自平成十四年五月二十四日第四百八十一号
至平成十四年六月十一日第五百十号
僕の友人が、見つけたHPです。
朝の六時前です。少時仕事の手を休めています。白いコップに注い
だ紅茶が、スタンドの明かりでルビー色に透き通っています。ウー
ルワーズ商店の安物磁器も、こうして見るとなかなか乙なもの。染
め付けもどきの印刷梅花(桜花?)も決まっています。北京で啜っ
た飲むヨーグルトの瓶を思わせる肌合いです。
#この瓶を一本、当地に携えて来ました。ペン立てに使っています。
紅茶で嗽とやらが、もてはやされたことがありました。風邪でやら
れた喉に効いてくれるでしょうか。お久しぶりの謨磐堂先生にも好
評の哈密瓜があったら言うことなしなんですが、これは詮無き望み
です。zhu2nei4さん御教示の白蘭瓜はちょっと喉にイガイガ来そう
ですね。
代わりに桜桃を摘んでいます。紅茶をも欺くルビー色で、これがま
たおいしい。本朝では高価な果物ですが、当地では我々にも手が届
きます。
そういえば今日のお昼は「フィッシュ・アンド・チップス」。ソワ
ソワしてきたのはそのせいか、それとも徹夜で参っているからでしょ
うか。エフェス・ビールを引っかけながら、これをつついたら美味
しいでしょうね、謨磐堂先生。でも胃によくないかな。そんなもの
に限って美味く感じるのだから、厄介なものです。
#日本でエフェスビールは呑めますか。
風邪の治ったぷちさん、御忙しそうです。「正露丸」とハンドル、
本文の取り合わせが絶妙だ、と思う不佞は、やはり疲れているので
しょうか。いえね、エラスムス式に「ウィーキムス」なら問題はな
いのですが、イタリア式でやるとちょっと……。それで、正露丸の
出番かな、と。で、これはサッカーの話でいいんですよね? 全然
フォローしていないものですから(苦笑)。
食べ物の話ばかりしたり、おかしな事を言い出したり、やはり寝不
足でソワソワしているようですな。
ナンシー関、謀略、金、沢東、ヒーロー、針鼠さん……、色々なキー
ワードが頭の中を漂っています。田中宇さんのメルマガでも読んで、
もう少しシーアイエーの勉強をしてから、出直したいと思います。
その前に、取り敢えず仕事に戻らねば。
#zhu2nei4さん、ディスク幾らぐらいなんですか。
ナンシー関はアメリカのスパイである可能性はないでしょうか。
名前からして怪しい。
キムタクはHEROまでで、それから後はかなりまずい。
気がついてみれば、スマップの中で一番キャラの立って
いないのはこの人だってことになっているのである。
もとより今のスマップには、群を抜いて目立っていると
いう、往時のキムタクの占めていたポジションを占めて
いるような(また占められるような)人はいないのでは
あるが、それでも全員集合するときには、当面香取慎吾が
中心的なポジションを占めるということになっている
ようである(例:全日空のコマーシャル)。ナンシー関は
もう半年以上前にキムタク凋落の兆を見出し、いずれ田原
俊彦同様に「キムタクは嫌だ」という積極的なブームが
起きるであろうと書いた。いまのところそうした積極的
な反キムタク・ブームにまで事態が至っているようには
見えないが、彼女の予言と現実の時差が大きければ大きい
ほど、くるときには一挙的な崩落がくることも十分にあり
うることである。
下の投稿者は陰謀説さんではなく、愚妻さんです。
題名が「陰謀説」です。
「キムタク」という人が相変わらず人気のようですが、これは日本でも革命指導者を養成しようという、朝鮮民主主義人民共和国と中華人民共和国との共謀ではないかと主張している人がいます。「金沢東」って。
ぷちさん腹痛が治ったんですか?おめでとうございました。
VICIMUS!!!
