自平成二十年六月十二日第三千九十一号
至平成二十年七月三十一日第三千百二十号
暑中お見舞い申し上げます Good妻 さん。 ご無沙汰しております。
レーシックの手術 無事成功おめでとうございます。また詳しく教えてください!
私も「勉強のし過ぎ」で視力は0.1以下 しかもよく眼鏡を壊してしまうので矯正することができたらいいなと思ってます。
それからアイスといえば、一昨日当店の近辺が50分ほど停電になってしまい、危なく
売り物のアイスが溶けてしまうところでした。お義父様も思わず飛び出して来て様子を
うかがってました(笑)
当節の流行は「“思い”」である。ダブルクオートを忘れてはいけ
ない。国語の表記に何故ダブルクオートなのかは判らない。鉤括弧
でもよさそうなものだが、ダブルクオートも含めて一つの表記となっ
ているらしい。
曰く思考停止である。曰く不佞の御機嫌を損ねるなである。
このキーワードが出てきたら、人は沈黙を強要されるのである。ま
かり間違っても「どんな“思い”なの」と訊いてはならぬ。「人格」
「個性」と同じく、神聖にして犯すべからざる呪符なのである。価
値なのである。恐らくはダブルクオートに、深遠なる謎が隠されて
ある。
The good news.
昨日レーシックの手術をしてきました。0.15の視力が一気に2.0にアップ!
眼鏡もコンタクトもいらない生活がこんなに快適だったかと、感動してい
ます。すごく恐ろしい手術かと思っていたら、あっけない割に効果覿面で、
拍子抜け。しかしあまりに何でもかんでもよく見えるので、ついつい中吊
り広告など全ての文字を隈無く読んでしまって、それはそれで疲れる。
The bad news.
「カラフルラムネバー」がセブンイレブンから消えてしまいました…。がっくり。
このところの溽暑に堪りかね、水を浴びるようになった。シャワー
で水に打たれていると、剣橋の壊れた給湯器ことなぞも思い出すが、
それ以上に懐かしいのは、少時の水垢離と、西域の旅である。
水垢離とはいっても、神明に侍るためにするのではなく、単に親父
の方針(思いつき)で、一時風呂上がりに洗面器二、三杯の水を浴
びさせられただけのことである。夏はともかく、冬場は浴室の中で
も子供心に厭わしいことであった。多少は健康の増進に役立ったの
だろうか。
西域の旅は、大学生が夏休みの暇に飽かせて繰り出したものである
から、まず暑い。溽い島国の夏から、夏の大陸に出張ると、乾燥の
度合に戸惑う。日影を歩くと肌が痛い。木陰に入ると「湿度が低い
ので爽快」だと、どの旅行指南書にも書いてあるものの、絶対温度
が高いので、それほど凌ぎ易くもない。暑い。
沙漠に近づくと、気温も乾燥も桁違いになり、どうしようもない。
当時は冷房施設なぞなきに等しかった。超高級ホテルならば兎も角、
そのようなところに縁がなければ、冷たい水を飲むことすらままな
らなかった。維族の文化圏に入れば、氷水で割ったケテック(ヨー
グルト)を口にすることが出来たが、氷も水も、日本人の胃腸を直
撃することは請け合いである(もちろん、正露丸もきかない直撃を
エンジョイするのも一興ではある)。逃げ場のない暑さというのは、
とにかく神経に堪える。
「上無飛鳥。下無走獸。但以死人枯骨。爲慓幟耳」と法顕が枯れた
声を絞り出すように書き綴った漠地での楽しみは、何と言っても水
浴である。初めてトルパンを訪ね、ディスコの二階で一泊五角の木
賃宿に泊まり、草履履きのまま浴びた洗淋[シャワー]の水の心地
よかったこと。葡萄溝の雪融け水の涼しさや、葡萄棚の落とす深い
