一筆箋舊帙    一筆箋/御歸り/御問合

平成二十年九月二十二日第三千百五十一号
平成二十年十月十九日第三千百八十号

どういたしまして 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年10月19日(日)22時54分14秒
のっぼさん、よう御越し。

二つの極端な例を鏈接しておいたわけですが、一方は基本的に母語
のギリシア語に英訳を添えた二言語網站を構築しながら、問題の頁
だけは英訳のみとせざるを得ず、他方は、学術論文というには下品
で稚拙なアジ文を書いてしまうという事情に、発音問題をめぐるギ
リシア語圏の対応が集約されていると思うのです。

#不佞はいずれの頁もウンザリしてしまって、途中からいい加減に
#しか読めなくなりました。

実際に音韻が如何にして遷移していったのかは、不佞も詳しくは知
りません。だからという訳ではありませんけれども、相当に面倒な
問題なのではと感じています。

ギリシア人としては、他国人から古代の発音がどうこうなどと言わ
れて悔しいのかも知れませんが、ならばそれに対抗できるだけの公
正な行論を展開して貰いたいものですし、古代語が現代語と違う発
音であったことに浪漫を感じるくらいの度量は身につけて欲しいと、
常々念願しています。

なお、現代ギリシア語のntmp等の扱いについては、

Mackridge, P., The Modern Greek Language, Oxford: Clarendon
Press, 1985, 23―25


に概観されています。

ありがとうございました 投稿者:のっぼ 投稿日:2008年10月19日(日)18時13分24秒
そうですね。そちらの方向性も考えてはみたのですが。。
そうするとギリシア語のBがV音に変化した(両者の区
別があり、もともとはVでなかったと仮定してのことで
すが)、その理由は分からなくなってしまいますよね
(しかも現代語ではB音を出す文字がなく、ミュー+パイ
で代用している感じですよね。これまた不思議な気持ち
がしています)。
リンクされているページの説明もちょっと腑に落ちま
せんが(ざっと眺めただけですので)、この辺りを読
む限り、少なくとも「スラヴから」とか言い出すのは、
ひどく筋違いだったようですね。
ご教示ありがとうございました。

羊はヴィヴィ 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年10月19日(日)14時05分16秒
のっぼさん、よう御越し。またギリシア人が聞きつけたら、顔を真っ
赤にして必死に反論するようなことを(笑)。間違ってもファルメ
ライア
なぞの名前を出しては行けませんよ。

お尋ねの件は、多分、スラブが同時代のギリシア語の発音を写した
のだと思いますよ。スラブに強く影響力を持った時代のギリシア語
話者が、ベータをヴィタに発音していたのだということです。スラ
ブ語の資料は極めて新しいものしかありませんが(といっても、か
なり古いわけですが)、遙かに古く遡及し得るギリシア語資料の中
でヴィタ化が確認できるようですから、そう見ておくのが妥当でしょ
う。現代ギリシア人の必死な姿勢を嗤うギリシア人も、荷担する
リシア人
も、耶蘇紀元に入ってから追々とヴィタ化が見られるよう
になるのではないかと言っていますしね。

しかしまあ、エラスムス方式を腐す立場の議論というのは、何だか
偏っている上に、議論の立て方が頓珍漢ですよね。エラスムス方式
が古典期の発音を正確に復元している訳ではないことぐらい、エラ
スムス式を踏襲する者だって弁えているのに。エラスムス式にせよ、
愛国主義式にせよ、どちらも古代の発音を国際音標文字レベルで復
元することなんて出来っこない事実の、後半部だけを敢えて無視す
るのですから(嗤)。

欲をかくから 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年10月19日(日)13時42分0秒
円高だから、などとせこいことを考えて、前々から欲しかったホワ
イトの『メタヒストリ』の古本を十米弗で購入したバチが当たった
のか、中野区にお住まいの方が発注した畑違いの書籍まで届いてし
まった。何れも不佞宛の小包で、ハテこの本屋に二冊も頼んだかい
なと開封したら、この始末。開けちゃったよどうすんだよと憤慨し
つつ、オハイオ州にある発送元の書店に一札書き送って始末方を照
会。げんなり。

現代ギリシア語 投稿者:のっぼ 投稿日:2008年10月19日(日)06時36分36秒
ふと思ったのですが、現代ギリシア語でベータ(ヴィータ)の発音を、
西欧圏でいうところのBではなくVで発音するのは、やはりスラヴ語の
影響でしょうか。例えば、カンディンスキーなどの名前Vassilyは、ギ
リシア語のbasileusに由来しているのですよね、きっと?そうだとす
ると、中世初期(古代末期)のスラヴ人流入、正教会などの影響とい
うことなのでしょうか。普段、ビザンツ=東「ローマ」の影響やトルコ
の影響くらいしか思いつかないので、はたと気がついたと言うか、お
や?と思った次第でして。。。