別に日曜日だから休まねば、とは思いませんが、締切に追われて徹
夜せな、とも思いません。侘びしい限りです。ああ、もう朝だ……。
レスの前にちょっとぼやき。また後ほど。
書き方がまずくて誤解を与えてしまいましたが、白蘭瓜はドリアンとは全然関係あり
ません。西域の市場で見掛ける、ハンドボールほどの大きさの、丸くて表皮も果肉も
白い、やっぱり瓜の仲間です。哈密瓜のシャクシャクした食感とは違い、日本のマス
クメロンに近かったような。あ、でもあの瓜はほんとに白蘭瓜という品種名なのかな。
哈密瓜とは明らかに別物ですが、何しろ西域は、私もとんと御無沙汰なもので、他の
ものと混同してるのかも。
ドリアンと混同したのは日本での哈密瓜目撃の記憶ですが、さてどっちだったか。東
南アジアブームのおかげか、ドリアンを扱っているところは哈密瓜よりも多いような
気もしますけど。
昨夏に換装した20ギガバイトのハードディスクが、気が付いたら半値になってしまっ
て、ちょっと悲しい。
この掲示板ではだいぶご無沙汰しております。いつあるか分からない博論口頭試問待ちで、特にドーンと長旅などの予定を入れるわけにも行かず、何やら赤紙か十三階段への告知を待つような気分であります。昨晩は無事「英倫×阿根廷」の因縁対決が終わり、今頃剣橋のパブあたりでも温いビールを片手にしたナイスガイたちが熱狂しているのでせうか。
さて、鷺江人さん (元気かい?) と同様、私もハミウリにつられてゴニョゴニョ書いてみたいと思います。
(1) 炎天下の哈密の街を、ウイグル絨毯の鮮やかな色彩に目を奪われながらフラフラと歩き、シシカバブとトマト風味うどん (ラグマン) を激賞し、シメはハミウリで満悦にひたったのもかれこれ6年前の話になってしまいました。あ〜行きて〜。
(2) しかし、哈密では一旦死にかけた冷や汗ものの記憶もあります。夕方8時頃 (彼の地は北京よりもだいぶ西なので、夏は日が暮れるのが8〜9時頃になります) 自由市場の屋台街に出かけてうどんを食っていたら、地元の交通警察の兄ちゃん (漢人) が「飲もうぜ」と声をかけてきて、そのままビールをあおってドンチャン騒ぎをしてしまいました。(若かった……) 深夜、すっかりヘロヘロに酔って、「今日は楽しかったっす。うぃ〜」と礼を述べて宿まで帰ろうとすると「バイクで送ってやるぜ」と宣うではありませんか……。哈密の街を時速100km以上のカミカゼ運転で突っ走るバイクはそれはそれは恐ろしく、よくまあ死ななかったと思うと同時に、交通警察がこーいうことを平気でするこの国の表裏の激しさを垣間見た気がしました (笑)。
翌日、その自由市場をウロウロしていたら、今度はウイグル人のおっちゃん連中が「今夜はオレたちと飲まないか?」と声をかけてきて、思わず苦笑 (ちなみに、トルコ語圏ではムスリムの禁酒は実質的に無いに等しいです。元夏迪先生とイスタンブルで飲んだエフェス・ビールの美味さも思い出されます)。その日の夜にトルファンへ移動するつもりだったので断りましたが、もしそのまま飲んでいたらどんな展開があったことやら……。
(3) フルーツなら何でもミキサーで砕いて牛乳と混ぜることが大好きな台湾には「哈密瓜牛乳」という飲み物がありますが、台湾名物・パパイヤミルク (木瓜牛乳) と比べますと、ハミウリは淡白な分だけイマイチ味のインパクトが弱いと思いました。
ちなみに、これまた台湾で飲める「西瓜牛乳」は、はっきり言って不味いです。美食の台湾にあって、これは一体どうしたことか……と思うほどのレベル。これに比べればフィッシュ・アンド・チップスの方がまだましと断言できます。(苦笑)
>新免教授「中央アジア史概説」
あれっ、そんな講義名だったっけ……。てっきり「ウイグル語」だと信じて疑っておりませんでした。
いずれにせよ、教師&講師1〜2人に、学生はたったの2人 (しかも東洋史専攻ではない) という、あんな贅沢な授業はその後未経験で、実に懐かしいものです。まずはトフティ氏の嫌疑が晴れることを祈らずにはいられません。
お判りでしょうか。お判りですね。
×( )→○( )
埋めてみて下さい。正解者には漏れなく
×surversive→○subversive
不佞が subversive?
