、一様に「信じられない。何で猿真似する必要があ
るんだ……」というブーイングの嵐でした。当たり前の成り行きというべきでしょうか。
 ちなみに、これまで確認した限りでは、今度授与を受ける人のうち一人だけ、レンタル
ではなく購入でした。英国政治思想研究をしている人なので、いずれ剣橋か牛津で使うつ
もりなのかもと思いました。


お礼 投稿者:まこと  投稿日: 2月 7日(金)08時33分53秒

私信です。
元夏迪師匠。メールでの文献情報ありがとうございました。
面識はないものの、著者は私の兄弟子にあたります。
博士論文は目にしたことがありましたが、出版されていたとは
迂闊にも存じませんでした。地域が微妙にずれていたのと、
南仏史専門誌にも書評が出ていませんでしたので、
私の検索の網から漏れたようです。
ソースは研究者用のメーリングリストですか?

で、早速、図書館で借りて目を通しました。
航空写真とナポレオン地籍図を対照させ、地理情報学の手法を駆使して
中世の農地片を再編するという、おそらく、歴史地理学関係の研究書でも
ハードさ(読むのも辛い)では極北をなすものだと思います。
他にも、19世紀から遡って、土地の売買を区画単位ごとにデータベース化し、
近世のボルドー市街区を再構成する、という若手の研究者の報告を
聞いたことがあります。ほとんど理系の世界でした。

死体の話の方がまだ楽しいような... (笑)。


ガウン 投稿者:愚妻  投稿日: 2月 7日(金)06時31分04秒

ぷちさん
ケインブリッジのガウンは、建前では日常的に使用するアイテムらしいです。今でもカレッジごとのフォーマル・ホールと呼ばれる食事では着用が義務づけられている場合が多いです。たぶん元来は授業などあらゆる公的な場で着用だったんではないかと思います。オクスフォードでは論文の口頭試験でも着用するようです(靴下の色まで指定だとか)。で、学歴と共に長さが伸びます。余所では知りませんが、ケインブリッジで見かけるガウンは汚らしいことが多いです。中古で買う人が多いからかも知れません。色あせてたり、食事の染みだらけだったり、しわくちゃだったり。そしてアクリルで安っぽい。ケインブリッジにはtowns and gowns という独特の言い方もあります。町方の人々と大学関係者の対立を表すんだそうです。


節分の豆が食べたい。 投稿者:愚妻  投稿日: 2月 7日(金)02時49分38秒

zhu2nei4さん
生産者の皆さんはこっそりおいしいもの食べてるんだろうなあとは思ってましたが、やっぱりそうですか(笑)。当然ですね。いいなあ。

死体
ヘロドトスの『歴史』三巻を必要があって見てたんですが、死体関係も色々ありますね。エジプト人はミイラにする、とかインド人は親の遺体を食べる、とか執拗に出てきて面白い。ヘロドトスも死体好きだったのか。

キプロスでは復活のラザロが二度目に死んだそうで(今度はちゃんと永眠)、頭が聖遺物になってました。箱に入っていて、頭頂部の所だけガラス張りになってます。つるっぱげでした。一度目に死んだときには腐りかけたと福音書にありますが、二回目はセーフだったんですね。まことさんの聖遺物のお話、楽しみにしてます。


蜜柑は未完 投稿者:zhu2nei4  投稿日: 2月 7日(金)00時57分40秒

元ネタは何だったっけか。

愚妻さん
私も、あまり甘い果物は好きじゃないんですが、生産サイドは、まず糖度の向上に
腐心しているみたいで、品評会とか新品種発表会などでも、一番に言われるのは
糖度がどうか、ということのようです。たぶん甘いのがいい、という消費者が多いんでしょうね。

実家で作ってる伊予柑は特に甘いとは思わないんですが、いつだったか、
売り物の伊予柑を食べて、甘さにびっくりした覚えがあります。
ひょっとすると、百グラムいくらで安売りに出されるようなものなら、
そこそこ酸っぱかったりするのかな。