スクラップ 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年10月19日(日)02時20分54秒
見入ってしまう

どなたかが「賣りもの」の鍵語で弊站に辿り着いたことを知り、自
分でグーグルの検索結果を覗いてみたら。

序でに掃苔 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年10月17日(金)16時01分24秒
給油の序でに買い物と掃苔に出た。序でと言うには少々遠い寺まで、
人出の少ない正午過ぎの新小金井街道から新青梅街道、早稲田通り
へと辿って、片道十九粁の墓参り。

用事もなく、珍しく静かな金曜の午前中に歩を散じ、そろそろ師匠
の墓にでも行くかと閃いたきっかけは判らないが、昼支度を済ませ
て出発しようかという段になり、明日が命日であったことに思い至っ
た。

菩提寺は日蓮宗である。この宗派の作法は知らないから、古い境内
の一角で高野山真言宗の在家勤行を一通り済ませる。同年配の御婦
人が独り、裏手の奥津城にお詣りに来ている。江戸の墓を何基も何
基も掃除して、花と線香で荘厳している。この時間帯だと流石に詣
る人も他になく、庭師がせっせと立ち働くばかりだ。

掃苔を終え、買い物をし、自宅から三百五十米のスタンドで給油を
してみると、今回は少し燃費効率が悪かった。

やれやれ 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年10月17日(金)08時25分40秒
学士会のサーバが落ちているようだ。従って、不佞宛のメイルも全
く届かない。静かな朝と言えば、結構に聞こえるが……。

私の写真抄 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年10月16日(木)22時24分38秒
こうしたブログがなくなるのは惜しい。閉鎖してから知ったのも、
何かの巡り合わせか。

欧文脈 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年10月14日(火)09時42分46秒
滑稽な例としては、一時期の吉川幸次郎がある。しかも啓蒙書。

秘訣 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年10月14日(火)09時38分11秒
翻訳に従事して得た内証がある。欧語を邦語に移す場合、名詞は動
詞句に、動詞句は名詞に改めると、読みやすくなることである(邦
文から欧文に移す場合は、この限りではない)。

一般の翻訳はこれを忌むようだが、欧文脈の邦語が読みづらいのは、
多分にここに起因する。学力未熟な者ほど「元の構文を極力活かす」
ことに拘るのも困りものだ。国語の翻訳文体化(=奇態化)の因で
あり、癌である。「元の構文から逃げられない」のが真相だろう。
立派な翻訳は、読む人が読めば、元の構文が透けて見える。全くの
国文脈に直してあっても、なお然りである。手許の翻訳を繙き、係
助詞「は」を活用しているか否かを検[あらた]めてみると、その
あたりの事情の一端が見易くなる筈だ。

また、字引に載っている字義を憶え、自家薬籠中のものにすること
は大切なこと乍ら、運用の現場では、そんなものは忘れ、自分の脳
味噌から言葉を絞り出すことである。自分の語彙で著者の思考をな
ぞり、綴り直すことである。これはなかなか容易な業ではない。死
ぬ迄修行である。

緒形拳 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年10月11日(土)00時06分21秒
西友小手指店駐車場に設置された夜の野外映画スクリーンで『火宅
の人』濡れ場を熱演する姿が、通りすがりの中学生の目を釘付けに
した緒形と出会ってから、五日の急逝に至るまで、随分と楽しませ
て貰った。

NHK特集『大黄河』のナレーションの泥臭さは、先行した『シルク
ロード
』の石坂浩二にはない味があり、その味は『プラネットアー
』の「バイソンだ」の名文句(と不佞が勝手に認定したセリフ)
にまで健在であったし、大河『毛利元就』の尼子、『風林火山』の
宇佐美を、いずれも男臭い武将として演じながら、そこに全く違う
人格を体現して見せたのは、見事の一語に尽きた。

昨十日、NHK綜合テレビジョンで放映した『帽子』は、その緒形が
老人の心の襞を淡々と、着実に形にして見せた佳品である。形にし
て見せたというよりも、かすかにそれと匂う演技と言うべきか。広
島を愛して已まないカメラワークを存分に助けた演技であった。名
優を亡くしたことを、今更ながらに思い知る。

この俳優を見る度に親父を想う。親父は親父で己の親父を想うらし
い。

火曜は曇、木曜は秋高 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年10月 9日(木)23時37分2秒
待ちに待った「ねんきん特別便」が来た。次は年金の受給を待つの
だ。

OCD略記法? 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年10月 7日(火)23時24分12秒
先に鏈接した頁には、少し独自の色を付けてあるようだ。例えば、
伝アリストテレース『アテーナイ人の国制』を

Ath. pol

と約めているが、OCDでは

Arist. [Ath. Pol.]