夫婦で夜鍋です。四時を回りました。空が白み始めています。
書き物をしています。その中である学者の説を批判する必要があり、
その人物が使った史料を点検しながら筆を進めています。
最初は、枠組みがおかしい、反証が可能だ、といった程度で済むだ
ろうと思っていました。そのつもりで字数配分も思い描いておりま
した。が……ハリス先生、コジツケは行けませんよ。ちゃんとギリ
シア語を読んで下さいな。
というわけで、史料の解釈にまで紙幅を割かねばならぬような雲行
きです。論文の副題がA Surbersive Essay。このSubersive 、どういう
つもりで付けたんでしょうか。悪い冗談にしか思えません……。
哈密瓜、不佞独りではなくてよかった(笑)。てっちゃんにはぜひ
召し上がって戴きたいものです。日本でも目撃されているようです
から、近々その機会があるかも知れません。でも、できれば甘粛、
新疆でかぶりつくと最高ですよ。炎天下、乾いた大地で喉を潤す瓜
の味は格別です。最近は中国旅行も便利になったようですし。
#ただ、以前ほど安価に上げることは出来なくなったかも知れませ
#ん。詳しい方のフォローに俟ちたいと思います。
久々のzhu2nei4さん、ようお越し。御元気ですか。白蘭瓜というの
もあるのですか。どこの産でしょう。他事ながら、不佞、ドリアン
は駄目なのです。ちょっとえづいてしまうので……。とすると、そ
の白蘭瓜も駄目、なのかな。
昔書いた文章の中に、こんな件がありました。
哈密と言えば哈密瓜である。こちらの方は可成の馴染みだ。清の乾
隆年間、紀曉嵐はその著『閲微草堂筆記』に、
西域之果。蒲桃莫盛于土魯番。瓜莫盛于哈密。
西域の果は、ぶだうはトルファンより盛んなるは莫(な)く、
瓜は哈密より盛んなる莫し。
書き留めている。この瓜、古くは甘瓜や甜瓜、穹窿などと呼ばれ、
吐魯番のアスターナ古墳群からは、半分に縮んだ哈密瓜やその皮が
発見されているとか。それが晉代の墓から出土したというから、千
六百年の昔、既に当時の食卓を飾っていたという事になる。とにか
く旨いのだ。もっとも、平成六年七月二十四日二十一時四十分、カ
ラオケで《走下神壇的毛澤東》を熱唱するとんでもないダミ声響く
夜の臨夏に、わんさと出盛った屋台で購い、道端にウ○コ座りしつ
つかぶりついた奴は、未だ熟しておらず、さほどの甜みもなかった。
[引用に際し一部修正]
関心のある方はこちらも御覧下さい。甘粛省の街、武威(ぶい、ウー
ウェイ)に立ち寄った際の思い出です。彼の地の雰囲気が御判り戴
けるかも知れません。
最後に愚妻さん。
scripsisti> わざわざ献立表をチェックして、これが出る日は朝から
scripsisti> ソワソワしています。
仰る通りかも知れません(苦笑)。
scripsisti> 誓って言いますが、そこまで旨いものでもありません。
仰る通りだと思います。他が、マズイ。
ご無沙汰です、というか、ほとんど初めまして、ですが。
哈密瓜いいな、食べたいな。でも彼地でよく口にしたのは、丸くて白い白蘭瓜でした。
東京のどこかで見たような覚えがあるのですが、ドリアンと混同してるのかも。
「フィッシュ・アンド・チップス」というイギリスが誇る料理があります。要は白身魚と馬鈴薯のフライで、特に珍しいものではありません。酢かレモンとタルタルソースでいただきます。失敗のしようがない料理なので、寮の食堂で出ると必ず選びます。渡英当初、元夏迪さんは、これを食べる私を白い目で見ていました。そんなギトギトした不味そうなものをどうして食べられるのか、と余計なことまで言いました。