ほらね 投稿者:針鼠  投稿日: 2月 6日(木)02時30分19秒

ぷちさん、やっぱりのっぽじゃなくてのっぼだったでしょ。


そういえば 投稿者:のっぼ  投稿日: 2月 5日(水)14時11分10秒

ギリシアの中でもテーベ(テーバイ)というポリスとアテネとの間に、
祖国への死体収容に関する悶着が何度か起きてましたっけ。
この辺り、「祖国」の意味付けなど、いろいろあるのかもしれませんね。


わぉ 投稿者:ぷち  投稿日: 2月 4日(火)13時04分07秒

雪だ雪だ雪だ!

さて学校行くか。


あっ 投稿者:愚妻  投稿日: 2月 3日(月)20時52分23秒

タイプミスです。お名前間違えて失礼しました、zhu2nei4さん。

あと、のっぼさんも。私も今の今まで「のっぽ」さんだと思ってました。
すみません。そして妙に納得。


zhu3nei4さん 投稿者:愚妻  投稿日: 2月 3日(月)20時46分35秒

> 蜜柑のどういうところがお嫌いなんでしょうか。

蜜柑に限らず、糖度の高い果物は全般的に苦手なんです。柑橘類は苦味と酸味と甘みのバランスが勝負だと(勝手に)思うんですが、特に蜜柑は甘さのきついものが増えた気がします。昔食べた「青い蜜柑」が懐かしいです。はっさくやグレープフルーツなど苦味のあるものは大好きです。後味爽やかで、喉が乾かない。

同じ理由でリンゴやメロン、ブドウも最近はなんだかなー、と思います。蜜たっぷりのリンゴや瓜臭さのないメロンは大概持て余します。トウモロコシも許容範囲はハニーバンダムまででした。わがままでごめんなさい……。

焼き蜜柑、よーく考えてみたら、小学校の石炭ストーブで給食の蜜柑を焼いている人がいたような気がしてきました(笑)。私はクルミを拾ってきて焼いて食べるのが大好きでした。


みかん 投稿者:zhu2nei4  投稿日: 2月 3日(月)00時23分11秒

愚妻さん

蜜柑のどういうところがお嫌いなんでしょうか。
生産者の子弟としては、ちと気になります。

「燒きみかん」は初耳です。親戚内でも、そういう食べ方は聞いたことはありません。
でもくだんの記事では、愛媛ではかなりの割合で食べられてることになってますね。はて?


報告&亀レス

愛媛県知事選挙の投票日は二十六日でした。
当日は昼過ぎから雨が降ったりやんだりで、火刑の火を消すには足りないように思えましたが、
現職の加戸氏は焼き殺されるには至らず、再選されました。
ま、実際は大した対立候補が立たなくて、信任投票に近かったんですが。

えばんげりおん
中国語では「新世紀福音戦士」でしたっけ。


旅人ヨ 投稿者:zhu2nei4  投稿日: 2月 2日(日)12時10分01秒

すぱるたノ地二赴カバ
彼ノ地ノ人二・・・


「アリエス」は乙女じゃなくておじさん 投稿者:まこと  投稿日: 2月 2日(日)09時27分23秒

のっぼさん(NOPPOさんと間違えてました):
「三人称の死」は「他人事」、「二人称の死」は「身内、親しい人の死で一大事」
という養老氏の解釈について。アリエスも同じ用語を使っていますが
(たぶん、こちらが元祖でしょう)、「三人称の死La mort de soi」は
「もはや『共同体全体の出来事』ではなくなり、『個人の出来事』となった死」
という意味合いで使われ、「飼い慣らされた死」から脱却し、「二人称の死La mort de toi」
(こちらは養老氏の用法とほぼ同じ)へ至る一つの過程・前提ととらえている点が少し違います。
まあ、現代で共時的に考えるか、通時的に考えるかの違いでしょうか。