という、少々変わった略語を用いている。件の頁を使う際には、注
意せねばならない。

懐メロを聴きながら 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年10月 7日(火)23時18分39秒
色々な人がいる。

昨今は男も香水を(しかも大量に)振り掛けて往来を闊歩するから、
一昔前よりも街は汚臭に満ちている。牛めしやに入って昼支度をし
ていると、隣に坐ったうらなりのオシャレ君がプンプンいわせてい
る。途端に味が判らなくなって、オシャレ君に背を向け、丼に集中
する。顔を向けた先には、少し年下と覚しき男が、背を丸めて元気
いっぱいに書き込んでいる。クチャクチャクチャクチャ咀嚼する風
情にも少しばかり辟易して、早々に立ち去る。

駒場では学期が始まったらしく、学生で溢れかえっている。建物を
ぶち抜く通路は、全て穴クワイヤ(©元夏迪)に占領されている。
男女四、五人が団子になってハモリングして、反響の中で悦に浸る
という、昨今流行の娯楽だ。通路の数は少ないので、穴クワイヤ同
士の場所取りは熾烈なものだろう。このところは本郷にまで蔓延り
つつあるようだ。

ラジカセ(?)で大音量の騒音を流しながら、或いは耳から紐を垂
らしつつ、硝子の前で身を捩り恍惚の表情を浮かべる若者の姿も増
えた。折角だからすぐ傍に立ち止まり、その踊る様、その表情をま
じまじと観察していると、段々居心地が悪くなるようだ。この点は
穴クワイヤの諸君も同断である。そうか、これは支那の便所と同じ
だ、見て見ぬふりが必要なのか。そこで謳っていたり、身をくねら
せていても、人に聴かせたり、見せたりするものではなく、大便室
の密やかな営みを、「見れども見えず」のマイルールをば他人にも
《外挿》して、安全バリヤーをはってエンガチョなのだ。失敬失敬。

帰路、井の頭線の車中、腐女子よろしく小型旅行鞄を牽く一田夫が、
黒の背広のポケットに突っこんだ万札をはみ出させたまま、目の前
を過ぎる。おいおっさん、札が見えてるゼと忠告をする前に、さっ
さと去っていく。駅ビルの扉を開けると、少し後ろに婦人が続いて
いるから、扉を開けたまま待ってやると、御婦人は不佞に扉を持た
せたまま、さっさと通り過ぎていく。日本の未来に幸あれ。

机に向かい、隣室でつけたままのテレビから四時間に亘って流れる
懐メロ、バブル期のヒット曲を聴きながら、秋の夜は更けていく。

OCD略記法 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年10月 7日(火)11時03分54秒
普段用いるLSJ方式とは微妙に違い、どうにも書き間違えることが
多いので、OCD方式を総覧したを控えておく。

しかも 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年10月 6日(月)02時39分6秒
いま、冷たい雨にうたれて。気の毒なことです。

たぬき 投稿者:愚妻 投稿日:2008年10月 6日(月)02時13分10秒
うちのマンションの前は玉川上水沿いの遊歩道になっているのだけれど、
今日その遊歩道で狸が死んでいた。狸とご近所とは知らなかったので
びっくりしたが、どうも車に牽かれたらしくって、そのまま車道から遊
歩道に自力で這っていって息絶えた模様。土の上で丸くなっていた。気
の毒でならない。我々のような人間が田舎からわんさか住み着いている
ものだから、狸も暮らしにくい事この上ないだろうと思うと、とても申
し訳ない気持ちになる。

校本一件 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年10月 4日(土)13時51分38秒
僕も知らなかったんだけど、と古典学者に耳打ちされて初めて知っ
た校本。

Alberti, G. B., ed. Thucydidis Historiae. Roma: Istituto Polygraphico
dello Stato. Vol. 1 (Books 1-2) 1972. Vol. 2 (Books 3-5) 1992. Vol. 3
(Books 6-8) 2000