陰なぞ、霞んでしまう。翌年、西安興慶宮附近で泊まった、快楽旅
社(いかがわしい施設ではない。一泊八元)の暗い洗淋室で水を浴
び、下痢をするくらいに身体が冷えて、嬉しかったり、戸惑ったこ
ともあった。二十一時前に、隣の隣で葬式を出し、葬列で絶叫する
鳴き男、泣き女、夜明け前に「モー! モー!」と人を呼ばう恐ろ
しげな呻き声とともに、いまも記憶に鮮明である。
その日は碑林を見物して、売店の姐さんと懐素の千字文に就いて感
想を語り合い、兎に角読むのに骨が折れると、愚にもつかぬ点で意
見の一致を見たことなどは、いま、当時の記録を読み返すまではすっ
かり忘れていた上に、読んでもなお、思い出せぬ故事ながら、その
数日後に砂嵐に襲われて、避難した先の敦煌賓館三二二室で、帰国
後には一リットル入りのステンレスのコップにヨーグルトを満たし
て一気飲みをしてやろう、アイスクリームの食い放題を企劃しよう、
牛乳を痛飲しよう、少年ジャンプのバックナンバーを斜め読みしよ
うという、まことに莫迦げた希望に加えて、水風呂に肩まで漬かる
などと、手帳に書き記したことなどは、その文字を見るまでもなく
思い出すのだから、やはり逃げ場のない暑さの中で相当に参ったも
のと見える。
ちなみに、我が家で「夕涼み」というのは、近所のセブンイレブンに出かけて
アイスキャンディーを買う事を意味するんで、従って真冬でも「夕涼み」が行
われる事もある。ここのところは「夕涼み」といえば、もっぱらセブンイレブ
ンで森永の「カラフルラムネバー メロンソーダ 」を買う事を指す。でも最近、
いい大人が毎日連れ立って同じものを買いに行くのはちょっと恥ずかしくなっ
て来て、別のものを買ったりもする。といっても「ガリガリ君」とかなんだけど。
ところで昨日は、起きがけの元夏迪氏に話しかけたら、ひとこと
「…疫病の神様…」
という返答がかえって来た。虚をつかれて「なんのこと?」と尋ねたらば、
「アポッローン」
と呟いた。でも決して寝ぼけていた訳ではなく、睡眠と覚醒の狭間にあって、
神のお告げが下されたのだと言い張っている。
昨夜、博士課程の院生が「シャホチョウは許せないので、年金は払
いません」と力む姿を見た。そうか、と思った。
希臘語フォント関連のツール。
暑威が迫って愉しいのは夕涼みである。駅から丘の上の上水まで道
を辿れば、寺の裏の植木畑や、情報通信研究機構の樹々が涼気を醸
す。上水に至って、さらに涼爽を味う。流水の音、流水の起こす風
は格別である。日が落ちて附近を歩けば、夏の夜空の闇も明るい。
コンビニエンスストアの誘蛾灯に飛び込む虫が儚い音を立てるのは、
この時分からだ。深夜のコンビニエンスストアの蛍光灯に惹かれ、
乳幼児ともどもワンボックスカーで乗り付けて買い物に興じる莫迦
親が疎ましくもなるのも、毎夏の夜の珍景である。否、常景である。
日本の夏、未来の闇。
先週七月十日木曜曇、溽暑の最中、群馬県に程近い勤務先の植え込
みで、蝉の第一声を耳にした。午前中、千代田三番町では聞かなかっ
た。靖国神社も皇居もあるが、やはり陽気に差があるせいか。昨年
の聞き納めが脳裏に鮮やかなだけに、ありふれた蝉の越えも殊の外
感じが深い。本日十九日には寓居の傍で蜩が鳴く。梅雨も明けた上
水の辺は、愈々夏だ。実家方面では今日、盆踊りであった。
夕霞堂文集には、以前からスタイルシートを二つ用意してある。夕
霞堂用箋と夕霞堂別箋である。スタイルシートを切り替えられるブ
ラウザを御使いで、これまで御存知なかった方は、一度御試し戴け
ればと思う。
教員採用の暗部が取り沙汰されるようになり、大分から他県に飛び