そのうえで、

>しかし「二人称の死」に関しては、人は大きなショックを抱き、喪失感を感じることが多い。
>葬儀というものは、死者の死後の世界への見送りであり、死者への配慮であると同時に、
>遺された者たちがそうした喪失感を回復していく過程なのでありましょう。

この部分が、まさに近代における「二人称の死」に相当すると思います。
中世においては、臨終の床は大勢の人(近親者に限らず、子供も含む)に公開され、
死ぬ側は「痛悔、悔悛、赦免」と粛々と進行するプロセスを経て、確信に満ちて死を受け入れた、
と言われます。過度にドラマ化されず、穏やかに受容される死、これがアリエスの言う
「飼い慣らされた死」の、「死者と生者の共存」と並ぶ、もう一つの側面です。

「最後の審判画像」「彫刻表現」「往生術artes moriendi」「腐敗遺骸図像Le transi(定訳を
忘れましたが、所謂グロ図像(笑)。日本では小野小町のモノが有名ですね)」等々の
図像学的分析によれば、11-12世紀を境に「原罪を背負った、定命の弱い存在である人間個人」
が次第にクローズアップされてくるとのこと。これは、阿部謹也氏の『刑吏の社会史』で
論じられているように、「共同体の秩序を回復させる」ことから「犯罪者個人を罰する」こと
へと刑罰の目的が変化した時期にも対応していて興味深い点ではあります。

さらに、14世紀の戦争とペストの時期があり、「近代における死」へ、
最後に「現代におけるタブー化され、隔離・隠蔽された死」へと至るわけです。
後の方は私の守備範囲を超えますが、中世後期については少し補足できるかも知れません。

愚妻さま:
>無責任な質問に丁寧に答えてくださり有難うございます。
いえいえ。いちおう、昔とったメモを参考にしてはいますが、
こちらも無責任に答えてますから(え?)
「犠牲獣の血」と"sarco-phagus"の話はためになります。
今度、フランス人相手に蘊蓄を垂れてみようと思います。
ただでさえ変人と思われているらしいので、だめ押しに丁度良いかなと(笑)。

ぷちさま:
せっかく「カドフェル」ネタに誘っていただいたのに、
上手く繋げられなくてすみません。「ビデオ版のシリーズ第一作は
『聖女の遺骨求む』ではありませんでしたねぇ」、という前振りから
聖遺物話へなだれ込むのが当初のもくろみでしたが...
またしても次回に。

ヒロチさま:
盗難の件はご愁傷様です。
スペインには面白い聖遺物はありますか?
私は南仏で「司教の目玉」を見たことがありますよ。


ぷちどの 投稿者:ヒロチ  投稿日: 2月 2日(日)08時09分21秒

> 女子学生にカッコよいとゆわれた♪ 

何それ?


母国での埋葬 投稿者:ぷち  投稿日: 2月 2日(日)00時34分17秒

スペースシャトルの件で大騒ぎになってますが。

ラケダイモーン(スパルタ)人はよく戦地に葬られていますよね。
たとえばスパルタ王ブラシダースなど(Plut. Lyk. 24など)。
彼はアムフィポリスで戦死し、当地に葬られています。
その他にも、スパルタ人が戦死して戦場に葬られ、
武具のみを仲間が持ち帰ってくる壺絵なんかもあります。