トゥーキューディデースを繙くことの少ない身とはいいながら、い
くら何でも迂闊であった。

揃いも揃って『ムー』じみた 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年10月 3日(金)11時34分34秒
またぞろ怪しげな落書きが出てきたそうなが、報道で見られる写真
からそのまま転写すると

diakhrEstou ogoista

とある。記事によれば、さらにイオータ、シグマが見えるらしい。
これをばpor Chrestos el magoだのper Cristo il magoと解釈している
らしい。邦語でも後追い記事が出て「魔術師たるキリストによるも
の」という意味
だと解説しているから、欧語を読み間違えたのだろ
う、基督と読んでいる部分と、後続部分とは同格ではあるまいにと
苦笑していたら、発見者が同格で読んでおり(‘“bien podría tratarse
de una referencia a Jesucristo, en aquel tiempo el máximo exponente
de la magia blanca”, indicó el investigador francés’—El Mundo
)、
質が悪い。「基督」と解釈しているところは「使える男」という形
容詞であり、古典期再現発音では「クレーストゥー」、救世主の訳
語に宛てるギリシア語ならば「クリストゥー」でなければならぬ。
もちろん、紀元前後にはエータの音価が段々とイに近づいていたで
あろうし、「クリストス」と「クレーストス」(ともに主格形)が
耶蘇教立教の昔から紛らわしかったのも事実であるが、ならば「呪
師」と解釈されている「ゴイスタイス[?]」が「ゴエース」とい
う、エータを使った本来の綴りからずれている理由(或いは、この
時代にエータとイオータが入れ換わったり、交換可能とされていた
経緯)は説明する必要があるだろう。また、「呪師」という部分と、
先行する「基督」部分を同格と見るためには、「基督」部分の属格
と、続く定冠詞、「呪師」の主格との齟齬を説明せねばならぬ(イ
タリア語やスペイン語では格がないので、逐語訳すると、全て同格
に見えてしまう)。格を尊重するならば「基督」を通じて件の「呪
師」がこれこれ[女性名詞]に
、と読むのが素直である。「基督」
やら「呪師」の部分に問題があるのは言うまでもなく、「基督」は
句読を変えると、「使える男」から「無能な男」に早変わりするし、
「呪師」の部分は「オゴイステース[?]連中に」と読んでもおか
しくない。このような怪しげな落書きに縋って、耶蘇の実在を云々
する人々の方に、邦語記事は分析のメスを入れてもよかったのでは
ないか。

武州秋天就好 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年10月 2日(木)18時48分8秒
秋空に軽風の亘る今日もまた、上武州境に出向く。道中、田には米
が熟し、中には実る穂の重みに稲の倒れる田も見える。少時には見
なかったコシヒカリの田であろう。駅から畑の畦を辿れば、右手に
は育ちすぎた葱、左手には弾けるような人参の葉、遙か前方には北
武蔵の山地、右斜め前方はもう榛名山、遠く妙義の山塊が墨色に耀
く。帰路はひたすら熟睡[うまい]を貪り、気がつけば大宮駅まで
南下している。乗り換えて、川口付近の廃工場、師匠の終の棲家と
なったペンシルビルをうち眺め、中央線で西下すれば、武蔵小金井
駅南東沿線に味わい深い小路の潜んでいることに気づく。四囲隔絶
された一角に赤提灯が下がり、木造○○荘が頑張っている。最寄り
駅で乗ったバスはステップのそそり立つ古い車体で、そのせいであ
ろうか、どこか和んだ空気が流れ、次々に運転手に物を尋ねる客が
あり、通行人がある。高い車窓から星野模型店の中がよく見える。
よく乾燥した木材と、硝子の陳列台は使い込まれ、帳場の長い営み
を物語る。店主と客との距離が近かった古き良き時代の遺物である。
人目を避けてコソコソと買い物をエンジョイする昨今の客をあしら
うのはどうするのだろう。元気に営業を続けているところを見るに、
今なお剛胆な若人がいるのか、剛胆な老人が贔屓にしているのか。
バス停で下りれば、上水の辺は耳を聾する秋の虫。今日、たった一
匹蝉が鳴くのを聴いたのは、どこであったか。マクドナルドの前で
独り、「もーやーっ」と絶叫しつつ彷徨[うろつ]く狂児が、小児
用マウンテンバイクを押し歩き、前輪を何度も激しく地面に打ち付
けるのを不安げに見守る店員の姐さんに同情しつつ、上水に立ち籠
める闇の中を歩いたことだった。