火し始めた。結構なことである。まことに結構なことである。
バナナを買いに出掛けたら、棚にはばら売り百円也が一本だけ。テ
レビ番組で紹介されたバナナダイエットが流行っているせいなのだ
とか。手軽な痩身法を希求するおふくよかな方が近所に沢山いらっ
しゃるようだと知る。
起床したら武州は爽やかな快晴。室中、支那西域城市の通衢を満た
す香が漂っていた。何故だろう。昔こんな漢詩を詠んだことまで思
い出した。
今昧爽から、弊站文集中「この日この本」の閲覧者がちらちらとい
るようである。文集に人が来ることもさほど頻繁ではなく、まして
やこの文章を読む人は、寧ろ窮めて稀といってよい。今日に限って
珍客が相次ぎ、いずれも検索を通じて到来しているのも気になる。
鍵語は「古鷹商事」「内山敬三郎」等である。井上提督で繋がりが
あると言えばあるものの、何となく因縁めいたものを感じる。
ヤマヒデ「かつお入り だしぱっく 椎茸・昆布・煮干いりこ・か
つお」ティーパック方式だから手軽で便利… 10g×20袋入
「三百[だったかしら]のショップスとレストランツ」があなたを
待っているアウトレット市場とかなんとか。通勤時に目にするバス
のボデーのペイント広告。なんでしょうね、意味もなく複数形にす
る、詰まらないこだわりは。型落ち商品の投げ売り市場なんだから、
もっと構えずにやったらいい。型落ちでもブランド品が欲しい人の
為の施設なのだから。
『いま、〈古典〉とはなにか クラシカル・ターンを問う』だそう
です。下載できます。
附録「夕霞堂外遊譜」敦煌の項目に柳園を書き足して、ウィキペディ
アに鏈接を張ったら、瓜州県内の鎮となっている。瓜州は、勿論唐
の時代の呼称であるが、聞き慣れた安西の名が廃されて、少し残念
である。始めて安西の駅を通過した時に、由来も場所も違うものの、
名前が同じ安西都護府を連想して感激したものである。あの日が、
また少し遠くなってしまった。
柳園という街の夕暮れが、一番ピタリと来るかも知れない。
午後、溽い中をバスに乗り、国分寺から東京へ中央線。東京で下り
ると、折柄広がってきた晴れ間のせいか、高いホームにたまらなく
爽やかな大気が通っている。一年に多くて一、二度しか望めぬ涼爽
の気。汚臭列車総武快速に乗り換え、日の傾いた千葉に下り立ち、
中央区を歩いていると、三井ガーデンホテルの脇に、ボロッちい商
店街が、菫色の日影の中で寂れている。パチンコ「ミラノ」の毒々
しい看板と相俟って、支那大陸の場末にいるような心持ちになる。
ここは西域の城市ではないか。夏の盛り、日没直前にフッと暑威が
弛んで涼やかな風の吹く、あの頃合いに、自分はその城市を歩いて
いるのではないか。喀什、烏魯木齊、吐魯番、敦煌、酒泉。どの街
にも、そんな風の通る時刻があったものだ。
ギリシア語の教場に入ったら、キンキンに冷えた冷房が気持ち悪かっ
た。
昨日雨がたくさん降ったからか、今朝ふと木の幹を見たら大きいのや
ら小さいのやら(といっても日本のは総じて小さいけど)、ナメクジ
がどっさりついていた。木の種類はいろいろだった。ナメクジが木に
登るのは知らなかったので、大変驚いた次第。@駒場
澤田典子『アテネ 最期の輝き』(東京、岩波書店、二千八年)は
平明な文章で綴られた本で、初学者にも種々配慮を欠かさないから
読みやすいと思います、前四世紀後半のアテーナイのことを知ろう
と思ったら、国語で読めるこの書物はとても有難いのですヨ、とイ
ソクラテースの講義で現物を手にかざして紹介したら、日頃は強面