一年半たった今では、週に一度か二度だけ出るフィッシュ・アンド・チップスが、彼の生き甲斐となりました。わざわざ献立表をチェックして、これが出る日は朝からソワソワしています。誓って言いますが、そこまで旨いものでもありません。おわり。
食べたいよ〜
うーん、どうも一回で用が足りませんねー。
scripsi> 「新疆ウイグル自治区を写真で紹介」という頁には、愉し
scripsi> い写真が盛り沢山です。
と書きましたが、これでは新免教授の頁に見えますね。違います。
別の方が運営なさっているサイトの名前です。
蛇足。新免教授には、以前「中央アジア史概説」という講義で御世
話になったことがあります。受講者が二人しかいなかったので、な
ぜかウイグル語を教授して下さいました。
講師にウイグル人のマリエ先生をお招き下さった上、当時学生だっ
たトホティさんという方にもお引き合わせ戴きました。そのトホテ
ィさんが「東トルキスタン共和国」絡みで、烏魯木齊(ウルムチ)
で検挙、収監されたのを、つい最近の新聞で知りました。
言葉の方はあらかた忘れてしまいましたが、御縁のあった方の身の
上が案じられる昨今です。ではまた。Khosh!
ぷちさん。風邪、よかったですね。時節柄御加餐を。
一人で尾を引いていますが、哈密瓜です。本朝での目撃情報を蒐集
した網頁を発見しました。「ハミウリを食べる会」という名前で検
索できると思います。是が非でも哈密瓜を食べるんだ!という方は、
これを頼りに捜索してみては如何でしょうか。
#なお、新疆ウイグル自治区に関する情報や鏈接は、中央大学で教
#鞭を執る新免康さんの網頁が便利です。氏の御名前で検索できま
#す。「新疆ウイグル自治区を写真で紹介」という頁には、愉しい
#写真が盛り沢山です。
ついでに事務連絡を。気が付いた方もいらっしゃるとは思いますが、
皆さん御覧の「一筆箋」、番地が変更されています(不佞は最近知
りました)。旧番地から自動転送されているようです。もしこの頁
にブックマークを付けていらっしゃる場合には、今の番地に修正な
さると、多少は接続速度が上がるかも知れません。
チャールズ皇太子に会ってきました。
彼は雨男でした。
おわり。
うふふ。ありがと。風邪治ったよん。いじょ。
×「吐魯番(トルパン)で哈密瓜」
→○「哈密(クムル)で哈密瓜」
どうもミスが目立ちます。そう言えば「日原、橋本(下)」でも、
「上本町(うえほまち)」とありますが「上本町(うえほんまち)」
の譌です。
吐魯番で夏バテ……。しんどそうですね。不佞が二度目に訪れた時、
日中気温が摂氏五十度を記録したことを思い出しましたよ。
鷺江人先生、ようお越し。美味いですよね、哈密瓜。吐魯番(トル
パン)で哈密瓜ですか。たまりませんね。そう言えば、不佞が初め
てこの瓜に出会ったのはどこだっただろう……。宝鶏(ほうけい、
パオチー)の駅のスタンド(「小売部」!)だったっけ。日本に記
録をおいてきたので、一寸思い出すことが出来ませんが。
不佞も人民共和国から遠ざかって八年、そろそろ西域が恋しくなっ
ていますが、再訪の目途は立ちません。「心の中の甘肅は」という
心持ちがよく判ります。
古代史の調査って、何をやるのでしょうか。居延漢簡か何かですか。
和歌山市ではなにか美味しいものを召し上がりましたか。不佞、実
は同市に不案内でして。お薦めのお店などがあったら、お教え下さ
い。某合宿が高野山というのも、羨ましい限りです。胡麻豆腐は是
非御賞味下さい。はぁ〜、しかし羨ましい。