しつこく 投稿者:愚妻  投稿日: 2月 2日(日)00時14分08秒

すっかり掲示板を乗っ取ってしまった感がありますが(笑)。

のっぽさんの

> 死体を母国の地に埋葬することということが、
> 一つの死者への尽くし方として、
> 古代アテネ(ギリシア?)では了解されていたのではないでしょうか。


という書き込みで気づいたのですが、ギリシャ悲劇の「埋葬もの」では、
「母国での埋葬」へのこだわりは希薄な気がします。勿論取材する神話伝
説との兼ね合いもあるんですが。『アイアス』ではアイアスがギリシャの
両親への思いを長々と喋ったりする一方で、トロイの地で埋葬されること
自体は問題にならない。しようと思えば出来る機会はたくさんあるのに。
前述の『ヘカベ』のポリュドロスは「埋葬して欲しい」のとセットで「母
の腕に抱かれたい」という希望も述べます。身内による弔いが受けられる
なら、埋葬はどこでもいいのかしらという気もします。戦没者の場合はポ
リスの英雄にされることもあって「母国の地での埋葬」が特に重要なので
は、と言ってみることにします。御批判宜しく御願いします。

私の父方の祖父は27歳で戦争末期にタラワ沖で船ごと水没、戦死したそう
で、遺骨はないそうです。もう還暦を過ぎた父とその弟が、最近タラワに
行きたがったり、遺品の整理を今になって始めたりしています。それを見
て思うんですが、手で触れる死体がない以上、その死は三段論法的推論の
ような、間接的なやり方によってしか認識できない。こういう死なれ方は
遺族にとっては相当苦痛なことなんではないでしょうか(父と叔父の場合
は幼かったために父親の記憶が殆どない、という別な事情もあるようです。
何を喪失したのか分からないという喪失感?)。のっぽさんの書き込みを
読んで、父と叔父はまだ祖父を弔い終わっていないのかも知れない、と思
いました。私事で恐縮です。


全然関係ないですけど、昨日の雪は世間で大騒ぎになってました。古典学
部の建物が閉鎖、総合図書館も一部閉鎖。積雪十センチで。ロンドンでは
あらゆる交通機関がマヒしたと聞きましたが、玲子、どうだった?イギリ
スと戦争するときは、ロンドンを雪攻めにするだけで勝てるかもしれませ
ん。札幌の雪祭りに自衛隊が動員されるのは、実は雪攻めの訓練だったの
か。


何となく 投稿者:のっぼ  投稿日: 2月 1日(土)15時24分13秒

ちょっとこんなことを考えていたのです。
学部のころ受けた退官直前の養老の講義を受けていたのですが
そこで彼は、死には「人称」があるといっておりました。
もちろんこれは比喩な訳ですが、
要するに自らの死(一人称)は感知できず、他人の死(三人称)は他人事、
身内、親しい人(二人称)の死は一大事であると感ずるもの、ということでした。
比喩の出来はともかく、
死の日常性が語られるのはこの中の「三人称の死」についてのことだと思います。
しかし「二人称の死」に関しては、人は大きなショックを抱き、喪失感を感じることが多い。
葬儀というものは、死者の死後の世界への見送りであり、死者への配慮であると同時に、
遺された者たちがそうした喪失感を回復していく過程なのでありましょう。
(戦没者国葬などはそこに生じる共感情を利用して、
「三人称の死」を「二人称の死」にスライドさせ、
さらに共同意識を高める効果を持っているのでしょう)
そういう中で、いかにして喪失感から解放していくか、
このためにも、死者に尽くすということが行われる。
きちんとした埋葬をすることが、死者に最善を尽くすことになり、
同時に最善を尽くすことで、
またそうしたプロセスを時間をかけて積み重ねていくことで
喪失感を少しづつ解消していくことになる
(本人が「解放されたい」と意識しているか否かは別として)。
この最善の尽くし方は、もはや文化ごとに異なるのでしょうが、
死体を母国の地に埋葬することということが、
一つの死者への尽くし方として、
古代アテネ(ギリシア?)では了解されていたのではないでしょうか。
(この場合、少なくとも母国の地ということと来世観との繋がりはどの程度言えるのかしら。
「アテネ人は大地から生まれた種族」神話なんてのもありますが。
ガンジス川に流れくる死体の話と対照すれば、
あるいは日本でも平安時代だったか、箱舟に乗って西方浄土へ向かうよう、
死体を(生きているうちだったかな)海へ流すなんてことがあったようですし
(不陀落渡海といったかな?)、
やはり来世観との関係は深いようにも思われますね)
「えひめ丸事件」にせよ日航機墜落事故にせよ
遺族たちが死体を求めたのは、そうすることで
その死に対して何も出来なかったことを払拭するためにも、
死者を母国(故郷)に戻すことで死者に尽くし、
同時に喪失感からの解放を図っていることになるのでは
(この場合は来世観云々よりも、儀礼を行うことそのものが尽くすことになる
と了解されているような気がしますが、
しかしそれにしても故郷や土への意識はまた強いのでしょうか)。
それからもう一つ、
死者の生き方、死に方を理解すること、その歴史を語ることが、
死者の存在意義、あるいは生きていたことの証明をすることに繋がり、
やはり死者に尽くすことになると理解され、
同時に死を気持ちの中で合理化し、理解することになり、
喪失感からの解放の一つになるということもありましょう。
その際、ある文化の中では死体を自分たち遺族の下に取り戻さないことには、
その「歴史」を理解することが出来ない、
そういうこともあるのではないでしょうか
(これは文化的偏差はあるのかしら?かなり普遍的なのかな?)。