の講師の傍など、欠席回数の確認か、試験の心配を訴えに来るばか
りの女学生なのに、講義が終わってからついと前に進み出て、その
御本、拝見しても宜しいでしょうかと言うものだから、大変驚き、
この時代のアテーナイに興味を持つ人が少しでも増えてくれればと
喜んだことである。
面白い方がいたので、メモ代わりに鏈接。
Pomoeriumなる雑誌の記事を網上に読むことが出来ます。
今日は沖縄戦を指揮していた司令部が消滅した日です。摩文仁の丘
に想いを馳せる次第です。
心の知能指数。
下記ユウェナーリス引用二番目を唱えましょう。
恥ずかしながらゴールデンウィークが締切だった(!)論文がまだ全然
終わっておらず、号泣しながら書いてます。おとといの晩も中央線の故障
で帰宅が遅れ、寝るのが3時過ぎだったのに、昨日は6時に起きて仕事を
始め、昼2時頃におなかがすいてマクドナルドで朝ご飯をがっついている
ところを、なぜか元夏迪氏の高校時代のお友達に見つかってしまう、し
かもそのお友達は本当はその日元夏迪氏と一緒に丹沢に山登りに行く筈
だったのに雨で延期になって、でもその後雨が上がったので用を足すつ
いでにウォーキングしていたらアイスクリームが食べたくなってたまた
ま通りかかったマクドナルドに立ち寄ったけど混んでるから諦めて店を出
た、それを我々が上から見ていて手を振ったんだけど、そのお友達に見
つかってしまうくらいに頑張ってるのに、それでも全然はかどらず(当
たり前か)、これはベートーベンなんか聴いているからいけないんじゃ
ないかと思ってQueenに変えてみたら、Freddie Mercuryがかっこ良く
てノリノリになったのはいいんだけど、気分がノリノリになったところ
で仕事がはかどらないことには全く変わりなく、ただの躁状態になった
だけで、また例の神の啓示でうっかり変なアイデアがひらめいてしまっ
て、大自爆論文を書いてしまうんじゃないかとふと我に返って戦慄。
講義で使う必要があり、学部三年の昔に講読の授業で読んだユウェ
ナーリスを引っ張り出し、有名な件を訳出。
「誰一人、我等の票を買う者がいなくなって、[我等]民衆は既に
久しく公の事を捨てて顧みない。統帥権や束桿や軍団兵や諸々をそ
のかみ授けた者ども[たる民衆]が、今は小粒に甘んじて、ただ麺
麭と見世物が手に入ろうかとそればかり、気を揉みながら待ち望む」
(『諷刺詩』第十巻第七十七行至第八十一行)。
「健やかな心が健やかな身体に宿れかしと祈[の]らねばならぬ」
(同第三百四十六行以下)なぞも、下手な訳筆に載せてみた。少時
そんなことに没頭した。
最近でこそ多少はましになって来たものの、パソコン関係の指南書
と銘打ったものには気持ちの悪いものが多い。殊にネット上の頁だ。
読者に判りやすく書くつもりはあるようが、読者の知識を無視した
記述で充ち満ちている。独りよがりだ。
『さるでもみにつくぎりしゃご』(愛称サルギリ)等と銘打った本
を上梓しながら、第一頁目から「冠詞や格変化はちゃんと勉強して
おきます。さて、名詞と冠詞、それに形容詞位置関係は大切なんで
すよ云々」等と、表も実例もないままに支離滅裂な記述をしたら、
著者は莫迦者に他なるまい。外国語のガの字も理解していない少年
に、いきなりアポーとか言って英語を教えた気になる中学教諭も、
日本開山のめでたさだ。アポー、林檎、を繰り返し絶叫するおかし
な人である。
オープンソースを謳う時勢なのだから、もう少し意思の疎通の方法
に思いを潜めてもよさそうなものである。意思の疎通の仕方がよく
判らないのならば、専門家向けに限って著述をなして貰いたい。