ご無沙汰しております。哈密瓜にひかれて出て参りました。
哈密瓜は、哈密で食べたのが最後です。トルファンで夏バテしていたせいもあって、非常に美味に感じました。
臨夏では三宝台を買うことに気を取られ、哈密瓜には気がまわりせんでした。
心の中の甘粛は随分遠くなってしまいましたが、近くにおられる古代史関係の方々は夏に甘粛に調査に行くらしく、羨ましい限りです。
蛇足ですが、先日、某学会で和歌山市に行きました。夏には某合宿も高野山であり、今年は和歌山づくしです。
哈密のウイグル語名は「グルジャ」ではありません。「クムル」で
す。「グルジャ」は新疆の西北の中心地、伊寧(イーニン)の事で
す。
最近この方面には御無沙汰なので、しょーもない間違いをしてしま
いました。
メロンのような、それでいてもう少し味が淡泊な哈密瓜という瓜が
あります。「ハミうり」と読みます。中国新疆ウイグル自治区のオ
アシス、哈密(ウイグル語では「グルジャ」と称します)という街
が原産の瓜です。
日本には入ってきてはおりませんので、中国大陸に行かねば味わう
ことが出来ません。それもあってか、余計に美味しかったような気
がします。
最後に食べたのはもう数年前、中国寧夏回族自治州の州治、臨夏で
のことでした。そろそろ食べたくなって来ています。
> ところでイギリスではいちいち原産地を気にするのが流儀なのですね。
日本でもいつも確認してましたが、これは日本もイギリスも輸入物が多いからでしょうか。でも国内産でも産地をチェックする人は多いのでは?私は北海道産贔屓です。いずれにせよ、イギリスの食糧事情はここ十年で随分様変わりしたらしく、以前イギリスに滞在していた人に「青い野菜はブロッコリーしかないわよ」と脅されたものの、実際に来てみると、東京で使っていたスーパーより野菜はずっと種類が豊富。ただし根菜類とブロッコリーを除けばほとんど輸入物で、主にスペイン産かオランダ産です。イギリス産と言えば、牛肉には「ブリティッシュ・ビーフ」と誇らしげな表示があって、渡英当時は狼狽えましたが、今にして思えば、日本の牛肉より安全だったのかもしれません。
そういえば、冷凍庫に常備してある冷凍レンコンは、北朝鮮産です。日本向けにパックしたものを華僑の食料品店が仕入れているのです。お正月には大活躍です。先日、こちらは買いませんでしたが、モロッコ製のパンツが売ってました。
いちごはよく食べています。僕はその時期に一番安いくだものを食べるようにしていますが、今はいちごが一番安くて、一キロあたり150円くらいかな。もうそろそろメロンが安くなってきます。夏はメロンです。
ところでイギリスではいちいち原産地を気にするのが流儀なのですね。小さな発見でした。
ここではほとんどのものがスペイン産なのでそんなことはあまり気にしていませんでしたが、そういえばポルトガル産のものはよく見かけます。牛乳とか。このまわりでスペインより物価が安いのはポルトガルくらいだからでしょう。
あと、冷凍フライドポテトのでかい袋(たぶん二キロくらいある)が70円くらいで売っていたので、いくらスペインでもそんなに安かろうはずがあるまいと思って袋の記載を読んでみると、ロシア産でした。ロシアで冷凍してから船かトラックで運ばれてきたのでしょうね。
上網ですか。長いことしていませんね。再セットアップをしたら、設定の仕方がわからなくなってしまいました。ハッハッハッハ・・・
ヒロチさん、お久し振りです。
scripsisti> 以上、ワインを飲みながら書きました。