鳳来軒 投稿者:愚妻 投稿日:2008年 9月29日(月)20時27分26秒
曾祖父の代から通っていた函館のラーメン屋さん鳳来軒が、とうとう閉店してし
まってとても悲しい。今度美味しい塩ラーメンにありつけるのはいつだろう。
困ってる人続出の予感。

学生が夏休みにイタリアを含めたヨーロッパに旅行するというので、素晴らしい
ギリシア神殿が見られるパイストゥムという街がナポリの近くにあるから行けそ
うなら行ってらっしゃいと無責任に勧めておいたら、本当に行ったんだそうで
(実は交通の便が悪かったり外国語情報が少なかったりして、結構行くのが面倒
くさい)、今日感激して報告してくれました。遺跡の前のピッツェリアのおじさ
んもお元気だったと聞いて、嬉しい。

「天界集落」 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年 9月27日(土)19時41分41秒
弊站では「終点集落」概念を提唱し、その研究を同好の士に呼びか
けているが、「天界集落」なる概念を追究する向きもあるようだ。
関東の部には馴染みの集落が取り扱ってあり、面白く読む。

号令演習? 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年 9月26日(金)15時03分20秒
近所の小学校から、運動会の予行演習の騒音が聞こえてくる。今の
段階では教諭の号令だ。あの頓狂な調子の「マイッエー、ナライ!」
を聴かされていると、『がきデカ』の八丈島のきょんが脳裏を掠め
る。「死刑!」じゃなくてよかった。

投稿者:元夏迪 投稿日:2008年 9月25日(木)21時00分53秒
国分寺駅ビルのドトールで待ち合わせた友人が来た瞬間に、別の友
人からメイルが届き、マレイシアはサバ州某町で十一月のさる火曜
日午前十時に結婚式を挙げるから、来て貰えるだろうかと。ドトー
ルで遠近の友人と同時に邂逅した不思議。不佞が働く平日の東京、
友人が一生に一度の日を迎えるマレーシアの某町。

番地 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年 9月25日(木)20時35分3秒
新宿駅南口改札内側のニューデイズで買い物をしたレシートを見て
いたら、新宿区新宿三丁目三十八番一号という番地が刷られてある。
あんなところにも住所があるかと、当たり前の事実に感動してグー
グルマップで検索したら、東口交番付近が出てきて、これまた面白
く思う。

秋晴れの日 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年 9月25日(木)10時59分39秒
山の尾根を渡る風が里に吹くような心地よい秋晴れの今日、遠く武州の北辺でミーノーア文明を講じるのも乙なもの。往復の長い道中は、何故かエレアー派の勉強である。門外漢ながら、これが愉しい。

秋晴れ 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年 9月24日(水)14時13分53秒
奥多摩の山並みが耀く。紺青の山影が、霞むことなく奥秩父の方に
見える。秋の光が野山に、町に満ちている。豪勢な日よりだ。頬を
撫でる風が心地よい。

「大学の困難」 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年 9月24日(水)00時57分50秒
『現代思想』の特集だそうな。

その昔、制度改革を議論していた時分に、改革のなった暁には争議
権が手に入るんだよ君、と解説してくれた某先生に、おめでとうご
ざいます、で、何を繞って争議をなさることになりますか、と教え
を乞うたら絶句されたことを思い出す。

実直な先生は、その後紆余曲折を経た改革の御蔭ですっかり荒れた
現場に立ち続け、なお研究を深めつつあり、景仰の念を禁じ得ない
のではあるが、やはりあの一連の騒動には、思うところも少なくな
い。畑違いの某さんをお見かけするたびに、あの日のことを思い出
す。

特集記事を読む予定はない。

重厚な講義 投稿者:元夏迪 投稿日:2008年 9月22日(月)22時39分28秒
エジンバラの古典学者によるバッキュリデースの講義を聴く。目下
校勘と註釈を準備している最中である由。基本的な情報の解説から
始まり、今回取り上げた詩篇の包括的な解釈までを、二時間半に亘っ
て講じる。所々に首を傾げるべきところもあったが、重厚な講義に
いたく感心した。剣橋でいるうちに、もう少し文学系の講義を聴い
ておけばよかったと、遅れ馳せながら反省。スコットランドを渡り
歩いてきた学者であるだけに、訛りのことが気懸りで、昨日は網上
BBC Scotlandを聴き、耳ならしをしておいたのだが、御当人が配
慮をしてくれた御蔭で、まず問題なく聴き取ることが出来た。京都
からも古典学者が来て、その飄逸な人柄が座に花を添え、愉しい会
であった。

一筆箋/御歸り/御問合

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