人のうけうりとか、本の中に書いてあったことも坩堝に溶かして、
こんなことを考えていたのでありました。
長くてすみません。


女子学生にカッコよいとゆわれた♪ 投稿者:ぷち  投稿日: 2月 1日(土)02時26分14秒

訂正:死体は本当は94体のはずなのに、95体あったそうです。ビデオを見て初めて気づきました。

謨磐堂さま及び在英の方々;あのガウン、終了式の後には何に使うんですか?

どうせコスプレするなら俺は(以下自粛


いろいろ 投稿者:愚妻  投稿日: 1月31日(金)21時04分27秒

朝起きたら、窓の外の景色が真っ白でした。明るくて気分爽快です。夕べは
酔っぱらいが外で雪合戦をしていてなかなか賑やかでした。

電車の事故は、何故か該当記事が見つからないんですが、その後どうなったん
でしょう?玲子さん、地下鉄事故は大学の最寄り駅だったんですか。ご愁傷様
です。モーター落下、ってなんでしょうね。まだテロの方が理解しやすいです
ね。自分の最大の敵は自分、ってやつでしょうか。

酒呑猫さん、初めまして。お目にかかったことはないですが、お話は色々と
伺っております。同じ研究室の大先輩になるのです。どうぞ今後とも宜敷御願
いいたします。カクテルについての御本も拝見いたしました。綺麗な本で、楽
しいです。私は下戸の中の下戸なのが、残念でなりません。

東大博士号授与式でのガウン着用の話、唖然としました。それは東大だけです
か?国立全般?着用する、しないの自由は認められているのでしょうか?何が
背景にあるのか知りませんが、情けない話です。ガウンの着用がいかなる(日
本とは無縁な)社会制度であるのか、という議論なしに採用したとしたらとて
も恥ずかしいし、これを踏まえた上での採用だとしたら、大学としての見識を
疑います。留学生が希望するなら勝手に写真屋でやってくれ、と言えば済むこ
とではないでしょうか。

まことさん、
> 古代日本と古代ギリシャの「死の世界観」に相通じるものがあるのでしょうか?
どうなんでしょう?(>皆様) 確かにオルフェウスの話とイザナミの話は共
通点が多いですよね。黄泉の国に行くのに川(あるいは湖)を渡る、というの
も三途の川との類似が指摘されるところです。「黄泉下り」ものとしては、他
にデメテルとペルセポネの母娘や、既出のオデュッセウスがいます。死後の世
界について、恐らくギリシャ語で書かれた最も有名なのは『オデュッセイア』
11巻のアキレウスの「死者の王になるよりも、生きて貧しい暮らしをしている
方がいい」という黄泉の国での科白です。なかなか素敵な科白なんですが、黄
泉の国では、犠牲獣の血をお皿に入れておくと死者が集まってきて、猫みたい
にをピチャピチャ舐めるんです。これは誰だって鬱になるのでは。会いたい死
人がいたら、こうやって呼び寄せます。想像力の限界を感じる瞬間です。