……そんな感じですね(笑)。全てが計画倒れに終わったようです
が、文献の蒐集だけは予定通りに進めて下さいよ。しかし「写真を
バシバシ撮りまくっていました」とはヒロチさんらしいですね(笑)。
どこか網上で公開なさったりはしないのですか。
まことさん、凄いですね、人形劇の鬼ですね。何故? ドリフ西遊
記に「プリンセス・プリンプリン(笑)」や「イジィ・トルンカ」
は猫に小判ですよ。道成寺も行ったことがありません(てっちゃん
ならあるかなぁ)。紀三井寺すら、先日ようやく遙拝した有様です。
……て、話がずれていますけれど、何はともあれ、苦境を一つ乗り
切れたのは、よかったですね。時に仏蘭西で明暦の大火の口頭試問
があるのですか。じゃあ、不佞も魏志倭人伝の暗誦でもしないと行
けませんかね……。
愚妻さん、既に個としての自我が消滅しているのかも知れません。
だから一蓮托生とはいえ、実際には一つの生命体なのかも。そんな
事を言ったら「地球生命体ガイア」とか何とか、また『ムー』です
が、『ムー』関係はやっぱり針鼠さんですか。
『スターウォーズ』と『スパイダーマン』とは、また別稿に譲りま
しょう。「新人氏はちゃんと昔われわれの」という件は、先日の宮
崎駿氏の発言(最近はみんなパクリばっかりだ!)と較べると、味
わい深い言葉です。お休みなさい。
原風景といえば、橋本もその一部です。再開発との触れ込みで橋本
川辺りの古い街並みが消滅しつつあります。しかも「しつつある」
状態で放置され、肝腎の再開発が進んでいる気配はありません。毀っ
たものは取り返しがつきませんし、何とも哀しい光景です。
scripsisti> 南海高野線の橋本駅ですね。
scripsisti> 背景は子供の頃から全然変わらない。
ええ、幸い駅は健在ですね。駅舎の壁が桃色になったり、幸福銀行
の看板が「関西さわやか銀行」に掛け替えられたり、「上本町(う
えほまち)」の牌楼(と言うのでしょうか)が知らぬ間になくなっ
ていたりと、マイナーチェンジを施しながらではありますけれども。
あ、「三角亭」の隣が携帯電話屋さんになっていましたね。
橋本は祖父母の住んだ街です。蚤世した祖父が橋本にいる姿を思い
出すことは出来ませんが、祖母の方は、汽車で帰省する旅に、橋本
駅の改札口まで迎えに来て呉れたのを、今でもはっきりと憶えてい
ます。当時の改札は木の手すりを組み合わせたものでした。係員が
立つ場所がコンクリートで低く盛り上げられ、随分と複雑な形をし
ていたように思います。その脇で駅員と談笑する祖母は、不佞ども
の姿を見付けると、大喜びで手を振っておりました。今では売店と
便所になっている空間は、当時鉄道貨物(チッキ)窓口となってい
て、東帰する際には、何度かそこで土産を送り出したような気がし
ます。
橋本は祖母が待つだけではなく、紀州山地が出迎えてくれる場所で
もありました。関東の山々とは一味の違う、明るく低い山並みは、
幼心にも「和歌山に帰ってきた」と思わせる懐かしさが漂っており
ました。その心持ちは、爾後二十数年、渝ることがありません。自
身は生まれも育ちも武州だというのを思う時、洵に不思議な気がし
ます。
今回和歌山各地で撮影したデジタル写真には、そんなノスタルジー
は籠もっていないとは思いますが(通りすがりに闇雲にシャッター
を切っただけですので)、ファインダーを覗く視線のどこかに、不
佞の「故郷」が紛れ込んでいるかも知れませんね。ともあれ、上網
を御愉しみに。
嗚呼、レスの付けようがない書き込みになってしまった……。しか
もかなりローカルねた。