そういえば棺桶のことをsarco-phagusと言いますね。ギリシャ語で「肉・食」
の意です。辞書で調べた限りでは、アリストテレスなんかだと「肉食」の意で
しか使われないようなのですが、ローマ時代に入ると「石棺」の意が出てくる
ようです。死体を腐敗させるのに適した材料で作られたから、ということのよ
うですが、ややドキッとする命名ではあります。現代ギリシャ作家にヨルゴ
ス・ヨアンヌウという人がいて、Sarcophagosという題の短編があります。テ
サロニキの汚い路地裏に放置されたローマ時代の石棺が立ち小便に使われたり、
中で若い男女が乳繰り合っていたりする、という風情ある作品です。なるほど
今でも確かに「死は決して忌むべきものではなく、身近なもの、生活の一部で
すらあ」るのかも、と思いました。


電車 投稿者:玲子@倫敦  投稿日: 1月31日(金)10時36分23秒

こんにちは、謨磐堂さん、始めまして。

ウォータールーで電車ひっくり返ったんですか?
先週末、倫敦では地下鉄でいまだかつてない
事故があったばかりなのに。
地下鉄の事故は確か車両からモーターが落下したことが原因だったと思います。
初めはテロかと思われていたらしいけれど、どうやらそうでもない様子。
お願い、しっかりしてー。学校の最寄駅なので、みんな困っているんです。


ガウン……ねぇ。 投稿者:謨磐堂  投稿日: 1月31日(金)09時48分35秒

 いまラジオを聴いていたら、倫敦のウォータールー駅で電車がひっくり返ったとか……。
英国の鉄道は災難続きですね……。

 さて、↓でぶちさんが言及されておられます博士号取得者ガウン着用の話題ですが……
いきなり今年からやることになった企画で、私は迷惑千万を蒙っているところであります。

 事の発端はたしか去年の11月頃。私の所属する研究科では大学院掛から「今度の授与
式から式服を着用するプランがあるが、着用を希望するか? その場合、購入とレンタル
どちらが良いか」というアンケートがありました。私は思わず「え〜マジかよ。こんな恥
ずかしいものを……」と思いましたが、「んじゃ〜、他の皆さんが希望されるなら私も…
…」とお茶を濁したのでした。
 そしたら先週末、式服購入・レンタルの案内が本当に来てしまいました。しかしそれを
見てビックリ! 何と、MサイズとLサイズ (身長170cm用) しかないのです! 身
長181cmの私は「おいおい……」と思って、レンタル申し込みの際に「大男でも着用
できるんでせうかねぇ?」と愚痴ってみたのですが、すると、試着の機会を設けてくれる
とのこと。そこでツンツルテンであることが判明した場合は予約を取り消すことができる
ようです。これであとは、私がガウンを着ないでいることの責任を、大きなサイズを揃え
なかった生協に押しつけるだけ……。(という展開になればめでたしめでたし、なのです
けど……)

 いずれにせよ、こんな貴族趣味的 (?) コスプレをして一体何が楽しいのかと思わずに
はいられないのですが、その背景にはどうやら外国人留学生からの強い要望があるようで
す (とある助教授から伺った話)。彼らは折角日本に留学して博士号を取得する以上、バッ
チリ式服を決め込んでいるシーンを写真におさめて家族や知人たちに見せびらかせたいと
思っているとか……。
 といふわけで、これから博士号取得を目指しておられる西洋史学科の皆様も、このグロ
ーバル化 (?) がもたらした副産物を覚悟されますよう……。


一筆箋/御歸り/御問合

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